第2話
何度目かの目覚め。
私が瞼を開ければ、閉められたカーテンから漏れ出る光が、眩しかった。
寝起きのぼんやりとした頭のまま、むくりと上体を起こす。
私は?
ここは?
見慣れない部屋の様子に、一瞬混乱し、そして、私は、『アンネ・ローゼ』として生きることになってしまったことに、眉間を寄せた。
あの鬼女に刺されてから、ろくなことがない。
あの赤目の男も、アンネちゃんも、もちろんあの女も。
全員が全員、身勝手すぎる!
結局流されてる私も私だけど……。
私が深々とため息を吐いた瞬間、またマリーがやってきた。
なんというか、ある意味タイミングのいい子だな。
呆れる思いで、ノックに応える。
「入っていいわ」
眠っているはずの部屋の主人からの答えがあったことに驚いたのか、何やら物音が軽くして、静かに扉が開いた。
「失礼致します」
入ってきたのは、以前目覚めた時同様、長い茶髪を引っ詰めた若い女性。
アンネちゃんの専属侍女の一人、マリーだ。
一番アンネちゃんに親身になって、立場に許される限り優しくしてくれて、そして一番近いからこそ一番辛く当たられてきた女性。
「無事にお目覚めになられたのですね! ようございました。 ……本当に良かった。いっときは高熱が出て、マリーは心臓が縮みあがりました。 お加減はいかがですか?」
震えるような、溢れ出る喜びの声で、マリーはそう言った。
とても演技には見えない。
本心からの言葉だろうと、信じさせるだけの感情がこもっていた。
だからこそ、わからない。
どうして、あなたは辛く当たる『アンネ』に優しくできるの?
気を配るの?
幼いアンネちゃんは、自分に精一杯で、イマイチわかっていなかったけれど、大人の私だからこそわかる。
マリーの優しさは、仕事の範囲を超えている。
癇癪持ちで、高慢ちき。
おまけにわがままな、いやな子供の典型例みたいなアンネちゃんは、周囲に嫌われていた。
同世代の子供達はもちろん、侍女や執事、家の雑事を回す下女に至る大人たちまで。
そう、マリー以外は。
「具合は、もう悪くないわ。どこも痛くない」
私がそう答えると、マリーは何処となく安堵したようだった。
「そうですか。だとしても、本日まではお嬢様はベッドの上で、大人しくなさらないと。治ったと思った時が、何事も肝心ですからね。お呼びくだされば、すぐにこのマリーがおそばに」
「わかっているわ」
「では、医師を呼んで参ります。お嬢様、『いつもの』ですよ」
『いつもの』?
一瞬首を傾げた私に、マリーはおどけて言った。
「忘れてしまいましたか?『何かあったら、何もなくても、いつでもマリーを呼んでください』。 お嬢様、約束ですよ?」
そうだ。
いつもマリーはそう言って、アンネちゃんの元を去った。
きっと、彼女が寂しくないように。
寂しくなったら、苦しくなったら、いつでもそばに行けるように。
私はそれを反故にしないことの難しさを察して、言葉を失った。
現代日本で言うならば、二十四時間相談サービスのようなものだろう。
相手はアンネちゃん一人とはいえ、並大抵の覚悟や努力では難しいのではないだろうか。
戸惑いながら頷いた私に、マリーは微笑んで去っていった。
この子の実親たちより、よほどマリーの方が、アンネちゃんの『親』をしている。
それでも、アンネちゃんは、得られない両親の愛を求めていた。
すぐそばの愛情に気づかなかった?
いや、マリーと出会うまでにもう愛を信じられなくなっていたんだ。
マリーの愛情を確かめようとして、マリーにあたってしまう。
その行為が、周囲へのもどかしさからくる癇癪と同一視され、アンネ・ローゼが、マリーを大事にしていないように見えてしまう。
アンネちゃんは目端はきくから、大切なマリーの扱いの悪さに気づいてしまい、また苛々。
悪循環だ。
私は、ベッドの上で、マリーと医師を待ちながら、思考を巡らせる。
アンネちゃんの行動は理解できる。
幼さゆえにどうしていいか分からず、マリーを守りたくて、『アンネ』を手放したんだ。
しかし、記憶を掘り起こすほど、分からなくなる。
どうして、マリーは、そんな雇い先の嫌な子に情を砕けるの?
私は大きなため息を吐いた。
この疑問も、あの男女の思い通りにならない方法も、一つ一つ解決していくしかないか。
マリーに聞くにしても、流石にそこまで信頼は高くないだろう。
愛情と信頼は全くの別物だもの。
大抵の親が、子供の「宿題終わった」を信じていないように。




