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ふたりの世界の終わり方  作者: 後藤翠
第二章 デュラハル王国編

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41.帰る場所

 里の入り口には、思っていたよりも多くの者たちが集まっていた。


 買い出しに出る四人は、すでに大きな背負い籠を担いでいる。その少し後ろで、里の者たちが新を待っていた。


 肩口を淡い羽毛に覆われた女性もいた。水路の石を取り除いた緑色の肌の老人や、一緒に縄を引いた男たちもいる。


 その足元を縫うように、子どもたちが新のもとへ駆けてきた。


「アラタ、本当に行くの?」


 二本の小さな角を持つ少年が尋ねた。


「ああ。捜している人たちがいるから」


「いつ帰ってくる?」


「それは……まだ分からない」


 正直に答えると、少年は分かりやすく口を尖らせた。


 片角の少女が、その横から新を見上げる。


「次に来たら、丸太取りで勝つまで帰っちゃ駄目だよ」


「ずっと俺を狙うのをやめてくれたら、勝てると思うけどな」


「アラタは大きいから駄目」


「また、それかよ」


 新が笑うと、青灰色の肌を持つ少年が、水かきのある指で新の上衣を摘まんだ。


「外へ行ったら、空がどんなだったか教えて」


「空なら、俺が戻ってきた時に一緒に見に行こう」


「本当?」


「ああ。約束する」


 少年の顔が明るくなる。


 肩口を羽毛に覆われた女性が、小さな布包みを差し出した。


「道中で食べなさい。黒パンと、焼いたきのこも入っているから」


「ありがとうございます。でも、これ以上もらうのは……」


「最後まで遠慮ばかりするつもり?」


 たしなめるように言われ、新は両手で布包みを受け取った。


「……大事に食べます」


「大事にするより、傷む前に食べてしまいなさい」


 女性が肩をすくめる。淡い羽毛が揺れ、その場に小さな笑いが起きた。


 緑色の肌を持つ老人が、新の腕を軽く叩いた。


「お前さんほど力仕事を頼める若い者は、しばらく現れんだろうな。次に来た時も、また頼らせてもらうぞ」


「次は、もう少し軽い仕事にしてください」


「考えておこう」


 すぐにでも会えるような言葉だった。


 別れを惜しむ声に一つずつ答えていると、人垣の向こうからリリアが歩いてきた。いつもの革の胸当てと外套を身につけ、腰には細身の剣を差している。


「そろそろ出発の時間よ」


 その言葉で、周囲の声が少しだけ静かになった。


 新は里の者たちへ向き直り、深く頭を下げた。


「助けていただいて、本当にありがとうございました」


「礼を言うのは、こっちの方よ」


 肩口を淡い羽毛に覆われた女性が笑った。


「あの化け物を倒して、閉ざされていた道を開いてくれた。それだけでも、里のみんながどれだけ助かったか」


「僕たちも、アラタと遊んであげた!」


 竜人族の少年が胸を張る。


「遊んであげたのは、俺の方じゃないのか?」


「違うよ! 僕たちが遊んであげたの!」


 三人の子どもたちが一斉に頷き、周囲から笑い声が上がった。


 新も笑いながら頭を上げた。


 リリアが、買い出し組から少し離れた場所を目で示した。


「少し、いいかしら」


「はい」


 二人は、里の入り口へ続く岩壁のそばまで歩いた。


 橙色の灯りの下で、リリアはしばらく新の顔を見つめていた。


「本当に、行ってしまうのね」


「カンナさんとフィオナさんを、捜さないといけませんから」


「ええ。分かっているわ」


 リリアは里へ目を向けた。


 種族の違う者たちが、一つの場所に集まっている。角も、鱗も、肌の色も違う。それでも、誰もが同じように新の出発を惜しんでいた。


「ねえ、アラタ」


 リリアの声が、わずかに柔らかくなる。


「この里に残って、私と一緒に、いろいろな種族が手を取り合って生きていける世界をつくらない?」


