第八話 サラと真犯人(前編)
◇◇◇◇
「ジーンの言った通りですね」
ナオミの勝利に、サラが満面の笑みを浮かべた。
「それにしても、見事な闘技でした。あの流れるような動きは、明らかに体系立ったもの。ひょっとして、あれが貴方の自信ですか?」
「ああ。ファルコナー流の拳闘では、全身を使うんだ。ついでに言えば、投げ技にも対応している」
サラの質問に、ジーンが答える。
「なるほど。それにしても、驚いたのはナオミです。たかだか、数カ月の修練でしょう。まさか、あれほどまで上達するとは」
サラが舌を巻いた。
「……いいや、それはちょっと違う」
「え?」
否定するジーンに、サラがきょとんとした。
「実力で言ったら、アレクサンドラの方が遥かに強い。ナオミなんて、足下にも及ばないぜ。賭けてもいいけど、もう一度やったらアレクサンドラが勝つ。何回やっても同じだろうよ」
「それなら、またどうして?」
「……往々にして、人間って未知の物に対処出来ないからなー。見たことも無い技に不意を突かれたんだよ。そもそもの話、打撃技は速習性が高いしなー。最初に景気のいい一撃をもらったら、達人でも立て直しは難しいんだ」
「ううむ……。その理屈は分からないでもないですが――」
「それともう一つ」
言いかけたサラを、ジーンが押し止めた。
「アレクサンドラの体格だよ」
「体格?」
「ああ。アレクサンドラも女にしては破格に背が高い。多分だけど、ナオミに出会うまで、自分よりデカいヤツと戦ったことねーんじゃないか?」
「でも、それはナオミも同じでは?」
「俺はナオミに『自分より大きい奴も想定しておけ』って、日頃から注意してたからなー」
「……なるほど」
ジーンの持論に、サラが納得した。
諸々の条件が重なって、ナオミに有利へと働いたのである。
「うーん、ナオミ嬢ちゃんに決まりか……」
あくまでも、アレクサンドラにご執心なマリアである。
「おっと、言い忘れていました」
サラが言って、続けた。
「武勇伝と言う意味では、ナオミも負けてはいませんよ」
「え? そりゃあ、どういう意味だい?」
思わせぶりなサラに、マリアが喰い付いた。
「まだ王都には伝わっていないようですが……。ナオミはその通り名を『牛頭人のナオミ』といって、単独で牛頭人を倒した辺境の女丈夫なのですよ」
「牛頭人って、牛の頭をしたお化けのことかい?」
「はい」
「身の丈2メートルは簡単に越えるっていう?」
「その通りで。ナオミ本人よりも大きいくらいです」
「筋肉ムキムキな?」
「もちろん。それはもう、御子息が見劣りするくらいの筋肉ダルマでしたね」
「うん! 気に入った!」
サラの説明に、マリアはあっさりと手の平を返した。
この時、「よくよく考えると、ひっでー通り名だよなー」とジーンが小言を垂れたが、2人に届かなかったのは言うまでも無い。
◇◇◇◇
「1人目はナオミ嬢ちゃんで決まりだね! あ、リンゴ食べる?」
マリアが言って、手荷物からリンゴを取り出した。
「いただきます」
サラがリンゴを受け取った。
「母ちゃん、俺の分は?」
「あんたのは無いよ」
ジーンが聞くも、マリアはにべもない。
「それはそうと、何か揉めているみたいですね」
サラが指さしたのは、広場にいるライオネルである。
部下の衛兵たちと、ライオネルは押し問答を繰り広げていた。
「あー……、何か次の射撃部門で揉めてるみたいだなー」
「あんた、この距離から声が聞こえるのかい?」
ジーンの言葉に、マリアが驚いた。
「ジーン……じゃなくて、御子息は耳がとてもよろしいのですよ」
サラが補足する。
「そうだったのかい。道理で色々と察しがいい子と思ってたら……」
