第六話 遭遇と死闘(前編)
◇◇◇◇
「グハァッ!」
そのまま本棚に吹き飛ばされて、ジーンが壁に背中を打った。
とは言え、そこは鍛えに鍛え抜かれたジーンである。
「くそっ! 誰だ?」
本棚を押しのけて、ジーンが体勢を立て直す。
もっとも、そこに不運が重なった。
尖塔が衝撃に耐えきれなかったのである。
ジーンを巻き込んで、壁と床がボロボロと崩れていった。
「ちょっ――! 嘘だろぉぉぉぉっ!」
天に呪詛を吐きながら、ジーンが外へと落ちていった。
「ジーンさん!」
「ナオミ! 駄目です!」
慌てて駆け寄ろうするナオミを、サラが押し止めた。
「でも――」
「敵は目の前にいます!」
抗議しかけたナオミを、サラが叱咤する。
崩れた壁から、月明かりが差し込んだ。
照らし出されたのは、先ほどまで本棚があった場所である。
果たして、本棚の裏には隠し部屋が設けられていた。
今、その隠し部屋から、本棚を弾き飛ばした張本人が現れた。
「グルルル……」
血走った眼でサラとナオミを見つめるのは、身の丈2メートルの大男である。
「こいつは……!」
大男の容貌に、サラが絶句した。
黒い夜会服に身を包んだ男の肌は、服とは対照的に病的にまで白い。
髪は短い銀髪で、ジーンに負けず劣らずの筋肉で全身を包んでいた。
だがしかし、特徴的なのは人間離れした目と耳である。
「縦長の瞳孔に長い耳! 吸血鬼です!」
「ガアッ!」
サラが言ったと同時に、大男もとい吸血鬼が地面を蹴った。
「サラさん!」
サラを抱きかかえて、ナオミが飛びのいた。
直後、大男の拳が本棚を直撃した。
重厚な本棚は木っ端みじんとなって、床に破片をまき散らした。
「何と言う怪力!」
目を見張るサラに向かって、吸血鬼が振り返る。
「させません!」
サラを庇って、ナオミが薙刀を構えた。
「グオーッ!」
吸血鬼が咆哮を上げて、ナオミに飛びかかる。
「このっ!」
ナオミが突きを繰り出した。
とは言え、さすがの吸血鬼である。
ナオミの攻撃を左に避けて、そのまま吸血鬼が間合いを詰めた。
「キャッ!」
吸血鬼のタックルを受けて、ナオミが弾き飛ばされる。
「うーん……」
そのまま気を失うナオミ。
「フーッ! フーッ!」
鼻息荒く、ナオミに近づく吸血鬼。
止めを刺さんとする意図が見え見えである。
「こっちです!」
サラが言って、吸血鬼の気を引いた。
「グルル……?」
「ふんっ!」
吸血鬼が振り返ったタイミングで、サラが投矢を2本投げた。
投矢は寸分違わず、吸血鬼の両目に目掛けて飛んで行った。
だがしかし、サラの攻撃は届かなかった。
「なっ?」
絶句するサラである。
吸血鬼は両手を使って、投矢をあっさりと受け止めていた。
「あ、あれを止めるとは!」
サラの顔に焦りが見え始めた。
◇◇◇◇
「くっ!」
腰の後ろから、サラが短剣を抜いた。
「……」
無言で間合いを詰める吸血鬼。
一方でサラである。
吸血鬼に気圧されることもなく、サラは一歩も動かない。
そのまま両者の距離が3メートルほどになった時である。
「ふんっ!」
先に仕掛けたのはサラであった。
地面を蹴り、身体を半身にしながら、サラが右手で短剣を突き出した。
狙うは吸血鬼の下腹部である。
吸血鬼に迫る短剣。
切っ先を目で追いながら、吸血鬼がニヤリと笑った。
「しまっ――」
サラが後悔した時である。
その右手がガシッと掴まれた。
「くっ! このっ!」
必死に手を解こうとサラがあがくも、吸血鬼の力は強い。
そのまま吸血鬼に持ち上げられて、サラがブラリと宙に浮いた。
「は、離しなさい!」
「……」
ジタバタ暴れるサラを余所に、吸血鬼が口を開いた。
中から覗く犬歯は長く、人間とはかけ離れていた。
そのまま吸血鬼がサラの首筋に顔を近づけた時――。
「かかりましたね」
サラがニヤリとほくそ笑む。
「死ねっ!」
吸血鬼のこめかみに向かって、サラが左手を振り下ろした。
サラの左手には、鉄で出来た峨嵋刺が握られてた。
先端を銀でメッキした、吸血鬼用の切り札である。