 新は、すぐには答えられなかった。この里で見た光景を思い出す。


 同じ丸太を目指し、そこから落ちて笑う子どもたち。種族に関係なく力を合わせ、水路を直していた者たち。ここでなら、リリアが話す世界は、遠い夢ではないように思えた。


 だが、脳裏には二人の姿があった。離れ離れになったカンナとフィオナが、今もどこかで新を待っているかもしれない。


「俺も、そんな世界にしたいと思っています」


 新は答えた。


「でも、今はまだ、やらなきゃいけないことがあります。まず二人を見つけて、二人と約束したことを成し遂げたい。それが終わるまでは、ここに残れません」


「そう」


「全部終わったら、ここに戻ってきます」


 新は里の方を見た。


「その時は、俺にも何ができるのか、一緒に考えさせてください」


 リリアの表情から、笑みが消えた。ほんの一瞬だけ、ひどく寂しそうに見えた。


 けれど、新が何かを尋ねるより先に、リリアはいつもの穏やかな笑みを浮かべた。


「ええ。待っているわ」


 リリアが右手を差し出した。


 新は、その手を握る。


「必ず、戻ってきて」


「はい」


 買い出し組の一人が、出発を促す声を上げた。新はリリアの手を離し、四人のもとへ向かった。


 買い出し組は、竜人族の男女が一人ずつと、人族の男女が一人ずつだった。全員が旅慣れた装いをしており、腰や背中には武器も携えている。


「アラタ!」


 背後から呼ばれ、新は振り返った。


 三人の子どもたちが、両腕を大きく振っている。


「バイバーイ!」


「また戻ってきてねー!」


「今度も絶対、丸太から落とすから!」


「それは、戻りたくなくなるだろ!」


 新が声を張り返すと、子どもたちが笑った。


 周りの大人たちも手を振っている。その中央に立つリリアも、静かに手を上げていた。


「またな!」


 新はもう一度、大きく手を振った。それから買い出し組とともに、暗い通路へ足を踏み入れた。


 何度か振り返った。


 里の灯りは少しずつ小さくなり、見送る者たちの姿も闇へ溶けていく。それでも、子どもたちの声だけは、いつまでも岩壁の間を追いかけてきた。


 先頭を歩く竜人族の男が掲げた灯りが、黒い岩肌を淡く照らしていた。


 その後ろを人族の女、新、竜人族の女、人族の男の順で進んでいる。


 道幅は、大人が二人並べるかどうかというほどしかない。頭上も低く、新は背負った大剣の柄を何度か岩へぶつけそうになった。


 四人の背負い籠には、布で包まれた重そうな荷が詰められている。


「買い出しへ行くのに、ずいぶん荷物が多いんですね」


 新が尋ねると、前を歩く人族の女が振り返った。


「地上の物資と交換する品よ。私たちは貨幣をほとんど持っていないから」


「何が入っているんですか?」


「地下で採れる鉱石や、異形種から取った素材だ」


 後ろを歩く人族の男が答えた。


「殻や牙、丈夫な皮なんかは、武具や薬の材料になる。地上では手に入りにくいものも多いらしい」


 竜人族の女が、自分の背負い籠を指で叩いた。


「私のは青鉄鉱。火に強い金属になるんだって。重くて嫌になるけど、これだけあれば穀物と塩をたくさんもらえる」


「町へ持っていくんですか?」


「まさか」


 先頭の竜人族の男が、前を向いたまま答える。


「町でこれを売れば、どこで採ったのか必ず聞かれる。里の場所を知られるわけにはいかない」


「では、どこで交換するんですか?」


「地上に、昔から取引している者がいる。決めた場所へ品を運び、穀物や塩、油、布、薬と交換するんだ」


「信用できる人なんですね」


「信用だけで続いているわけじゃない。向こうも国に隠れて、表には出せない品を扱っている。俺たちを告げ口すれば、自分まで捕まるからな」


 竜人族の男は短く笑った。


「互いに余計なことは聞かない。それが一番長く続く秘訣さ」


 新は頷いた。


 灯りの届かない先には、どこまでも闇が続いている。


