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ふたりの世界の終わり方  作者: 後藤翠
第一章

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22.評議会3

 ダリアの言葉が、議場の中央に重く残った。


「あなたは、ユグドラインの王女なのです」


 カンナはすぐには答えなかった。


 その一言が、ただ身分を示すだけのものではないことくらいは、新にも分かった。


 ダリアの手は、腹の前で震えている。怒っているのか、怖がっているのか、その両方なのか、分からない。


 ただ、その目はカンナだけを見ていた。


「叔母上。わたしは、自分の立場を忘れているわけではありません」


 カンナは静かに言った。


「王族の血を引く者として、聖樹の寿命を延ばす責務があることも分かっています。だからこそ、わたしは鍵を集めに行くのです」


「違います」


 ダリアの声が、鋭く割り込んだ。


 カンナの言葉を、受け止める気などないような声だった。


「あなたは分かっていない。何も分かっていないわ」


 護衛に支えられながら、ダリアは立ち上がった。腹が大きいせいで動きは重い。それでも、座ってはいられないというように足を踏ん張る。


「その前に、残すべきものがあるでしょう。あなたはこの国を出た後に王家の血筋をどうするつもりなのです」


 カンナの表情が、わずかに強張った。


 新は、その言葉の意味をすぐには飲み込めなかった。


 王家の血筋が鍵を扱うために必要なものだということは、カンナから新も聞いていた。けれど、ダリアの声には、それとは別の重さがあった。血筋を残し、次の王族を産む。

 そこまで考えが及んだ瞬間、新は、ようやく彼女が何を言おうとしているのかを理解した。


「叔母上」


 カンナの声が少し低くなる。


「その話を、この場でなさるのですか」


「今ここで言わなければ、あなたはそのまま行ってしまうでしょう」


 ダリアは言い返した。


「あなたがこの場で自身の意見を認めさせようとしているから、私もこの場で言わなければならないのです」


 フィオナが一歩だけ前へ出かけた。だが、カンナが片手で制した。その指先は、わずかに震えていた。


「聖樹の寿命は、後、一年半あるのでしょう」


 ダリアは続けた。


「ならば、一年あればいいではありませんか。あなたが子を宿し、王家の血を次へ残す。それからでも、まだ半年ほど残ります」


「半年で間に合うとは限りません」


「過去の記録では、鍵を集め、聖樹の内側へ至るまで、長くても半年弱だったはずです」


 ダリアの声に、わずかに力が戻った。ただ感情で叫んでいるだけではない。そう自分に言い聞かせるような声だった。


「守護者もいる。過去にできたことなら、今回もできるでしょう。王家の血を残してからでも、まだ間に合うはずです」


「以前とは状況が違います」


 カンナは即座に返した。


「今は人族の侵攻を受けています。各国の要人は世界維持会談で討たれ、国同士の連携も崩れています。人族の支配地を抜け、騎士たちを退け、鍵を集めながら聖樹へ向かわなければならないのです」


「一年あれば、戦は落ち着くかもしれないでしょう」


「落ち着く保証はありません」


 カンナの声は硬かった。


「一年で終結するとも思えません。仮に終結したとしても、世界の混乱がすぐに収まるとは限らない。支配された土地、逃げた民、壊れた国、疑い合う各国。その中を進むのです。半年でどうにかなるような話ではありません」


 そこでカンナは、一度言葉を切った。


「それに、叔母上自身が一番分かっているはずです。子を宿すことは、命じればその日に叶うものではありません。たとえ身籠もれたとしても、子が生まれるまでには、さらに月日が要ります。到底、一年でどうにかなる話ではありません」


ダリアの唇が、わずかに歪んだ。


「一年を費やしても、何も残せないかもしれない。その時、失った時間は戻りません」


 ダリアの唇が震えた。反論しようとして、言葉が出ない。


 カンナは続けた。


「鍵は、手に入れれば終わりではありません。段階を踏んで体へ受け入れなければならないものです。道中で何が起こるかも分からない。守護者がいるから大丈夫などと、わたしは言えません」


「それでも、血を絶やすよりはいい」


 ダリアの声は、ほとんど叫びだった。


「あなたが聖樹へ向かうというのなら、なおさらです。王家の血を、あなた一人に預けたままにはできません。次に聖樹を支える血が必要になった時、誰が残るのです」


 新は、思わずダリアの腹を見た。その言葉の意味を、すぐには掴めなかった。次に聖樹を支える血。 鍵を扱うための血筋、というだけではないのか。ダリアの声には、それだけでは済まない重さがあった。