「ご存じなかったのですか?」
「物心つく前から、手の内は明かさない性質だったからねぇ……。戦士としては、それがベストなんだろうけど」
「そうでしたか……。それはそうとジーン、彼らは何と言っているのです?」
マリアに納得しつつ、サラが聞く。
「いや、さすがにこの距離だと、ちょっと聞こえにくいんだけどな……。『いや、今更そんなこと認められん』とか、『そうは言っても志願者が殺到しています!』とか言ってるなー」
「ああ、なるほど……」
ジーンの台詞で、全てを把握したサラである。
「え? 今ので分かったのか?」
驚きながらジーンが尋ねる。
「ええ。察するに、ナオミの試合で棄権した連中が、射撃部門に殺到したのでしょう」
「ああ、そういことか」
サラの解説に、頷くジーン。
「サラのお嬢ちゃんは、本当に頭がいいねぇ」
目を見張るマリアであった。
「そうとなれば話は早い」
言うやいなや、スクっと立ち上がるサラ。
「ちょっと、話をつけてきます」
手の平でリンゴを弄びながら、サラが席を立った。
「行ってらっしゃい……って、うん?」
サラを見送ったジーンの視界に、不審な人物が映った。
ジーンたちから見て向いの席から、立ち上がる男が一人。
特徴的な執事服を着た老人は、アンナの浴場にいた執事である。
アンナの父親に随行していないことから、ひどく不自然であった。
「あいつ、何してんだ?」
目を凝らして、ジーンが執事を見据える。
と同時に、ジーンを一瞥して、執事も観客席から消えた。
「おいおい、まさか!」
「どうしたんだい?」
「ちょっとトイレ!」
「早く帰って来るんだよ」
首を傾げるマリアを置いて、ジーンがサラの後を追った。
観客席を離れて、サラが地下へと潜った。
闘技場の構造上、一度地下を通らねば、広場に行くことは叶わない。
「はてさて、どのようにすれば、皆さん納得するのでしょうか?」
廊下を歩きながら、サラが独り言ちた。
「それにしても、いやに静かですね……」
言いながら、サラが足を止めた。
石造りの廊下は、シンと静まり返っている。
横道に入れば、職員の事務所や選手の控室などがあって、多少なりとも人通りが見られるはずである。
「まさか……」
サラが怖気を感じた時である。
「むぐっ……!」
何者かがサラを羽交い絞め、口に布を詰め込んだ。
それと同時に、黒ずくめの覆面たちがワラワラと湧いて出た。
その数は全部で5人である。
「む、むうぅぅ……!」
必死に抵抗するも、そのまま組み伏せられるサラ。
そのまま、サラが後ろ手に縛られようとした時――。
「ゲフゥッ!」
サラを組み敷いていた覆面が、盛大に血を吐いた。
「プハァッ!」
倒れた覆面から逃れ、詰め物を吐き出すサラ。
「ジーンですか……って、いや、違う」
サラが顔を上げるも、予想した人物はいなかった。
果たして、そこにいたのは小柄な男であった。
こちらもまた覆面を被った男は、身長160センチほどで、執事服を纏っている。
片手で仕込み杖を構える姿は、眼光鋭く堂に入っていた。
「早くお行きなさい」
サラを庇いながら、男こと執事服が言った。
「すぐにジーン様も来られます」
「……分かりました」
その場を執事服に任せて、サラが広場へと向かった。
◇◇◇◇
「くそっ!」
覆面が毒づいて、刺突短剣を取り出した。
「遅いっ!」
言うや否や、執事服が地面を蹴った。
身を低くして、下から突き上げるような執事服の刺突が、覆面の心臓を捉えた。
「ぐっ……!」
胸を押さえたまま、覆面が動かなくなった。
「……おい」
「ああ」
「そうだな」
残った3人の覆面が目配せして、執事服と距離を取る。