 それでも足取りは軽かった。


 階段を上れば、地上へ出られる。ヴェルガントへ向かえば、カンナとフィオナを捜せる。


 二人を見つけ、三人でやるべきことをすべて成し遂げたら、元の世界へ帰る前に、もう一度この道を通って里へ戻ろう。


 あの子たちを外へ連れ出し、空を見せてやりたい。


 そんなことを考えていた時だった。


 背後の闇から、何かが聞こえた。


「――てくれ!」


 新は足を止めた。


「今、何か……」


 四人も振り返る。


 岩壁へぶつかり、幾重にも重なった足音が近づいてくる。


「待ってくれ!」


 今度は、はっきりと聞こえた。


 竜人族の男が灯りを高く掲げる。


 暗闇の奥から、一人の男が転がるように現れた。


 片腕を硬い甲殻に覆われた亜人族の男だった。額から血を流し、息をするたびに喉の奥から掠れた音が漏れている。


「どうした!」


 竜人族の男が駆け寄り、その身体を支えた。


 亜人族の男は何度も息を吸おうとした。だが、うまく言葉にならない。


 その服から、焦げ臭い匂いがした。


「里が……」


 新の胸が、嫌な音を立てた。


「里が、襲われた……!」


「何だと?」


「人族の兵だ! 突然、里の中に……火を……みんなが……!」


 その先を聞くより早く、新は走り出していた。


「待て、アラタ!」


 背後から声が追ってくる。


 大剣の鞘が岩壁へぶつかった。足がもつれそうになる。それでも速度を落とせなかった。


 リリアや子どもたち、そして、見送ってくれた里の者たち。


 顔が次々と浮かぶ。


 すぐ後ろから、荷を捨てた四人の足音も迫ってきた。


「俺たちも戻る!」


 竜人族の男が叫ぶ。


「人族の兵が……いったい、どこから入り込んだの?」


 人族の女が青ざめた顔で呟いた。答えられる者はいなかった。来た道を、ただひたすら駆けた。


 やがて、前方の闇が赤く染まり始めた。


 橙色の灯りとは違う。揺れながら岩壁を舐める、濁った赤い光だった。


 近づくほどに空気が熱を帯びる。焦げた木と油の臭いが鼻を刺した。


「煙だ!口を覆え!」


 誰かが叫んだ。


 黒い煙が洞窟の天井へ溜まり、行き場を失って下へ降りてきていた。一度息を吸うだけで喉が焼ける。目から涙が溢れ、前が滲んだ。


 それでも、新は足を止めなかった。


 里の入り口を抜けた瞬間、目の前が赤く染まった。


 燃えていた。


 木造の家々が炎に包まれ、何本もの火柱が黒い天井へ伸びている。水路には燃えた板や家財が落ち、流れる水まで赤く光っていた。


 怒号と悲鳴。剣がぶつかる音。泣きながら助けを求める声。


 つい先ほどまで別れの声が響いていた里が、別の場所へ変わっていた。


「戻ってきた者がいるぞ!」


 白い外套をつけた兵士が、新たちに気づいた。


 顔も、鎧から伸びた手も人族のものだった。


「逃がすな! 全員殺せ!」


 三人の兵士が、剣を抜いて駆けてくる。


 新は大剣を鞘から引き抜いた。先頭の兵士が振り下ろした剣を、刀身で受ける。


「どけ……!」


 大剣を横へ押し出すと、兵士の身体が隣の者ごと弾き飛ばされた。


 残った一人が横から斬りかかる。


「邪魔だああっ!」


 新は大剣を振り抜いた。


 兵士の剣が折れ、鎧ごと身体が宙へ浮く。男は燃える家の壁へ叩きつけられ、そのまま動かなくなった。


「俺たちは散って、生き残りを捜す!」


 竜人族の男が叫んだ。四人はそれぞれ武器を抜き、里の四方へ走っていく。


 新も、里の中央へ向かった。


「リリアさん!」


 煙の中へ声を張る。


「どこですか! 返事をしてください!」


 答えはなかった。


 橋を渡る。


 水路に浮かんでいた丸太の一本が、炎を上げながら流されていく。その向こうで、見覚えのある食事処が崩れ落ちた。


 新は走った。


 リリアの家が見えた。


 屋根から炎が噴き出し、木の壁は半ば崩れている。