 腹の子まで、何かに数えられている。そう感じた瞬間、新の胸の奥が冷えた。


「叔母上。血を次へつなぐことが大切でないとは言いません」


 カンナの声は、静かだった。


「ですが、聖樹の寿命が尽きれば、その血を残す意味さえ失われます。今止めなければならないのは、人族の侵攻と、聖樹そのものの限界です」


「なら、人族と密約を交わせばいいでしょう!」


 ダリアの声が議場に響き渡った。書記官の肩が跳ねる。護衛の一人が思わず槍を握り直した。


 カンナの目が見開かれる。


「……叔母上?」


「この国を明け渡すから、鍵を集めさせてくれと頼めばいいのです」


 ダリアは止まらなかった。


「王都を、人族に差し出す。代わりに、あなたが鍵を集めることだけは認めさせる。聖樹の寿命を延ばせるなら、国は後から取り戻せばいい。血が残っていれば、王家は続く。あなたが子を残していれば、まだ立て直せる」


「本気で、おっしゃっているのですか」


 カンナの声が低くなった。


「本気です」


 ダリアは言い切った。


「あなたまで、これまでの王族と同じ道を辿るよりはましです。王家の血が途絶えるよりは、まだ耐えられる。私の子たちが、次に聖樹へ送られるくらいなら……その方が、ずっとましなのです」


「それは、国を守る話ではありません」


 カンナの声が震えた。


「民を、人族に差し出す話です」


「民も、聖樹が尽きれば死ぬでしょう!」


「だからといって、人族へ国を明け渡してよい理由にはなりません」


「綺麗事を言わないで!」


 ダリアの声がさらに荒れた。彼女はカンナを睨んでいた。


 その目には、怒りだけではない。もっと深く、抑えきれなくなった何かがあった。


「本当に、よく似ているわ」


 声が震えた。


「あなたたちは、本当に母親によく似ている」


 カンナの顔から、わずかに血の気が引いた。


「叔母上」


「あの人もそうだった。兄さんとの子を残すことを、最後まで嫌がった。王家の血をつなぐ役目から目を背け続けた。その結果、どれだけ血筋が細くなったと思っているの」


「シオンも、あなたも、そう」


 ダリアは止まらなかった。


「世界のため、国のため、聖樹のため。そう言えば、自分の責務から逃げても許されると思っている。自分の身体をどう使うべきか、王族として何を残すべきか、その責務を放り投げていいと思っている」


「わたしは逃げていません」


「逃げています!」


 ダリアは腹を庇うように手を置きながら、さらに声を荒げた。


「あなたたちは、父親と繋がらなければならないのです。子を作らなければ、続かないのです。王家の血を、聖樹へつなぐ血を、残さなければならないのです」


 新は、息が詰まった。


 議場の何人かも、明らかに表情を変えた。


 護衛たちは顔を伏せ、書記官は筆を動かせないまま固まっている。


 父親と。


 その言葉が、あまりにも気持ち悪く耳に残る。


 カンナは動かなかった。


 ただ、拳を握っていた。爪が手のひらに食い込みそうなほど、強く。


「……叔母上。おやめください」


 その声は低かった。


 それでもダリアは、もう止まれなかった。


「私の子だって、まだ八歳になったばかりなのよ」


 その一言で、議場がさらに静まり返った。


 ダリアの手が腹の上で強く震える。


「王族の責務なんて言葉の意味を、本当に分かる歳ではないわ。国のことも、聖樹のことも、まだ大人に言われた通りに受け取るしかない。なのに、あなたがいなくなったら、あの子が次に数えられる。このお腹の子だってそう」


「叔母上……」


「シオンの時だってそうだった! あの子が聖樹へ送られる時、誰も止められなかった。世界のためだ、聖樹のためだ、仕方がないのだと、みんなそうやって自分に言い聞かせていた!」


 鍵を集め、聖樹へ向かう。その話は、これまで何度も聞いた。けれど、聖樹へ辿り着いた後のことだけは、曖昧なままだった。

 カンナの母親や姉であるシオンは、聖樹へ送られた後、どうなったのか。そして、もしカンナを聖樹まで送り届けたとして、その先には何があるのか。そこだけが今までの話から見えてこないことが、新には気味悪かった。


「もう嫌なのよ……」


 それまで張り詰めていた声が、急に細くなった。怒鳴り声の形を保てなくなり、泣き声に近いものが混じる。


「もう、これ以上は耐えられないの。私の子まで、そんなものに数えられるなんて。まだ小さい子を、王家の血だからと見られることも、このお腹の子まで、次のために必要だと言われることも……もう、たくさんなの」


