第二話 ナオミの身の上話
◇◇◇◇
今日も夜が明けて、メイドの仕事が始まります。
「おいおいおい! これはどういうことだ?」
「どうもこうも、全て貴方の責任でしょうに」
今、床掃除をしている私の目の前で、二人の恩人が喧嘩をしています。
一人は筋肉が凄い男の人で、名前をジーン・ファルコナーさんと言います。
ちなみにですが、ものすごく強い私の雇い主です。
「まったく、見栄を張ってデカイ家を買うからこうなるのです」
ジーンさんを嗜めるのは、びっくりするくらい綺麗な女の人で、サラ・ブラッドフォードさんと言います。
とても小さい人ですが、驚くことに貴族様の跡取りと聞きます。
有名な学者さんでもあるらしく、話し方もどこか偉そうなのは、私の気のせいでしょうか?
「収入と支出のバランスを考えなさい。このままでは、破産しますよ」
「言われなくても分かってるって! ああ、ここのところ羽振り良かったから、金銭感覚が狂っちまった!」
私には難しいことは分かりません。
ですが、穏やかではないことだけは分かります。
「そもそも、騎士の教養に経理は必須でしょう」
「俺はもう騎士じゃねーし、そんなのほとんど習ってねーんだよ!」
「うん? それはおかしいですね?」
「ほら、ファルコナー家って代々城勤めだろ……」
「ああ、要するにお役人ですもんね。道理でどんぶり勘定な訳です」
「領地持ちとは訳が違うからなー。金勘定なんて畑違いだし、実際家計は火の車……って、そんなこと言ってる場合じゃねーっ!」
サラさんに追い込まれて、ジーンさんが頭を抱えました。
ここまでくれば、お金に困っていることだけは、私にも分かります。
ひょっとしたら、私にも手伝えることがあるかもしれません。
勇気を出して、言葉をかけようと思います。
「あ、あの~」
……ああ、またやってしまいました。
おどおどと話しかけるのは、私の悪い癖です。
「うん? どうした?」
先ほどとは打って変わって、ジーンさんがニッコリとほほ笑みました。
こういう時のジーンさんは、とても魅力的で、思わず胸が高鳴ってしまいます。
「私のお給金を削ってはどうでしょう?」
「いや、有難いんだけどな……」
私の申し出を、ジーンさんが渋ります。
「意味がありません」
サラさんが代わって答えます。
「すべてはこの男の身から出た錆。貴女が気にすることはありません。そもそも、そんなはした金で、どうこうできる問題ではないのです」
「……分かりました」
こう言われては、引き下がるしかありません。
正直な話、私はサラさんがちょっと苦手です。
いえ、別に嫌いとかではありません。
色々と知らないことを教えてくれたり、女の人同士でしか出来ない会話をしてくれたりと、むしろ感謝しているくらいです。
でも、何と言うか、ほんのちょっぴり怖いのです。
もちろん、ちゃんと理由があります。
サラさんは、いつも睨み付けるような目つきをしていますし、どこか威圧感が漂っているのは紛れもない事実です。
もっとも、そんなことを感じている一番の理由は、私たちの不幸な出会い方にあると思います。
それを説明するために、少し私の身の上話に付き合ってもらえたら嬉しいです。
◇◇◇◇
私――ナオミ・ベイリーは、人の世界で育っていません。
魔物が住む森の奥深く――一般的には外界と呼ばれる場所の隠れ里に住んでいた、特殊な部族の出身です。
これは里の大人たちが言っていたのですが、私たちの一族は、およそ200年前までルーツを遡ることが出来るらしいです。
当時、とある国があったのですが、そこから送り込まれた開拓団が、私たちのご先祖なのです。
男の人女の人問わず、国中から強い戦士が集められました。
ですが、森の探索中に本国と連絡が取れなくなって、あちこちを彷徨う羽目になったと聞いています。
最初は300人以上いた戦士たちですが、森を進む途中で魔物に襲われて、どんどんと数を減らしていきました。
屈強な戦士にとっても、魔物は危険です。
魔物は大きかったり、特別な力を持っていたりと、簡単にはやっつけられません。
そもそも、戦士たちは慣れない森の中です。
食べ物どころか飲み水にも苦労して、みんなヘトヘトです。
見たこともない病気に罹りますし、本当に散々な有様でした。
それに比べて、魔物にとっての森は、お家みたいなものです。
お腹いっぱいで元気な魔物は、弱った戦士たちを次々と殺してしまいました。
気が付けば、戦士は半分ほどに減っていました。
そんな彼らが、『もう駄目だ』と思った時、ある場所を発見します。
木々がなぎ倒されたそこは、開けた平地になっていました。
しかも、魔物の寄り付かない不思議な場所です。
こうして、私たちのご先祖は、新天地に行き着きました。
故郷との連絡が取れなくなって、ようやく開拓に取り掛かれたのは、皮肉なことだと思います。
それから村作りが始まりました。
土を耕し作物を育て、たまには魔物を狩って食べたりもしました。
それでも、厳しいことに変わりはありません。
例えば子育てです。
子供が育っても、親が無事とは限らないのです。
大体の親が、子供が大きくなるまでに死んでしまいます。
こんなことを言う私も、孤児の一人です。
両親と子供という家族は、一般的ではなくなりました。
時には血の近い者同士で子供を作り、たまに迷い込んでくる遭難者さんを迎えて、村は200年も続きました。
ちなみに、遭難者さんについては、私も会ったことがあります。
開拓団の出身者に比べて、だいぶ小柄だったのは、今でもよく覚えています。
そういう人たちから話を聞いて、人界は小人さんのいる平和な世界なんだと、勝手に憧れていたのは、今思うと少し恥ずかしいです。
さて、そんな村にも終わりが来ました。
物凄く大きな魔物が、群れになって襲ってきたのです。
長い首と尻尾を持つそれは、おとぎ話に聞く竜です。
竜は家を叩き潰し、吐く息で人を溶かします。
空からも羽の生えた別の竜が襲ってきて、村は悲鳴に包まれました。
厳しくても平和な村は、あっと言う間に地獄になったのです。
後になって知ったのですが、私たちの村は元々竜たちのお家だったそうです。
道理で魔物が寄り付かない訳です。
200年ぶりに帰ってみれば、私たちが住み着いていたので、怒ったのでしょうか?