 その脇に、黒い人影が倒れていた。


「……リリアさん?」


 足が止まる。


 人影は、燃えかすのようになっていた。


 顔も、服も、身体つきさえ分からない。伸ばされた片腕だけが、助けを求めるように地面を掴んでいる。


 その傍らに、細身の剣が落ちていた。


 銀色の鍔。柄に巻かれた紫色の革紐。


 何度も、リリアの腰で見た剣だった。


「嘘だ……」


 新は、ふらつくように一歩近づいた。


「リリアさん……」


 炎が爆ぜ、家の梁が落ちた。


 その火の粉の向こうに、小さな影が見えた。


 一つではない。


 崩れた壁のそばで、三つの小さな身体が互いに重なるように倒れていた。


 二本の小さな角。


 片方だけ伸びた角と、力なく地面へ横たわる細い尾。


 煤に汚れた青灰色の手。その指の間に残る、薄い水かき。


 少し前まで、新へ向かって手を振っていた子どもたちだった。


「……起きろよ」


 大剣が、新の手から滑り落ちた。


「また、丸太取りするんだろ」


 返事はない。


「空を……見に行くって、約束しただろ……」


 膝から力が抜けた。


 新は地面へ手をついた。


 喉の奥から、壊れた息が漏れる。


「う、あ……」


 胸の中にあったものが、耐えきれずに裂けた。


「ぁ、あ……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛――――ッ!!」


 叫びが、燃える里へ響いた。


 何度も岩壁へぶつかり、形を変えながら返ってくる。


「いたぞ!」


 背後から足音が集まってきた。


「大剣を持った男だ!」


 新は、ゆっくりと振り返った。


 十人を超える人族兵が、燃える家々の間から現れていた。剣や槍を構え、新を半円状に取り囲んでいる。


 新の視界が赤く染まった。


 炎のせいではなかった。


「お前たちが……」


 地面へ落とした大剣を握る。


「お前たちが、やったのか」


「構えろ!」


 兵士たちが一斉に武器を向ける。


 新は地面を蹴った。


「お前らがあああああっ!」


 最初の一振りで、二本の槍が砕けた。


 振り抜いた刃が兵士の鎧へ食い込み、その身体を隣の者ごと薙ぎ払う。


 血が飛んだ。


 悲鳴が上がった。


 それでも、新には何も聞こえていなかった。


 正面から突き出された剣を肩で受ける。刃が肉へ沈んだが、その腕で兵士を掴み、別の兵士へ投げつけた。


 傷口が熱を持つ。


 剣が抜け落ちるより早く、裂けた肉が内側からつながっていく。


「止めろ!」


「囲め!一人で当たるな!」


 兵士たちが距離を取り、槍の穂先で新の動きを止めようとする。


 新は構わず踏み込んだ。大剣を振るたび、槍が折れ、鎧を着た身体が宙を舞う。


 だが、倒しても、倒しても、煙の向こうから新たな兵士が現れた。


 横合いで、赤い光が膨らんだ。


 新が顔を向けた時には、火球が目前まで迫っていた。


 爆ぜる音とともに、炎が新の上半身を包んだ。


「ぐああっ!」


 身体が吹き飛び、地面を転がる。


 上衣が燃えた。


 顔から首、肩にかけて皮膚が焼け、息を吸うだけで喉の奥まで痛んだ。


 それでも新は地面へ大剣を突き、立ち上がろうとした。


 焼けた皮膚の下が、むず痒いほどの熱を持つ。


 黒く爛れた箇所が少しずつ剥がれ、その下から新しい皮膚が現れた。


「傷が……治っている」


 兵士の一人が、怯えた声を漏らした。


 後方にいた兵士が目を見開く。


「報告にあった男だ。こいつが守護者だ!」


 周囲の空気が変わった。


「こいつを殺すことはできない!拘束して連れていくぞ!」


 新は、その声を聞いていなかった。


 兵士たちの後ろに、灰色の外套をまとった魔法使いが立っていた。


 その掌の上で、次の炎が揺れている。


 燃えかすになった遺体とリリアの剣、三人の子どもたち。


 新の中で、それらが一つにつながった。


