表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ふたりの世界の終わり方  作者: 後藤翠
第一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/25

21.評議会2

 新は、一度だけ大きく息を吸った。


 控え扉の向こうで、カンナの声が響いている。


「入ってきてください、アラタ」


 その声に押されるように、新は扉へ手をかけた。


 指先に力が入る。自分がここで出ていって、何が変わるのか、完全に理解しているわけではない。ただ、出ていくだけでカンナの助けになるのなら、それでいいと思った。王宮の中で待っているだけでは、カンナの力にもなれない。元の世界へ帰る方法だって、きっと見つからない。


 なら、ここで立ち止まっている理由はなかった。


「……はい」


 小さく返事をして、扉を開ける。


 議場の空気が、一斉にこちらへ向いた。


 広い間に足を踏み入れた瞬間、新は思わず背筋を伸ばした。控えの小部屋から見ていた時とは違う。実際にその場へ出ると、視線の重さが肌に刺さるようだった。


 枢機卿たちも、ダリアも、背後に控える護衛たちも、書記官も、突然現れた新へ視線を向けていた。


 大きな声が上がるわけではない。それでも、抑えきれない息や衣擦れが、ざわめきとなって議場のあちこちへ広がっていく。


「……その者は、何者ですかな」


 最初に口を開いたのは、オギュストだった。


 低い声だったが、その奥にわずかな硬さがある。さっきまでの慎重さとは違う。何かを見極めようとする目で、新をじっと見ていた。


「殿下の客人ではありませんでしたか。王宮内で保護している、異国の少年だと聞いておりますが」


 セレーヌの声に、大きな驚きはなかった。新のことを、まったく知らなかったわけではないらしい。


 カンナは静かにうなずいた。


「はい。彼は、わたしが王宮で保護していた方です」


 そこで一度、議場全体を見渡す。


「ですが、ただの客人ではありません」


 空気が、また変わった。カンナは背筋を伸ばしたまま、はっきりと言った。


「彼は、聖樹より選ばれた守護者です」


 今度のざわめきは、さっきよりも大きかった。


 護衛の兵の一人が息を呑む。書記官の手が止まる。リュカの口元から笑みが薄れ、セレーヌの目が細くなる。


 ギヨームは先ほど同様、驚いた様子も、疑う様子もない。ただ、新とカンナを順に見ている。その静けさが、かえって目立った。


 オギュストは、違った。


 老枢機卿の顔から血の気が引いていた。


 ただ驚いているだけではない。新を見ているはずなのに、その目には別のものへの怯えが混じっていた。


「守護者……」


 オギュストの声は、かすれていた。


 その反応は、周囲のざわめきとは明らかに違っていた。だが、その理由までは分からなかった。


「それは、大変なことをおっしゃいますね」


 リュカが、いつもの穏やかな調子で口を開いた。


「殿下。守護者とは、聖樹の意思により選ばれる存在。もし本当であれば、この国だけでなく、各国にも関わる一大事です」


「分かっています」


「ならば、確かめねばなりません」


 リュカの視線が、新へ移る。


「その方が本当に守護者であると、証明できますか」


 カンナは迷わなかった。


「ええ、できます」


 そう言って、懐から一通の印状を取り出した。


 新はそれを見た瞬間、あの祠で目覚めた時のことを思い出した。管理人と名乗った不気味な何かから印状を渡され、何も分からないままここまで来た。あの紙が、今この場で自分の証になるらしい。


 カンナは印状を両手で持ち、評議会へ示した。


「これは、アラタがこの世界へ来た時に持っていた印状です。管理人様より、守護者の証として渡されたものだと聞いています」


 リュカが席を立った。


「拝見しても?」


 カンナは一瞬だけ新を見た。新がうなずくと、彼女は印状をリュカへ渡す。議場の視線が、今度はその紙片へ集まった。


 リュカは丁寧に印状を広げた。


 そこには、円の内側に一本の大樹が描かれている。枝は円の上部へ、根は下部へ伸び、どちらも輪の内側に収まるように刻まれていた。


 新は、その紋様を見たことがあった。


 あの時は深く考えなかった。だが今、評議会の場で見せられると、それがただの飾りではないのだと分かる。


「……形式は、確かに古い記録と一致しているように見えます」


 リュカは印状から目を離さずに言った。


「ですが、見た目だけで本物とは断じられません。カンナ殿下は王族の血を引かれる御方です。聖樹に近いものを、我々より深く感じ取ることもできましょう。ですが、我々は我々の方法で確認せねばなりません」


