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白と黒のライアー  作者: 井上笑子


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2/9

第1話

 少女は瞼を開き、上体を起こす。

 背が汗でぐっしょりと濡れていた。

 私は荒い息を繰り返し、生々しい死の感覚を振り払おうと頭を振った。

 どうやら死んだのに、目が覚めたらしい。意味がわからない。


 私はあの女に刺されて―――あれは夢?

 私は刺されたお腹を確認しようと、腹部をさする。


 傷が、血が、凶器が、

 ―――ない?


 あれが夢?

 あの女は一度だけでなく、二度、三度と、倒れた私にまたがって、幾度も念入りに刺殺したのに?

 あの鬼女のような妄執が私の想像上のものでしかない?

 私を刺して、そして、線路の上に笑いながら落ちていったあの女が……?


 ―――そんな、そんなはずがない。


 この生々しい死の感覚が、経験したものでないなんて、ありえない。

 あの女が、私の妄想だなんて、そんなことはないはずだ。

 あれは夢なんかじゃない。

 なら、なんで私は生きてるの?

 私は、そこでようやく周囲を見回した。


 モノトーンを基調とした西洋風の広い部屋。

 私が横たわっていた天蓋付きの大きなベッド。

 床に敷かれた豪奢な刺繍の施されたカーペット。

 三面鏡のドレッサー。

 おそらくウォークインクローゼットに繋がる、壁一面の扉。

 その一つ一つの家具の細工の細やかさ、見事さに、私は唖然と息を呑んだ。


「なに、これ」

 私の喉を震わせてまろび出た声の、聞き慣れないことにも気づかず、私は夢見心地のままベッドから降り、フラフラとドレッサーのそばまで歩み寄った。

 特に意味があったわけでもない。

 けれど、私は鏡に映った私の姿に目を丸くした。

「なによ、これ」


 染めて傷みのある茶髪も、焦茶の目も、大人の日本人女性の姿は全く映っていない。

 鏡に映っていたのは、金の巻き毛の幼子だった。

 小学生低学年くらい、おおよそ五歳を過ぎた頃だろうと思われる。

 まだニキビのない白磁の肌。

 マスカラどころか、つけまつげをつけたようなバサバサのまつ毛も、金毛で。

 頬はチーク要らずのほのかなピンク。

 唇は血色が良過ぎて、紅を引いたよう。

 絵に描いたような美少女が鏡の前に立っていた。


 どうなっているの?

 私は刺されて殺されたはずよね?

 それが知らない少女になっているってどういうこと?

 幽霊になって、取り憑いた……にしては、そんな覚えも未練もないのよね。


 自問自答する思考についていけないうちに、今度は部屋の扉がノックされた。


「お嬢様、お目覚めの時間です」

 繰り返すノックの合間に、柔らかな女性の声がした。


 使用人らしき女性が来てしまったらしい。

 どうしたらいいのかな?

 私が戸惑っていれば、「失礼致します」の声と共に、扉が開いた。


 きっと寝ていると思って、起こそうとしてくれたのだろう。

 すでに起きている私に驚いて、その顔色の悪さにさらにびっくりしたに違いない。


 私は彼女の顔を見た瞬間、記憶の放流に襲われて、それどころではなかったけれど。

 激しい頭痛に頭を抱えてしゃがみ込んだ私に、侍女は駆け寄ってきてくれて、私を必死に介抱してくれた。


『私』はあなたにひどく辛く当たっていたのに。


「誰か!誰か急いでこちらに!お嬢様が!」

 そんな声を朦朧とした意識の中聞いたのを最後に、私の意識はまた暗転した。


 もう散々だわ……。



 ***


 夢を見ていた。

 癇癪持ちで、わがままで、高慢ちきな、嫌な子供の夢。


 白魚のような手が、侍女を突き飛ばす。

 金糸雀のような声が侍女を詰り、非難する。


 髪をすく手が荒かった、とくしを投げ、(怯えているのだから、手つきがぎこちなくなるのは当たり前だ)


 紅茶が不味かった、と侍女に紅茶をぶっかけ、(わざわざ紅茶を相手にかける必要はないと思う)


 本当にこの子は、高貴な家の子なのかと、首を傾げたくなる振る舞いを見た。


 きっとこの子は私がどうしてか成っていた子供なんだろう。

 波打つ金髪と、ルビーのような赤目の少女。

 とても美しい子なのに、残念な性格で―――そう、アンネ・ローゼという子なのね。


 へえ、この子なりに苦しんでの言動だったのね。

 でも、関係のない侍女に八つ当たりはないんじゃない?

 寂しさを、日々の不満を侍女にあたることで解消するなんて。


 この子目端は効くし、審美眼はあるみたいなのに、怒って当たって、発散するなんて、もったいない。

 私なら、もっと上手くやるわ。



「なら、やって見せてよ」

 へ?


「誰かに入れられた魂なんてやっつけようと思ってたけど、そんなにいうなら、私をあげる。上手く私をやって見せてよ」

 金糸雀の声が夢の中で響く。


「私はあなた。あなたは私。 見ているからね、私。もっと上手く私をやって見せて。 私を助けてよ、私」

 え?え?

「ほら、起きてよ、私。マリーが待ってる」


 意識が上へ引っ張られる。

 海から浮上する時のように、圧を感じて―――。

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