「お前が……」


 新は魔法使いを睨んだ。


「お前が、リリアさんたちを!」


 大剣を引きずるようにして走り出す。


「前へ出すな!」


 兵士たちが一斉に押し寄せた。


 槍の柄が胸へ食い込み、肩へ何人もの身体がぶつかる。腕へ縄が巻きつき、背後から首を締め上げられた。


 新は咆哮し、身体を起こす。


 二人の兵士が弾き飛ばされた。


 それでも、すぐに別の者が腕と腰へしがみつく。


「押さえ込め!剣を振らせるな!」


 魔法使いが腰の革袋へ手を入れ、黒い金属の輪を取り出した。表面に刻まれた文字が、青白く光っている。


「これを使え!」


 魔法使いは輪を近くの兵士へ投げ渡した。


「手首に嵌めろ!早くしろ!」


 金属の輪を持った兵士が近づいてくる。


 新は歯を食いしばった。


 両腕を押さえつけられたまま、大剣の柄を握り直す。足の裏で地面を押した。腰を回し、背中から肩へ力を伝える。


 空き地で何度も繰り返した動きだった。


「うおおおおおっ!」


 新は兵士たちを引きずりながら大剣を持ち上げ、そのまま魔法使いへ投げつけた。


「なっ――」


 魔法使いは避けられなかった。


 回転した大剣の刀身が、その身体を横から捉える。


 厚い刀身の腹に打ち据えられ、魔法使いの身体が宙を飛んだ。


 背後の燃え盛る家へ叩き込まれ、崩れた壁と炎の中へ消える。


「術師殿!」


 兵士たちの視線が一瞬だけ逸れた。


 だが、新の左手首で硬い音が鳴った。


 黒い輪が、隙間なく閉じていた。


「外すな!そのまま押さえ込め!」


 身体の奥から、何かを一気に抜き取られた。力が入らない。それまで熱を持っていた傷口が、急に冷たくなる。


「脚を潰せ!」


 背後から低い声がした。


 右の踵の上へ、鋭い痛みが走った。


 続けて、左脚にも刃が入る。


 両脚の腱を斬られ、新の身体が前へ崩れ落ちた。


「ぐっ……!」


 地面へ手をつき、すぐに立ち上がろうとする。いつものように、傷が塞がるはずだった。


 だが、脚に力が入らない。


 切られた場所から血が流れ続けている。


「何で……」


 治らない。


 新は左手首の黒い輪を見た。青白い文字が、脈打つように明滅している。


「両腕を縛れ!口も塞げ!」


 何人もの兵士が新へ覆いかぶさった。腕を背中へ回され、太い縄で縛り上げられる。


 新は身体を捩ったが、もう兵士たちを弾き飛ばす力は残っていなかった。


「離せ……」


 指が地面を掻く。


 少しでも、子どもたちの方へ近づこうとした。


「離せ!まだ、みんなが……!」


「運べ!」


 身体を持ち上げられる。


 動かない両脚が、地面を引きずられた。


 別の兵士たちが燃える建物へ駆け込み、瓦礫の中から魔法使いを引きずり出している。


 灰色の外套は燃え、顔から血を流していた。意識はないようだったが、その胸はわずかに上下していた。


「急げ!まだ息がある!」


 兵士たちが魔法使いを担ぎ上げる。新はそれを見て、声の限り叫んだ。


「返せええええっ!」


 喉が裂け、声が掠れる。


「みんなを返せ!リリアさんを、あの子たちを返せえええええっ!」


 兵士たちは足を止めなかった。


 燃え盛る里が、少しずつ遠ざかっていく。


 橙色だった灯りは、もうどこにも見えない。


 子どもたちの声も、笑い声も、水路を流れる穏やかな音も、すべて炎と怒号に呑み込まれていた。


「早く口を塞げ!」


 兵士の一人が帯状の布を新の口元へ押し当て、後頭部できつく結んだ。


 新は遠ざかる里へ向かって、何度も身体を捩った。だが、両腕は背中で縛られ、両脚も動かない。


 口を塞ぐ布の奥から漏れるのは、言葉にならない叫びだけだった。


 そのくぐもった声が、燃える里の黒い天井へ、いつまでも跳ね返り続けていた。

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