22話:説明会のご案内
ゴリゴリゴリゴリ……
昨日の残りの大根をさらに半分にして皮を厚めにむいたら、おろし金でおろしていく。
これは今日の夕飯、鍋のメインに使うのだ。
さすがに全部を一人で食べるには多すぎる。二等分にしたら、別な料理に使う分をタッパーに入れていく。
大根の皮は人参と一緒にして、キッチンペーパーに包んだらジッパー付きの袋に入れて、と。
大根をおろし終わったら、今度はキャベツの千切りだ。
スタタタンッと軽快に切り終わったら、こちらも半分はサラダに、半分は漬物にしようとそれぞれ容器に入れていった。
「……ふう。ちょっと落ち着いてきたぞ」
ハローワークの帰り道で、「良い就職先がありますよ」と声を掛けてもらった。その人はまさに就職相談の窓口にいたお兄さんで、わたしが連日お世話になった人でもある。
それなら夕飯や常備菜の仕込みをしていないで、履歴書を書いたり面接の練習をしていろよって話なんだけど。
「そりゃあ先に海外はどうかとか、異世界に行ったら定年はないのかなあとか口に出したのはわたしだけどさ」
まさか本当に「ありますよ」という返事が来るとは思わなかったし、それが海外じゃなくて異世界なんて、ドッキリもいいとこじゃないか。
「クビ通告はドッキリじゃなくても、今回はさすがにドッキリだよね」
だって、窓口のお兄さん自らが言っていたはずだ。
このハローワークでは、周辺地域の会社しか扱っていないと。
ギュギュッと千切りキャベツとキュウリを塩もみしながら、もらった名刺を横目で見やる。
中央にある名前の上には、『派遣社員・別地域担当』と書いてあっても。
「ハローワークに派遣で来るなんて物好きだよね。わたしみたいに四月を過ぎても就職が決まらない人を捕まえる、怪しい会社じゃないのかな」
わざわざハローワークの外で声を掛けてきたことも、こうして名刺を渡すことも怪しい要素しかないし。
そりゃあ今まで、ハローワークの中で会っていても。一応、今日のところは帰ることにしても。考えれば考えるほど、怪しい気持ちしか湧いてこない。
「興味があったらハローワークに来てくださいって、大丈夫なのかな?喫茶店とか変な場所に呼び出されるよりマシだけど、異世界って完全に管轄外でしょ」
だからこその、『別地域担当』っていう肩書きなのかもしれないけれど。そんな紙切れ一枚だけで、信用できるくらいに知っている人ではないのだ。
「話したのは昨日と今日の二日間、それも半日ずつだけだもんね」
数打ちゃ当たる精神なのだろうか。それでもハローワークにいたということが、微妙に断れない要素になっている。
しかし他の人と話している姿を見ていないところが、怪しく感じてしまうことも事実なわけで。
「……午後から、覗きに行くのはどうだろう」
どうせ紹介状をもらおうとしていた会社は、もう新しい人に決まったんだもん。それ以外で正社員の求人はなかったから、午後からの予定は空いている。
いや、いつも空いていると言えば空いてるんだけどさ。
ぎゅっと野菜を絞ったら、ジッパーに入れて浅漬けの完成だ。
「じゃあ、覗きに行く?」
職業相談の窓口は一つ一つに仕切り板がされているので、入り口からは見えないようになっている。それでもこっそり覗くくらいの隙間はあるから、そっと入れば見つかることはないだろう。
「だって今まで空気だったしね!」
いつもの講座でだって、空気のように気配を消していたわたしですよ。コッソリ様子を窺うくらい、軽い軽い。
昼食をかっこんだら、電車に乗ってハローワークに戻ることにしよう。
「……」
わたし、なんでここに座っているんだろう。
「すぐにお話を聞きに来てくださるとは、異世界にご興味がおありなんですね」
「……違います」
今すぐに再就職したい気持ちはあるけれど、それはあくまでこっちの現実世界であって。地球上でもなさそうな異世界では断じてない。
そう言いたいのにアッサリ入り口で捕まったわたしは、こうして午後からも職業相談の椅子に座らせられてしまった。……なんでだ。
わたしがすぐにハローワークに戻ったからか、お兄さんはとってもニコニコしている。自分が声を掛けた人が就職すると、ボーナスが出たりするのかな。
それくらいの特典がなければ、こんなに喜ばない気がするくらいにご機嫌だ。
「そんなわけがないでしょう。私は他の社員と同じですよ。こちらに通っている方を卒業させることを、喜びとしているだけです」
それは、例えば異世界に飛ばすってことでも?