「むぅ……」
用心深くなった3人に、執事服が唸った。
その時である。
ビュンと風を切って、何かが飛んできた。
「くぁwせdrftgyふじこ!」
ゴンと音がして、覆面の1人が頭を押さえてのた打ち回る。
そんな覆面の足下には、直径10センチほどの石が転がっていた。
「お前ら、何してやがんだ!」
石を投げた張本人――ジーンが、怒鳴りながら躍り出た。
「ちっ!」
舌打ちをして、ジーンに付きかかる覆面。
もっとも、それを簡単に躱すジーン。
「甘いわっ!」
覆面の腕を掴んで、ジーンが盛大に背負い投げる。
「ゴフッ!」
背中を地面に打ち付けて、覆面がむせ返る。
「このっ!」
最後の覆面が、ジーンに追撃をかけた。
「ほらよ」
投げ飛ばした覆面を引き起こし、盾にするジーン。
「くそ……」
最後の覆面が、怯んだ瞬間である。
「せいっ!」
「ぐっ――!」
執事服が背後から、最後の覆面を貫いた。
最後の覆面は、そのまま動かなくなった。
「さてと――」
盾にした覆面の首をポキリと折って、ジーンが執事服の方を見た。
「どうにも、敵じゃあないみたいだが……。説明してもらおうか? アンナのところの執事さん?」
「おやおや、バレておりましたか」
ジーンに促され、執事服が自身の覆面を取った。
現れたのは、浴場を任されていたシュバルツワルト家の執事である。
「バレるも何も、あれだけ露骨だったらなー」
「はて、何のことでしょう?」
ジーンの言葉に、しらばっくれる執事。
「とぼけるなよなー。大体隠し通すつもりなら、まずその服装をどうにかしやがれっつーの」
「……混戦状態ですと、敵味方の判別がつきかねますからな」
「俺のためか?」
「そうかもしれません」
ジーンの追及に、執事が真面目に答えた。
「なるほどなー。で、こいつら一体何?」
聞きながら、ジーンが覆面の死体を指さした。
「ロードナイト家の手の者ですな」
「ロードナイトって、アレクサンドラの?」
「はい」
「ひょっとして、以前サラを狙ったのも?」
「おそらく」
「何で分かるんだ?」
「個人的な昔の伝手で分かるとしか……。これ以上はご容赦ください」
「ふーん……」
執事の説明に、訝しむジーンであった。
「お疑いでしたら、生き残りに聞いてみては?」
執事が指さしたのは、頭に石を食らった覆面である。
うずくまっているものの、襲撃者唯一の生き残りであった。
「おっと! 危ねー危ねー」
ジーンが胸を撫で下ろす。
「また全員殺すところだった」
「おやおや」
物騒に吐き捨てるジーンを、感心して見つめる執事である。
「最後に、もう一つだけ聞きたいんだけどよ」
生き残りを捕縛して、ジーンが尋ねる。
「何でしょう?」
執事が顔を上げた。
「何であんたまで、そんなの被ってたんだ?」
ジーンの指摘は、執事の覆面である。
「ああ、これですか」
執事が続けた。
「平たく申しますと、私の流儀ですな」
「流儀?」
「はい。殺し……もとい私のいた世界では、面が割れるのが何より致命的ですから。表情も隠せて両得ですし、老骨には慣習が染みついておるのです。これ以上は――」
「『ご容赦ください』だろ? 分かったって」
執事の言い分を、ジーンが受け入れる。
「私からも一つ、よろしいですか?」
今度は執事から切り出した。
「この後をお任せしたい」
「それはまた、どういう――」
執事の要求に、ジーンが首を傾げた時――。
「若、そこにいるのは若ではありませんか? これは一体?」
近衛隊がゾロゾロと集まり始めた。
「ああ、そういうこと。あー……、お前ら、こいつらは賊だ。しょっ引け」
納得して、ジーンが近衛隊に理由を話した。