勝手に居座った私たちが悪いかもですが、本音を言えば、殺す必要はなかったんじゃないかと、文句を言いたい気分です。
でも、こんな目に遭っても、生き残った人はいます。
そういった人は、散り散りになって森に逃げ込みました。
もちろん、私もその一人です。
こうして、私は森を彷徨うこととなりました。
ご先祖以来の大遠征ですが、たった一人の心細い旅です。
碌な荷物もありませんし、武器も持っていません。
もっとも、私は武器を使えないので、これに関しての意味はなかったでしょう。
私は三日三晩歩き続けました。
東に人里があるという噂があったので、それを頼りに進んでいきます。
そして、4日目の朝のことです。
森を抜けた先に、一本の道を見つけました。
獣道ではなく、明らかに人の手が入った物です。
「助かった!」
私が安心した時です。
ガチャリと音がして、左足に痛みが走りました。
「え?」
足を見ますと、トラバサミが噛みついています。
幸いにもブーツのお陰で、怪我は大したことがありません。
「ちょ、ちょっと!」
慌てて外そうとしますが、一人ではどうにもなりません。
「誰か! 助けてくださーい!」
私が悲鳴を上げた時です。
ゴソゴソと薮が鳴って、誰かがやって来ました。
「何だ何だ?」
「一体どうした?」
現れた人たちを見て、私は息を呑みました。
合計で5人の男の人たちです。
背丈は私の胸までしかありませんが、どの人たちも目つきが鋭いのです。
はっきり言って、悪者に見えます。
「何だこりゃあ?」
「デカいな……。これが巨人ってやつか?」
私を値踏みして、全員が距離を詰めてきました。
「獲物に逃げられたばかりだし、丁度いいな」
「あのお嬢様も、これなら満足するだろうよ」
男たちは言いながら、手に縄を持ちました。
「あ、あの、私は人間です! まだ16歳ですよ!」
「うるせーっ! そんなデカいガキがいるか! 野郎ども、やっちまえ!」
「おうっ!」
「何をするんですか! 止めてください……むぐぅっ!」
こうして、私はあっと言う間に捕まってしまいました。
いくら相手が小さいとはいえ、私はただの女の子です。
しかもトラバサミのせいで、まともに動けません。
ろくな抵抗もできず、簀巻きにされてしまいました。
目も口も塞がれて、何一つ抗議できません。
「いやぁ、いい獲物が取れたぜ」
一つだけ分かったのは、私が誰かに売られようとしていることです。
◇◇◇◇
その後はあっと言う間でした。
何やら、女の人と取引したと思うと、荷車らしい物で運ばれてしまいました。
ミイラみたいに包帯で巻かれて、箱詰めにされたとあっては、音で察するしかありません。
そうこうしているうちに、荷車が止まりました。
頃合いを見て、体を動かしてみると、物騒な話声が聞こえます。
「ジーン、バールを持ってきてください。それと、私の弩も。ちゃっちゃと、ここで片付けましょう」
今でも覚えている、サラさんの声です。
…――…――…――…
そんなこんなで、私は今でもサラさんがちょっぴり苦手です。
とは言っても、今はこうしてメイドとして働けてますので、ちゃんと感謝はしています。
もっとも、最初から優しかったジーンさんに惹かれるのは、どうしようもないことだと思います。
「一つ、いいアイデアがあります」
頭を抱えるジーンさんを置いて、サラさんが言いました。
「ナオミ」
「は、はいっ!」
突然話しかけられて、モップをへし折りそうになりました。
危ない危ない。
これ以上、物は壊せません。
「貴女、ジーンを助けたくはありませんか?」
サラさんの問いに、私はコクコクと頷きました。
「でしたら話は早い。ちょっと出かけますよ。着いてきなさい」
「あ、はい! ちょっとお待ちを!」
サラさんを追いかけて、私は外へと出ました。
南部商業者組合が館を借りたのは、このすぐ後の話です――。




