第1話
少女は瞼を開き、上体を起こす。
背が汗でぐっしょりと濡れていた。
私は荒い息を繰り返し、生々しい死の感覚を振り払おうと頭を振った。
どうやら死んだのに、目が覚めたらしい。意味がわからない。
私はあの女に刺されて―――あれは夢?
私は刺されたお腹を確認しようと、腹部をさする。
傷が、血が、凶器が、
―――ない?
あれが夢?
あの女は一度だけでなく、二度、三度と、倒れた私にまたがって、幾度も念入りに刺殺したのに?
あの鬼女のような妄執が私の想像上のものでしかない?
私を刺して、そして、線路の上に笑いながら落ちていったあの女が……?
―――そんな、そんなはずがない。
この生々しい死の感覚が、経験したものでないなんて、ありえない。
あの女が、私の妄想だなんて、そんなことはないはずだ。
あれは夢なんかじゃない。
なら、なんで私は生きてるの?
私は、そこでようやく周囲を見回した。
モノトーンを基調とした西洋風の広い部屋。
私が横たわっていた天蓋付きの大きなベッド。
床に敷かれた豪奢な刺繍の施されたカーペット。
三面鏡のドレッサー。
おそらくウォークインクローゼットに繋がる、壁一面の扉。
その一つ一つの家具の細工の細やかさ、見事さに、私は唖然と息を呑んだ。
「なに、これ」
私の喉を震わせてまろび出た声の、聞き慣れないことにも気づかず、私は夢見心地のままベッドから降り、フラフラとドレッサーのそばまで歩み寄った。
特に意味があったわけでもない。
けれど、私は鏡に映った私の姿に目を丸くした。
「なによ、これ」
染めて傷みのある茶髪も、焦茶の目も、大人の日本人女性の姿は全く映っていない。
鏡に映っていたのは、金の巻き毛の幼子だった。
小学生低学年くらい、おおよそ五歳を過ぎた頃だろうと思われる。
まだニキビのない白磁の肌。
マスカラどころか、つけまつげをつけたようなバサバサのまつ毛も、金毛で。
頬はチーク要らずのほのかなピンク。
唇は血色が良過ぎて、紅を引いたよう。
絵に描いたような美少女が鏡の前に立っていた。
どうなっているの?
私は刺されて殺されたはずよね?
それが知らない少女になっているってどういうこと?
幽霊になって、取り憑いた……にしては、そんな覚えも未練もないのよね。
自問自答する思考についていけないうちに、今度は部屋の扉がノックされた。
「お嬢様、お目覚めの時間です」
繰り返すノックの合間に、柔らかな女性の声がした。
使用人らしき女性が来てしまったらしい。
どうしたらいいのかな?
私が戸惑っていれば、「失礼致します」の声と共に、扉が開いた。
きっと寝ていると思って、起こそうとしてくれたのだろう。
すでに起きている私に驚いて、その顔色の悪さにさらにびっくりしたに違いない。
私は彼女の顔を見た瞬間、記憶の放流に襲われて、それどころではなかったけれど。
激しい頭痛に頭を抱えてしゃがみ込んだ私に、侍女は駆け寄ってきてくれて、私を必死に介抱してくれた。
『私』はあなたにひどく辛く当たっていたのに。
「誰か!誰か急いでこちらに!お嬢様が!」
そんな声を朦朧とした意識の中聞いたのを最後に、私の意識はまた暗転した。
もう散々だわ……。
***
夢を見ていた。
癇癪持ちで、わがままで、高慢ちきな、嫌な子供の夢。
白魚のような手が、侍女を突き飛ばす。
金糸雀のような声が侍女を詰り、非難する。
髪をすく手が荒かった、とくしを投げ、(怯えているのだから、手つきがぎこちなくなるのは当たり前だ)
紅茶が不味かった、と侍女に紅茶をぶっかけ、(わざわざ紅茶を相手にかける必要はないと思う)
本当にこの子は、高貴な家の子なのかと、首を傾げたくなる振る舞いを見た。
きっとこの子は私がどうしてか成っていた子供なんだろう。
波打つ金髪と、ルビーのような赤目の少女。
とても美しい子なのに、残念な性格で―――そう、アンネ・ローゼという子なのね。
へえ、この子なりに苦しんでの言動だったのね。
でも、関係のない侍女に八つ当たりはないんじゃない?
寂しさを、日々の不満を侍女にあたることで解消するなんて。
この子目端は効くし、審美眼はあるみたいなのに、怒って当たって、発散するなんて、もったいない。
私なら、もっと上手くやるわ。
「なら、やって見せてよ」
へ?
「誰かに入れられた魂なんてやっつけようと思ってたけど、そんなにいうなら、私をあげる。上手く私をやって見せてよ」
金糸雀の声が夢の中で響く。
「私はあなた。あなたは私。 見ているからね、私。もっと上手く私をやって見せて。 私を助けてよ、私」
え?え?
「ほら、起きてよ、私。マリーが待ってる」
意識が上へ引っ張られる。
海から浮上する時のように、圧を感じて―――。