 そう言って、右手を持ち上げた。リュカの指には、銀色の指輪がはめられていた。


 表面には、印状と同じように、円の中に大樹を収めた紋様が刻まれている。


「聖印環です」


 ギヨームが静かに補った。


「枢機卿が聖樹へ誓約を立てた際に管理人様より授かるもの。聖樹より正式に発された印であれば、刻まれた聖樹紋が応じる」


 オギュストも、セレーヌも、同じ指輪をはめていた。新はそこで初めて、枢機卿たちの手元に同じ意匠があることに気づいた。


「偽りであれば、何も起こりません」


 リュカは印状を卓上に置き、聖印環を近づけた。


 議場が静まる。


 ほんの一瞬、何も起こらなかった。


 次の瞬間、印状に描かれた大樹の紋様が、淡い緑の光を帯びた。光は紙の上に薄く広がり、円の線をなぞるように走る。枝の先、根の先まで、静かに光が満ちていった。


 誰かが息を呑んだ。


 リュカの聖印環にも、同じ光が宿っている。


「……反応しましたな」


 オギュストの声が震えていた。


 だが、それだけでは終わらなかった。


 新の背中に、突然熱が走った。


「熱っ……!」


 思わず声が漏れる。


 背筋の中央を、焼けるような熱がなぞった。痛みではない。だが、内側から何かが浮かび上がってくるような、奇妙な感覚だった。


 フィオナが一歩動きかける。だが、新の背後を見た瞬間、その足が止まった。


「アラタ、背中が……」


 カンナの声も、わずかに揺れていた。


 新は振り返れない。ただ、議場の視線が自分の背中に集まったことで、そこに何かが起きているのだと分かった。


 衣の下から、淡い緑の光がにじんでいるらしい。背中の熱はまだ消えず、何かがそこに浮かび上がっているような感覚だけが残っていた。


「印状と同じ紋様……」


 誰かが、そうつぶやいた。


 その言葉で、新はようやく理解した。


 自分の背中にも、あの大樹の印が浮かんでいるのだ。


 熱はすぐには消えない。


 背中に浮かんだ何かが、印状の光に応えるように、静かに脈打っている気がした。


「……本物のようです」


 リュカが、印状から手を離した。


 その声は落ち着いていたが、さっきより少しだけ低い。


「印状は聖樹より発されたもの。そして、その印はこの者の身体と結びついている」


 ざわめきは、もう誰にも止められなかった。


 守護者という言葉、聖樹の印状、新の背中に浮かび上がった大樹の紋様。それらが一つにつながったことで、議場の視線はさっきよりも明確に新へ集まっていた。ただの客人として見ている者は、もういなかった。


 オギュストは、椅子の肘掛けを握っていた。指先が白くなるほど力が入っている。目は新の背中に向けられたまま、そこから離れない。


「……また、選ばれたのか」


 オギュストのつぶやきは小さかった。だが、新の耳には届いた。


 また、という言葉が引っかかる。


 五十年前にも守護者がいたと、シルヴァンから聞いている。帰ってきたら風呂に入りたいと言って王宮に浴場を作らせた、少し変わった人だったらしい。新は、どこか勝手に、その人物を穏やかな人のように想像していた。


 だが、オギュストの反応はそういう思い出に触れたものには見えなかった。新個人に向けられた反応というより、守護者という言葉そのものに身を固くしているように見えた。


 どうしてそこまで反応するのか、新には分からなかった。


「……確かに、軽んじてよい話ではありませんね」


 セレーヌが、低く言った。


 それだけで、場のざわめきが少しずつ収まっていく。彼は印状と新を見比べるようにしてから、カンナへ視線を戻した。


「殿下。なぜ、今までこの件を伏せておられたのですか」


 責めるような響きではなかった。だが、問いの鋭さは隠されていない。


「守護者が現れたとなれば、国どころか世界の均衡に関わります。人族、亜人族、獣人族、竜人族、巨人族。どの国も無視できない。早い段階で評議会へ報告すべき案件だったはずです」


「分かっています」


 カンナは答えた。


「ですが、だからこそ、この場で伝えるべきだと判断しました」


「この場で?」


「はい。枢機卿の皆さまが揃っている場でなければ、印状が本物であることを正式に確認し、その結果を共有することはできません。中途半端な形で伝えれば、憶測だけが先に広がり、情報が錯綜する恐れがありました」