しかし、吸血鬼の反応は、サラの予想を上回っていた。
首をヒョイと捻って、吸血鬼は峨嵋刺の不意打ちをも躱したのである。
「なっ?」
サラが驚く間も無かった。
吸血鬼はサラの左手をも封じてしまったのである。
そのまま、サラは両手で宙に吊られてしまった。
「こ、このっ!」
必死に暴れて、サラが吸血鬼を蹴りまくる。
もっとも、吸血鬼に堪えた様子はない。
吸血鬼はそのまま、サラを乱暴に壁へ押し付けた。
「ぐふっ!」
全身を打って、サラが呻いた。
「グルルル……」
喉を獣のように鳴らしながら、吸血鬼が両腕に力を込める。
「あ、ああ……」
痛みに耐えきれず、サラが遂に短剣と峨嵋刺を落とした。
カランと言う音が空しく、部屋に響き渡った。
「うーん……って、サラさん!」
音に反応して、ナオミが目を覚ました。
「ナオミ!」
サラが叫ぶ。
「逃げなさい!」
「え?」
「こいつは私たちの手に負えません!」
「え? ええっ!」
「王都へ戻って真実を伝えるのです!」
「で、でも」
サラの命令に、ナオミは動けない。
「私の死を無駄にしないでください!」
サラが言った、そのタイミングである。
吸血鬼の牙が再び、サラの首筋に迫っていった。
「早く!」
「サラさん!」
サラが促して、ナオミが悲鳴を上げた。
ナオミの悲鳴は大きく、尖塔中に響き渡った――。
◇◇◇◇
サラが大ピンチに陥った、正に時である。
ナオミの背後から、拳大の岩が飛んできた。
岩はナオミを避けて、真っ直ぐ吸血鬼に迫る。
「ギャッ!」
後頭部に岩を受けて、吸血鬼が仰け反った。
その衝撃で、サラを落とした吸血鬼であった。
「てめぇっ!」
部屋の入口から現れたのは、先ほど尖塔から落ちて行ったジーンである。
もちろん、岩を投げた張本人であった。
「若干1人は不本意だけどよ……。俺の女に何しやがる!」
怒鳴り散らしながら、ジーンが歩みを進めた。
怒りを迸らせるジーンであるが、高所から落下しただけあって、その格好はボロボロである。
地虫の革で作った鎧は剥がれ落ちていて、素肌が剥き出しとなっていた。
あちこちに切り傷や擦り傷を作っていて、控えめにいっても血だらけである。
「ジーン! 生きていたのですか?」
尻もちをつきながら、サラが言った。
「おうよ! まったく、下が砂地で助かったぜ! それで、こいつがひょっとして?」
答えながら、ジーンが聞いた。
「その通りです!」
サラが続ける。
「そいつが吸血鬼です。気を付けて! とてつもなく強い!」
「そのようだな」
サラの忠告を受けて、ジーンが吸血鬼を睨み付ける。
「グルルル……」
強敵の臭いを嗅ぎ取って、吸血鬼がジーンを睨み返す。
「……こいつは強そうだな。しゃーねーな、アレを使うか……」
呼吸を整えて、ジーンが目を瞑った。
そして、その瞬間を吸血鬼は見逃さない。
「グオーッ!」
ジーンに掴みかからんと、吸血鬼が宙を飛ぶ。
「ふんっ!」
吸血鬼が触れる直前に、ジーンが目を開けた。
全身の筋肉が血管と一緒に盛り上がり、ジーンの白目は両目とも真っ赤に染まっていた。
地虫との戦いで見せたジーンの十八番、過集中状態――ゾーンである。
「何の!」
吸血鬼の両手を、ジーンが掴み返す。
ガップリと手四つで組み合う、ジーンと吸血鬼。
「こ、こいつ――!」
吸血鬼の腕力に、ジーンが目を見張った。
「うりゃーっ!」
掛け声と共に、ジーンが両手を振り回した。
「ギャッ?」
重心を失って、吸血鬼がもんどりを打った。
「グア?」
突然仕掛けられた技に、意表を突かれる吸血鬼。
「さすがはジーンです!」
「ジーンさん!」
サラとナオミが、ジーンに駆け寄ろうとした時――。
「危ねー!」
押し止めながら、ジーンが続けた。
「近寄るんじゃねー!」
「な、何を?」
「ジーンさん?」
ジーンの警告に、目を点にするサラとナオミ。
「こいつ、俺より強い!」
「な――っ?」
「え?」
ジーンが言って、サラとナオミが身構える。
「フーッ! フーッ!」
鼻息を荒げて、吸血鬼が再び立ち上がった――。




