第4話
翌朝、天気は快晴。
磨りガラスの向こうには、雲一つない青空が広がっていた。
昨夜は、眠れない夜を過ごすことになってしまった。
熱はすっかり下がっているようだったが、夜マリーが下がった寝室で、ひとりベッドに潜っていると、考えごとが止まらなかった。
家族や友人は、急に死んでしまった私を悲しんでいるだろう、とか。
葬式はどうしたろう、とか。
職場は大丈夫だろうか、なんて。
もうどうしようもないことを。
これからを考えると、不安が消えない分、余計に。
透明度の低いガラス窓の向こうをぼんやり眺めていれば、今朝も控えめなノックの音が聞こえた。
こんこんこん。
「お嬢様、起きていらっしゃいますか?」
マリーたち専属侍女が、朝の支度に来てくれたのだろう。
確かに、すでにアンネちゃんが起きて侍女を呼んでいた、いつもの時間を過ぎている。
「ええ、入っていいわ」
「失礼致します」
入室してきたのは、三人の侍女。
彼女らは、入室すると、並んで礼をし、アンネの朝の支度を始めた。
マリーは、最後に入室し、重い湯桶を持っているところを見ると、この中では地位が低いのだろう。
彼女らは一様に緊張しているようだった。特に昨日いなかった二人は。
アンネちゃんは、めざとい子だったから、彼女らが雑な仕事をしようものなら、辛く当たった。
そうでなくても、貴族子女のそば付きなんて、エリートではあるが、主人一家の気にさわれば即解雇。下手すれば紹介状もなしに、職を失うのだ。
まあ、それは下女に至るまで、全ての使用人がそうだが。
「フレデリカ、セレーネ。貴女たちは手伝わなくていいわ。
そうね、マリー。支度は貴女がやって。一人でもできるわよね?
今日は時間がかかってもいいわ」
セレーネから、水を受け取りながら、昨日いなかった二人を制止する。
「はい、お嬢様」
にこにこと請け負うマリーに一瞬呆れ、「よろしくね」と任せた。
さて、言い訳を聞こうではないか。
アンネ・ローゼを、アンネちゃんより上手くやらなくてはならないが、優しい主人と、甘やかしは違う。
「フレデリカ、セレーネ」
呼ばれた二人は、私の前で震えて固まっている。
「それで? 昨日顔を出さなかった言い訳を聞いてあげるわ。
上手く囀ることね」
「……っ、そ、それは、その……」
フレデリカとセレーネは、顔を見合わせて言葉を詰まらせた。
無理もないわよね。今までのアンネちゃんなら、言葉を尽くす前に物を投げるか、ただ喚き散らして終わりだったもの。
冷静に「説明をしろ」なんて、彼女たちにとっては想定外の恐怖でしょう。
「お、お嬢様が寝台でお休みでしたので、私たちはその、お茶会の準備の打ち合わせに……」
「そう、打ち合わせ。セレーネ、あなた昨日は『予備のシーツを確認しに行く』ってマリーに言わなかったかしら?」
私の指摘に、セレーネの肩がビクッと跳ねる。
アンネ・ローゼの記憶は、意外と細かい。彼女はわがままだったけれど、周囲の動向を観察する目は鋭かった。ただ、それを「怒り」としてしか出力できなかっただけ。
「打ち合わせという名の、給湯室での油売り。……マリー、この屋敷では主人が生死の境を彷徨っている時に、侍女が茶菓子をつまみながらお喋りするのが『マナー』なの?」
マリーは困ったように眉を下げたが、毅然と答えた。
「いいえ、お嬢様。それはあってはならないことです」
「そうよね。……ねえ、二人とも。私は何も、あなたたちにマリーのような『献身』を求めているわけじゃないの」
私はベッドの上で足を組み、冷めた目で彼女たちを見据えた。
幼い子供の体なのに、中身が三十路手前の社会人だと、威圧の仕方も「感情」ではなく「論理」になる。
「あなたたちは仕事をしに来ているのでしょう? なら、せめて給料分の働きはしなさい。主人が倒れた時に持ち場を離れるなんて、解雇されても文句は言えないわよ」
「ひっ……! ご、ご容赦ください、お嬢様!」 二人はたまらず床に膝をついた。
今まで、アンネちゃんがどれだけ怒鳴っても、彼女たちはどこかで「子供の癇癪」だと高を括っていたはずだ。けれど、今の私の声には「実行力」が伴っていることを本能で察したのだろう。
「……次は、ないわよ。下がって頭を冷やしなさい。私の視界に、働く気のない人間を入れないで」
二人は何度も頭を下げながら、逃げるように部屋を飛び出していった。
静かになった部屋で、私はマリーに向き直る。
彼女は、驚いたような、それでいてどこか嬉しそうな、複雑な表情で私を見ていた。
「お嬢様……。なんだか、急に大人びてしまわれましたね」
「そうかしら。……死にかけたせいか、馬鹿らしくなっただけよ。マリー、髪をすいて」
鏡に映る金髪の美少女。
アンネ・ローゼは、私に「上手くやって」と言った。
わがままな子供を演じるのは疲れるけれど、都合のいい「人形」になるつもりもない。
「ねえ、マリー。支度が終わったら、お父様とお母様に伝えくれる?
私、そろそろマナー以外も学びたいわ」
まずはこの世界の知識をかき集めないと。
あの赤目の男によれば、私を殺した女はこの世界のどこかにいるという。
彼らの思い通りになんて、ならないんだから。
鏡の中の私は、「アンネ・ローゼ」として微笑んだ。