 カンナは、セレーヌの視線を正面から受け止めた。


「守護者の存在は、それだけで国を揺らします。だからこそ、正式に確認できる場まで伏せていました。彼のことをあえて伝えていなかったのは、そのためです」


 セレーヌは、すぐには返さなかった。


 指先で聖印環に触れ、深く息を吐く。


「……守護者が現れた」


 その言葉を、確かめるように繰り返す。


「これが本当であるなら、殿下の旅の案に、確かに一つの根拠は加わりました。守護者が同行するのであれば、少なくとも、殿下が無防備に王都を離れるという話ではなくなる」


 新は、思わず自分の手を見た。シルヴァンに鍛えられて、以前よりは動けるようになった。だが、戦争の成り行きを変えるような力が自分にあるとは思えない。それでも、守護者という言葉だけで、この場の空気は明らかに変わっていた。


 そこで、セレーヌの声が重くなる。


「ですが、それでも反対の理由が消えたわけではありません」


 カンナは黙って続きを待った。


「守護者が現れたとしても、人族が世界の滅びを望んでいるとは限らない。聖樹が失われれば、人族もまたこの世界で生きられなくなる。ならば、彼らもまた世界の崩壊は避けたいはずです。ですから……」


「……私は、賛成です」


 低い声が、セレーヌの言葉を遮った。


 オギュストだった。


 議場の空気が、わずかに止まる。


 セレーヌが目を向けた。


 リュカも、初めてはっきりと驚いた顔をした。


「オギュスト猊下」


「守護者がおられるなら、話は別です」


 オギュストは、ゆっくりと言った。


「殿下お一人を外へ出すのであれば、私は最後まで反対したでしょう。王族の血を引く御方を敵の手の届く場所へ出すなど、あまりに危うい。ですが、守護者が同行するのであれば、道はある」


 だが、オギュストの視線が新へ向いた瞬間、新は小さな違和感を覚えた。賛成しているはずなのに、その目に安堵はない。むしろ、新を通して、見たくないものを見ているようだった。


「聖樹が守護者を選んだのならば、それはこの時のためでしょう。殿下が動かれることに、私は賛成いたします」


 セレーヌの眉が、わずかに動いた。


「オギュスト猊下。先ほどまで、殿下ご自身が王都を離れることに強く難色を示しておられたはずです」


「守護者が現れたなら、前提が変わります」


 オギュストは短く答えた。


 その手は、椅子の肘掛けを握ったままだった。指先に、力が入りすぎている。


 リュカはしばらく黙っていたが、やがて静かに目を細めた。


「……意外ですね。猊下は、もっと慎重なお立場かと」


「慎重であるからこそ、聖樹の選択を軽んじるべきではないと申しているのです」


 オギュストは新を見た。その視線に、新は背筋の奥が冷えるのを感じた。


「守護者を、ただ王宮の奥に置いておくべきではない」


 その一言に、別の意味が混じっているような気がした。


 カンナは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに表情を整えた。


「ありがとうございます、オギュスト猊下」


 ギヨームが、静かに口を開く。


「私も、殿下の旅立ちに賛成いたします」


 これで、カンナ自身を含めて賛成は三つ。


 評議会の承認には、六名のうち過半の賛成が必要になる。先ほど書記官が告げた採決の条件が、新の頭にもようやくはっきりと形になった。


 あと一つ。


 セレーヌ、リュカ、ダリア。そのうち誰かが賛成に回れば、カンナの意見は正式に認められる。


 新にも、それが分かった。空気が、カンナの方へ傾きかけている。だが、その時だった。


「お待ちなさい」


 その声が、議場の空気を断ち切った。


 これまで一度も口を開かなかったダリアが、ゆっくりと顔を上げていた。


 カンナの表情が、わずかに固まる。


 ダリアは膝に置いていた手を握りしめていた。大きく膨らんだ腹の前で、その指が震えている。


「その意見を、私は認めません」


 静かな声だった。


 だが、そこには先ほどまでの沈黙とは違う、はっきりした拒絶があった。


 議場の視線が、今度はダリアへ集まる。


 カンナは動かなかった。


「叔母上……」


 ダリアは、ようやくカンナを見た。


 その目には、怒りだけではない。恐れと、痛みと、何かを必死に押し殺しているような色があった。


「あなたは、まだ分かっていないのです」


 そう言って、ダリアは立ち上がろうとした。


 護衛が慌てて支えに入る。


 しかし彼女は、それを片手で制した。


「あなたは、守護者と共に、人族との戦を止め、鍵を集め、聖樹の寿命を延ばすつもりなのでしょう。それが聖樹のため、国のため、世界のためになる。そう言いたいのでしょう」


 カンナは何も答えない。


「けれど、その前に聞きなさい」


 ダリアの声が、わずかに震えた。


「あなたは、ユグドラインの王女なのです」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