 ダリアは、カンナを見た。


「あなたがいなくなれば、残るのは私の子たちなのよ」


 カンナは唇を結んだ。


「叔母上……」


「私は、産み続けなければならないの?」


 ダリアの声が割れた。


「もう意識もはっきりしない兄さんと、これからも子を成せと言うの? 王家の血を絶やさないために。聖樹へ送られる者を、次も、その次も、残すために。私は、これからも子を産み続けなければならないの?」


 誰も口を挟めなかった。


 セレーヌでさえ、すぐには声を出さなかった。


 リュカは目を伏せ、オギュストは顔を歪めている。ギヨームの手は、椅子の肘掛けではなく、腰の剣の柄に近い場所で止まっていた。


 フィオナだけが、カンナの背後で静かに立っていた。


 いつでも前へ出られるように。


「どうすればいいの」


 ダリアは、ほとんどカンナに縋るような声で言った。


「ねえ、どうすればいいの。あなたが行ってしまったら、私はどうすればいいの。私の子はどうなるの。この子はどうなるの」


 腹の上に置かれた手が震える。


「だから、お願いよ。子を残してから行って。父親との子を残して、王家の血を、次へつないでから、聖樹の寿命を延ばす責務を果たしてちょうだい」


 その言葉は、願いの形をしていた。けれど中身は、あまりにも身勝手だった。新はそう思った。


 ダリアが怖がっていることは分かる。自分の子を守りたいのだということも、分かる。


 それでも、その恐怖をカンナに押しつけていい理由にはならない。


 カンナは、しばらく黙っていた。顔色は悪い。だが、目は逸らしていなかった。


「叔母上」


 静かな声だった。


「わたしは、王族としての責務から逃げているつもりはありません」


「なら――」


「ですが、その責務は、子を残すことだけではありません」


 ダリアの言葉を、カンナは初めてはっきり遮った。


「王家の血を次へつなぐことは、大切です。けれど、聖樹そのものが尽きれば、次代も何もありません。いま必要なのは、血を残すことだけではなく、聖樹の寿命を実際に延ばすことです」


「だから、その前に子を――」


「そのようなことに、一年を費やすことはできません」


 カンナは言い切った。


「半年で鍵を集められる保証はありませんし、守護者がいるから大丈夫などと、わたしには言えません。アラタを、都合のいい奇跡のように扱うつもりはないからです」


 新は思わずカンナを見た。カンナは振り返らない。それでも、その言葉は新の胸に残った。


「人族は待ってくれません。聖樹の寿命も、こちらの事情に合わせて延びてはくれません。叔母上が恐れている未来を避けるためにも、わたしは今動かなければならないのです」


「あなたは、私の子を見捨てるのですか」


「違います」


「なら、どうして!」


「見捨てないために行くのです!」


 カンナの声が、議場に響いた。


 それまで抑えていたものが、初めて表に出た。


「叔母上の子も、このお腹の子も、王都にいる民も、兵も、各国の人々も。聖樹の寿命が尽きれば、誰も守れません。だから、わたしは鍵を集めに行きます。聖樹の寿命を延ばすために、今、動かなければならないのです!」


