第5話
鏡の中の美少女は、私が口角を上げると同時に、ひどく冷ややかで、それでいて毒々しいほどに美しい笑みを返してきた。
アンネ・ローゼ。この子の外見は、武器になる。
そして私の前世の経験――理不尽な上司や取引先を笑顔でいなしてきた処世術は、この世界では防具になるだろう。
「お嬢様……お召し替えが終わりましたら、旦那様へお取次ぎいたしますね。ですが、本当に、よろしいのですか?」
マリーが心配そうに私を覗き込む。
彼女が心配するのは無理もない。
今までのアンネちゃんなら、両親に会えば「どうして構ってくれないの!」と泣き喚くか、無視されて傷つくだけだったのだから。
「ええ。お願い。……ああ、その前に。図書室へ案内してくれないかしら」
「図書室、ですか?」
「そう。お父様にお会いする前に、この国のこと、このローゼ家のことを、きちんとおさらいしておきたいの。今まで、あまりにも無知だったから」
マリーは驚いたように目を見開いたが、すぐに嬉しそうに頷いた。
「畏まりました。……お嬢様がそのようにお考えなら、マリーはどこまでもお供いたします」
アンネ・ローゼの記憶によれば、この屋敷の東棟にある図書室は、並の学者の書斎よりずっと立派なものらしい。
廊下を歩く間、すれ違う使用人たちが、私を見るなりびくりと肩を震わせて道を開ける。
今朝のフレデリカたちの件は、もう知れ渡っているようだ。
私は彼らに視線すら向けず、優雅に、かつ背筋を伸ばして歩を進めた。
図書室の重厚な扉が開くと、古い紙とインクの香りが鼻をくすぐった。
天井まで届く本棚。梯子。
私は適当な歴史書と、貴族年鑑、そして、宗教学の本をマリーに取らせた。
「お嬢様、これらをお読みになるのですか? まだ少し難しいのでは……」
「いいのよ、絵を見るだけでも。マリーは少し席を外していて。集中したいから」
渋るマリーを下がらせ、私は一人、読書に没頭した。
驚いたのは、アンネ・ローゼのポテンシャルだ。
子供の脳というのはスポンジのようなものだとは聞いていたが、一度目を通した内容が、恐ろしい速さで理解できる。
この世界はルナリアと呼ばれ、4つの大国が均衡を保っていること。
私の家は、そのうちの1つ、帝国の重鎮であること。
そして――。
「……こんな小説みたいな世界なのに魔法はないのね。それから、悪魔、か……」
私は本を閉じ、自分の白い手を見つめる。
あの赤目の男は言った。 『君の魂をあの子からもらった』と。
アンネちゃんも言っていた。『誰かに入れられた魂なんて』と。
私は『アンネ・ローゼ』の体に入れられている。
いわゆるホラーで言うところの、「お前、乗り移られて……?」とか言う状態だ。
まあ、私は乗り移らされたんだけど。
今は、誰にも気づかれていないけれど、気は抜けない。
私は殺されてしまっているから、この体から追い出されたら、どこに行くのかわからない。
怖い。
絶対に知られないようにしないと。
そして、アンネちゃんのように嫌われすぎてもいけない。悪魔憑きとか言われても困るもの。
「まずは、お父様に使えると思って貰わなければ、ね」
アンネちゃんの記憶から、お父様の姿を思い出す。
あの男は、『私』に気づくだろうか……?
いや、ありえないか。
マリーですら、まだ気づいていないのだから。
扉の向こうから、マリーが呼んでいる。
どうやら、父の準備が整ったようだ。
「今、行くわ」




