第三話 定義と陰鬱(後編)
◇◇◇◇
どんよりと雲が広がって、ポツポツと雨が降り出した。
「くそ! 降ってきやがった」
御者台のジーンが顔を歪めた。
「どうぞ」
サラが外套を投げ渡す。
「お、ありがとよ」
ジーンが外套を受け取った。
「それにしても、やっぱお前怒ってるよなー」
外套を羽織りながら、ジーンが言った。
「……理由はご存知でしょう?」
「まーなー……」
サラが聞いて、ジーンが頷いた。
サラが怒るのは当然である。
以前サラは、飛竜の卵を拾ったことが原因で、アカデミーを追われたことがある。
これは竜と飛竜との学術的差異を、官憲が把握していなかったせいであって、サラに非は一切ない。
もっとも、そのお陰でハンターに身をやつし、お家騒動に巻き込まれるという辛酸を舐めたので、恨み浸透のサラであった。
今回の一件は、正に同じ轍と言えた。
「それにしても、意外なのは貴方ですよ」
「俺が?」
サラが言って、ジーンが首を傾げた。
「ええ――」
サラが続ける。
「貴方、戦闘オタクでしょうに」
「オタク言うな!」
サラの言い草に、憤るジーン。
「お前こそ、魔物オタクじゃねーか!」
「失敬な!」
ジーンの反撃に、サラが眉根を寄せた。
「私はハンターです!」
「それを言うんなら、俺だって戦士だ!」
「歴とした、学者でもあります!」
「俺も歴とした騎士だっちゅーの!」
「あの~……」
白熱する2人に、ナオミが割って入った。
「話、逸れてません?」
「おっと!」
「すまん……」
ナオミに諭され、矛を収めるサラとジーンであった。
「よっと!」
居住まいを正し、ロシナンテに鞭を入れるジーン。
カポカポと蹄を鳴らして、ロシナンテが馬車を進めた。
「それで、俺が怒っている理由だったな」
確かめるように、ジーンが言った。
「俺はよー、こういう騙し討ちみたいな命令が大嫌いなんだよ」
「騙し討ち?」
ジーンの言い分に、サラが聞く。
「ああ」
頷いて、ジーンが続けた。
「それを言う前に聞きたいんだけどよ……、吸血鬼の正体を政府は把握してるのか?」
「微妙なところですね……」
ジーンの疑問を、サラが歯切れ悪く答えた。
「アカデミーの研究成果は、全て政府に吸い上げられます。陛下がご存じとは限りませんが、上層部の何人かは把握しているはずです。特に亜人問題は統治に――」
「亜人?」
「吸血鬼とか、妖精のことですよ。人間に近い人型をそう呼びます。とにかく、こういう亜人たちを悪者に仕立て上げれば、政が容易くなりますからね」
「うん。やっぱり許せねーな」
サラの説明に、ジーンが話を戻した。
「こんな命令を一々聞いてたら、命がいくつあっても足りやしねー。ひょっとしたら、後から殺されかねないぞ」
「ああ、そういうことですか……。もっとも、貴方を殺せる人間が、早々いるとは思えませんが」
ジーンが言って、サラが納得する。
「えーっと、どういうことなのでしょう?」
サラとジーンに、ナオミは付いて行けない。
「要するにですね――」
ナオミに向かって、サラが噛み砕く。
「普段から不穏分子として仕立て上げて、民衆の不満を反らしておくのですよ。国政で不祥事が起こったら、亜人のせいにするのです。統治の保険としては、非常に魅力的でしょう?」
「ひぃっ!」
物騒なサラに、ナオミが身を竦めた。
「そして頃合いを見計らって、兵隊に討伐させるのです。もちろん、亜人が魔物ではないことは学術上証明済みですから、いずれは有識者から非難されるでしょう」
「え? だったら、意味がないんじゃ……」
サラの説明に、ナオミが首を傾げた。
「いえいえ。ここからが本題なのですが――」
意地悪く笑みを浮かべて、サラが続けた。
◇◇◇◇
「ここで肝心なのは、兵隊――実働部隊に真実を教えないことです」
「それに何の意味があるんですか?」
サラが言って、ナオミが疑問符を浮かべる。
「真実を教えなければ、彼らは魔物退治の任務だと思い込んで、盛大に暴れてくれるでしょう?」
「……はい」
「そして、ここぞとばかりに宣言するのですよ。『全ての責任は、亜人を魔物と勘違いした現場にある』って具合に。まあ、要するに、トカゲの尻尾切りですね」
「……」
サラの言葉に、ナオミが言葉を失う。
「もっとも――」
ナオミを置いて、サラが続ける。
雨が本格的に降り始め、馬車の屋根をバンバンと叩いた。
「この手法は、身分が低い兵隊相手にしか使えませんが」
「だなー」
サラの注釈に、ジーンが続いた。
「ど、どういうことですか?」
ドン引きしながら、ナオミが聞いた。
「ある程度身分が高いと、相応の教育を受けていますからね。亜人と魔物の区別がついている貴族も多いですし、たとえ知らなくても、違和感さえ感じ取れたら、頼れる相手も多いでしょう?」
「あ、そういうことですか……。で、でも……、それだと、今回のお仕事を引き受けたのって、とても危ないんじゃ……」
「いえ。おそらく大丈夫でしょう」
「どういう意味だ?」
サラとナオミの会話に、ジーンが割り込んだ。