そもそも日本だって、入ってみなくちゃどんな会社かわからない。
サービス残業アリアリのブラック企業なのに逃げられないとか、有給が使えないとかすぐに辞めたら契約違反と罵られるとか……。
それでも日本にいるということで、心の平穏とか食事の心配とかの、異世界では保証がなさそうなものの安心感が違うのだ。
そう、食事。これが一番、わたしが気になっていること。
「そうですね。沢村さんは何よりも食の心配をしていましたね」
うんうんと、妙に納得するように頷いているお兄さん。
もしかしなくとも駅まで追い駆けてきたのは、このまま終点まで行って自殺するとか思われていたんだろうか。
なんでハローワークから出てまで声を掛けにきたのかと尋ねたら、アッサリ返事が返ってきた。
「あの日は発車の時刻まで時間があるとわかりましたので、沢村さんが帰った後に届いた求人票を見てもらおうと思ったんです」
「えっ、あったんですか!?」
じゃあそっちの話をしてくれよと立ち上がったら、両手と首を振っていく。
「戻ったらすでに取り下げられていました。どちらにしてもご紹介は無理です」
「……」
午後一発目のテーブルに突っ伏すわたし。……タイミングゥッ!
「それに、沢村さんは絶対に自殺はしないと確信しておりました」
「え?」
「自殺しそうな人はまず、お金の心配をしますからね」
「……」
食べ物の話の次は、言語についての心配をしていたはず。
その次に盛り上がった内容も食で、つまり「食い意地が張っているからこいつは死なねえな」って思われたのか。……恥ずかしい。埋まりたい。
テーブルに顔を埋めたままのわたしに、それでも軽やかに話していくお兄さん。
「海に行くと話した時には、さすがにちょっと焦りましたよ。しかし異世界に行きたいと呟いた言葉で、お声を掛けようと決めました」
つまり異世界に再就職をどうかと言われたのは、わたしの言葉からだったのか。
……まあ、わたしも食い気味に「詳しく話せ」って言っちゃったけどね。
「ええ。ですが最近、異世界の就職先でトラブルが相次ぎまして……。色々と注意事項が増えてしまったこともあり、お声を掛けて数日経っても熱が冷めない方に、改めて説明会を開くことになったのです」
「トラブル……」
異世界に詳しくないから、トラブルについても想像が微妙だけど。
「こう、謎の獣に食い殺されるとかですか?」
「そういう冒険者向けの世界もですが、向こうに行ったら基本的に自己責任になります。ハローワークがアフターケアもする、という話は普通の会社でも聞きませんよね?」
「ですね」
っていうか、食い殺されることを否定しなかったぞ。
まあ誰がいつ、どこで死ぬかなんてわかんないもんね。でも謎の獣が出るとか、そういうこともあり得るのか。……そうか。
今の話だけでも、考えなきゃいけないことが盛りだくさんな気配がするね。
ただ単に新しい会社に就職をするってだけじゃなくて、周辺住民とかについても詳しく知らないと、ご近所トラブルもありそうだ。
「ええ、そうです。普通の、あまりこちらと変わらない世界もありますが、なんせ別世界ですからね。似ているだけで同じような生活ができると勘違いしたあげく、宗教関係に引っかかる人も珍しくありません」
「色々、面倒なんですね」
「聞いたことのない言語を操る異世界に行くんですよ?こちらでも女性は顔を隠すとか足は出さないとか、そういう地域ごとの習慣もあるでしょう?」
似ているだけでちょっと違うなら、こちらのままの感覚で過ごしてしまって困ることが多そうだ。けれどまったく知らない世界では一から覚えることが多そうで、仕事をするまでのハードルがかなり高そうなことにも気付いてしまった。
わたし、三十六歳になったんですけど……。一から生活を整えてから就職って、一体、何年かかるんでしょうか。
ちょっと遠い目をするわたしに、お兄さんは笑みを深めていった。
「ですから、その為の説明会です。自己分析をしましたよね?そちらと同じようなアンケートに答えていただき、適した世界と職業をこちらがお勧めいたします」
「……」
最初にハローワークから、求人票が送られてきたようなものと似ているのかな。あれもいきなりだったけど、わたしが書いた基本情報からハローワーク側が選んで送ってくれたものだったはず。
軽い説明をしていくお兄さんの言葉に、ようやくわたしも落ち着いてきた。料理するまでは考え過ぎて、また気持ち悪くなるところだったもんね。
「もちろんその世界について一から学び直すこともできますよ。ただし、こちらは今の姿ではなくなります」
「それって、もしかして……」
一から学ぶのに、今の姿じゃないって……?