 ダリアが息を呑む。


「父との子を残してから行けと言われても、わたしは従えません」


 カンナの声は震えていた。それでも、言葉は途切れなかった。


「それは責務ではありません。恐怖の先送りです。わたしの身体を使って、叔母上の子が背負うかもしれないものを、少しだけ遠ざけるための話です」


 ダリアの顔が歪んだ。


「そんな言い方……!」


「でも、そうでしょう」


 カンナは苦しそうに、それでも目を逸らさずに言った。


「叔母上が怖いのは分かります。自分の子を守りたいのも分かります。けれど、そのために、わたしに同じ鎖を増やせと言うのなら、わたしは拒みます」


カンナはそこで、握っていた拳をゆっくりと開いた。手のひらには、爪の跡が赤く残っている。それでも、声だけは崩さなかった。


「ですが、王族の血を引く者が、同じ役目を背負わされ続けずに済む道も必ず探します」


 ダリアの表情が揺れた。


 何かを言おうとしたのだろう。唇が動きかけた。けれど、声はすぐには出なかった。

カンナが口にしたのは、自分一人の覚悟だけではなかった。

 王族だから、聖樹のためだから、仕方がない。そうやって続いてきたものを、このまま次へ渡すつもりはないという言葉だった。


「……そんなことを」


 ようやく漏れたダリアの声は、かすれていた。


「そんなことを、今さら……」


 責めるような声だった。けれど、その奥には、ほんのわずかに縋るような響きも混じっていた。


 書記官の筆は止まったまま、紙の上に小さな墨だまりを作っている。


 最初に動いたのは、リュカだった。


 彼はゆっくりと顔を上げる。


「……私は、殿下の意見に賛成いたします」


 セレーヌが、弾かれたようにリュカを見た。


「リュカ」


 声には、これまで隠していた苛立ちが混じっていた。


「どういうことです」


 リュカは穏やかな表情を崩さなかった。


「この場で示された事実を踏まえれば、殿下の案を退ける理由は弱くなりました。守護者の存在は確認され、オギュスト猊下、ギヨーム猊下も賛成に回られた。であれば、評議会としては、殿下の意見を認めるのが妥当かと」


「あなたも先ほどまで、慎重論を述べていたはずです」


「ええ。だからこそ、確認された事実を無視するべきではないと考えます」


 リュカの声は静かだった。


 だが、その静けさが逆に不気味だった。


 リュカは、カンナの言葉に心を動かされたようには見えなかった。ただ、今ここで反対に回る理由が薄れたから、賛成に移った。新には、そんなふうに見えた。


 カンナもまた、リュカをじっと見ていた。その表情には、安堵よりも警戒が残っている。


 セレーヌの目が細くなる。


「……リュカ猊下。今の発言は、正式な賛成と受け取ってよろしいのですね」


 ギヨームが低く確認した。


「ええ」


 リュカは迷わず答えた。


「私は、殿下の意見に賛成です」


 その瞬間、カンナを含めた賛成は四つになった。


 過半を超えた。


 だが、誰かがそれを宣言するより早く、ダリアが小さく呻いた。


「……っ」


 彼女の体が、ぐらりと揺れる。


「ダリア殿!」


 背後の護衛が慌てて支えた。


 ダリアは腹を押さえていた。顔色が悪い。先ほどまで怒りで赤くなっていた頬から、血の気が引いている。


「痛……っ」


 その声を聞いた瞬間、議場が乱れた。


 護衛が一人、扉の方へ走る。


 もう一人がダリアを支え、座らせようとする。書記官は立ち上がったまま、何を書けばよいのか分からないという顔で筆を握りしめている。


 カンナが一歩動きかけた。だが、ダリアは首を横に振った。


「お願いだから、来ないで……」


 小さな声だった、カンナの足が止まる。


 ダリアは護衛に支えられながら、議場の外へ運ばれていった。扉が開き、慌ただしい足音が遠ざかっていく。


 残された議場には、誰もすぐに声を出せなかった。セレーヌはリュカを見ている。リュカは何も言わない。


 オギュストは目を伏せ、フィオナはカンナの横顔を見ていた。


 カンナは、閉じた扉を見つめたまま動かなかった。その時、ギヨームが立ち上がった。


「ダリア殿は退出されました」


 低く、よく通る声だった。


「ですが、採決に必要な意思表示は、すでに示されています。カンナ殿下、オギュスト猊下、私、そしてリュカ猊下。六名中四名が賛成に回りました」


 書記官がはっとしたように顔を上げる。


 ギヨームはセレーヌを見た。


「過半を満たしております。よって、カンナ殿下の意見を評議会として認める。よろしいですね、セレーヌ猊下」


 セレーヌは、しばらく答えなかった。


 その沈黙の間に、新は嫌なものを感じた。


 怒りではない。焦りでもない。もっと冷たいものが、セレーヌの表情の奥に沈んでいる。


 だが、それはすぐに消えた。


 セレーヌは静かに息を吐き、いつもの顔に戻る。


「……分かりました」


 短い返答だった。


「採決の結果は、認めましょう」


 書記官が慌てて筆を走らせる。


 紙の上に、決定が書き込まれていく音だけが、やけに大きく聞こえた。


 カンナは何も言わなかった。


 賛成多数。評議会は、カンナの旅立ちを認めた。


 それでも、カンナに安堵の表情は見えない。ダリアの叫びはまだ耳に残っている。さらに、議場で交わされた言葉は、新の中でまだ整理しきれずに渦を巻いていた。


 望んでいた承認は得た。けれど、それで何かが晴れたわけではない。


 ただ一つ、王宮の外へ出るための道だけは開いた。新は、その事実を受け止めるしかなかった。

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