「事が吸血鬼となれば、少し事情が違いますよ。何といっても、彼らは人を襲いますからね。貴方の身分も、切り捨てるには高すぎる。最悪な方向へ転んでも、盗賊退治程度に落ち着くことでしょう」
「……まあ、どっちにしても、気分がいいものじゃねーけどな」
「ええ。本当のところを語っていない点では、胡乱な命令には違いないですからね。ところで、話は身分に戻るのですが」
「きゅ、急に何だ?」
サラの話題転換に、ジーンが身構える。
「ナオミ」
「は、はい」
「貴方、私の従卒におなりなさい」
「え?」
突然なサラの勧誘に、ナオミが目を点にした。
「おいおいおいおい!」
泡を食ったのはジーンである。
『ブルルル……!』
ジーンの動揺が伝わって、ロシナンテが抗議した。
「あ、すまん。ドウドウ」
慌ててロシナンテを宥めるジーン。
「一体どういう了見なんだ?」
再び馬車を止めて、ジーンがサラに向き直る。
「お忘れですか? ナオミだけが、陛下に拝謁が叶わなかったでしょう?」
サラの指摘は、王城での出来事である。
身分差のせいで、ナオミは王城に上がれなかった。
「よくよく考えずとも、これは大きな問題です」
「そんなの、結婚した後ならどうにでも――」
「貴賎婚なんて、後々尾を引き摺りますよ。百歩譲って貴方が良くても、陰口を叩かれるナオミの身になりなさい」
「うっ……」
「将来的には従騎士に取り上げて、それから婚姻するのがベストでしょう。女の職業戦士は珍しいですが、過去に例がない訳ではありませんし」
「……」
サラの主張に、ジーンが押し黙る。
「わ、分かった。分かりましたよ。もう好きにしてくれ!」
「よろしい」
諸手を挙げたジーンに、ご満悦なサラである。
「あ、あの、一体どういうことですか?」
サラとジーンに、ナオミは相変わらず付いて行けない。
「つまりですね、貴女自身の身分を、平民から従騎士、つまり準貴族に引き上げるのですよ。ファルコナー家も騎士ですし、釣り合いが取れて丁度いい」
「従騎士? 準貴族?」
サラの答えに、ナオミは困惑するばかりである。
「ああ、そこからですか。えっとですね――」
ナオミに向かって、サラが王国の身分秩序について語っていく。
◇◇◇◇
ミッドランド王国は封建制の国家である。
王が諸侯に領地の統治権を認める代わりに、諸侯は王に臣従を義務付けられている。
そして、そこには厳格な身分制が敷かれていた。
王を頂点とした、ピラミッド構造のカーストである。
一般的には、王→諸侯→騎士→平民の順であるが、王や諸侯は自身が騎士を兼ねている。
ちなみに、最上位の諸侯である公爵であっても、最下位の男爵に身分で勝るものではない。
どちらも等しく諸侯であって、両者を隔てるのはあくまで格式である。
そんな身分であるが、厳密に言えば諸侯までが貴族とされる。
単なる騎士はあくまで戦闘技能職であって、法的には貴族身分ではない。
もっとも、それは小難しい法理論を持ち出した上での話であって、平民から見れば騎士も貴族と大して変わらない。
この諸侯を兼ねていない純粋の騎士こそが準貴族であって、宮廷においても一定の格式が認められていた。
さて、この準貴族に当たる騎士であるが、平民との間にもう一つ、入れ子構造のような身分が存在していた。
それが従騎士や従卒である。
この両者をざっくり説明すると、従騎士が騎士見習いの初級士官で、従卒が雑兵を束ねる下士官と言えた。
従卒から従騎士に成り上がることも不可能ではないし、従騎士から騎士への昇進はもっと容易い。
だがしかし、本題は従騎士になれば、概ね騎士――すなわち準貴族として扱われる点である。
サラの狙いは、正にそこであった。
…――…――…――…
「でもよぉ~……」
不満タラタラに、ジーンが口を開いた。
「だったら、俺の従卒になればいいんじゃね? そもそも、お前は騎士じゃねーだろ?」
もっともなジーンの疑問である。
サラは貴族令嬢ではあっても、騎士ではない。
騎士を叙任できるのは、騎士に限られている。
「ええ。ですから、父の従卒にします」
シレっと言ってのけたサラである。
「そんなお前、何の断りもなく――」
「いいえ」
ジーンの言葉を、サラが遮った。
「ちゃんと根回しはしてあります」
「え? いつの間に?」
「王都に着いてすぐですよ。父に手紙を出して了承を得ましたし、法務省や宮内庁にも話は通してあります」
「相変わらず仕事が早いな……って、ううん? あれれ?」
サラに感心しつつ、ジーンが頭を捻った。
「うーん……」
そのままジーンが考え込んで、3分が経った時である。
「ああ! そういうことか!」
ジーンが顔を上げた。
「何が『そういうこと』なのですか?」
サラが聞く。
「いや、そのな――」
答えながら、ジーンが続ける。
「要するにお前、最初から俺の意見なんて、聞くつもりなかったんだなーって――」
「ほら、ジーン! 馬車が止まったままですよ!」
ジーンの気付きをサラが遮った。
「お、おう」
ジーンが鞭を入れて、ロシナンテが再び歩き出す。
いよいよ本降りになった雨を、馬車がゆっくりと進んでいった――。