恐る恐る見上げたわたしに、ニコリと微笑むお兄さん。
「ええ、そうです。沢村さんが希望する転移ではなく、転生。……つまり、生まれ変わるということですね」
「生まれ変わる……」
隣りの席では、日雇いアルバイトについて話しているというのに。外は今日も、良い天気だというのに。
どうしてわたしは普通に就職先を探していただけなのに、こんな妙な話を聞いているんだろうか。
「もうすぐ五月という時期になっても、就職先が決まらないからですね」
「うぐぉ……」
岸さん並みに、グサッと痛いところを突いてくるな、この人。
……あ。名刺をもらったのに、名前を憶えていないや。
名前、なんだっけ。
「そんなわけで、今日は説明会です」
胡散臭いと思っても、危険な世界があると聞かされても。
あれからちっとも正社員募集の求人が来なかったんだから、異世界でもなんでも説明会に参加することにした。
「これも求職活動になるって言うしね。……なんて書けばいいんだっけ?」
一応、チラシをもらったんだよね。どれどれと鞄から出したら、そこには『自己分析セミナー』と書いてあった。
簡単なアンケートに答えてから、それぞれに合う就職先を紹介するからか。
「物は良いようだなあ」
まあね、間違いではないけどね。頭に”異世界にいくための~”とか入れないと、完全に合ってはいないよね。
「あああぁぁぁ……、怪しいぃ」
すこぶる怪しい。怪しい要素しかない。会場がハローワーク内だとしても、来て本当に大丈夫だったんだろうか、わたし!?
「っていうか、五階ってあったっけ?」
いつも講座の時には、四階の会議室を使っていたはずだ。……その上に続くはずの階段の記憶がないな。
気合いのスーツを着てくれば良かったかも。今までだって、スーツを着ていればその場ですぐに面接に来てって言われても大丈夫だったのに、戻らないといけないからと後回しにした求人の多かったことよっ。
「今日もすぐ就職先がわかるなら、その場で『じゃあ今から行きましょうか』ってこともあり得るか」
でも世界がそもそも違うんだから、スーツを着れば安心ってわけでもないよね。宗教上のトラブルがあったって言っていたし。
昨夜は気合いのコットンパックをして、肌の調子を整えてきたけれど。ついでに後輩ちゃんに選んでもらった、黒地の花柄のシャツも着てきたけれど。
「あったかくなっても、特に肌は出してないから良いかな?でも就職先でしか顔を見せちゃいけないとか、柄物の服はダメとか言われたりするかなあ」
こういうところも、おススメされた後に訊いてみよう。
いつもこういうセミナーでは、質問する時間があったもん。異世界なんて未知の世界、わたし以外の人もバンバン気になるところがあるはずだ。
「それでも二時間程度で終わるってところが気になるな……。最初の一時間は説明とアンケートの記入で、残りの一時間で個人面談と質問タイムなのかな?」
わたしが一番気になる大切なことは、やっぱり食についてだけれども。
「あ、硬水か軟水かも訊いておかないとね」
硬水は体質的に合わないから、絶対に軟水が良いな。っていうか、日本みたいに蛇口をひねってすぐ飲める世界はあるのかなあ?
「うーん……まあ、今日は最初の説明会だもんね。向こうもトラブルがあって注意事項とかが変わったなら、こういうことも話してくれるでしょう」
そういうことにしておいて、話だけでも訊いてみようと階段を上がった。




