20.評議会1
二度目のノックのあと、扉の向こうから控えめな声がした。
「アラタ殿。殿下のご指示です。こちらへお入り下さい」
新が返事をすると、入ってきたのは警護隊の兵だった。顔見知りではあるが、普段のような砕けた空気はない。短く一礼し、評議会の間に隣接する控えの小部屋まで案内するとだけ告げる。
新は無言でうなずき、その後について廊下へ出た。
王宮の中は、先ほどまで以上に静かだった。
人の気配は多い。だが、誰も声を荒らげない。足音も、鎧の鳴る音も、どこか押し殺されている。今この瞬間、王宮の中心で何かが決まろうとしているのだと、嫌でも分かった。
案内された先は、評議会の間のすぐ脇に設けられた控えの小部屋だった。厚い扉の向こうに本会議の場があり、もう一つの内扉を開ければ、そのまま議場へ出られる位置らしい。
「こちらでお待ちください。お呼びがあれば、すぐに」
「分かりました」
兵は一礼し、外に下がった。
新は一人になってから、小さく息を吐く。内扉は完全には閉じられておらず、わずかな隙間から議場の様子が見えた。
広い間だった。
正面奥には王族の席と評議会の席が半円を描くように並び、その背後には各々の護衛が控えている。剣を帯びた者、槍を持つ者、装いは違っても、立ち方には共通した硬さがあった。
ほどなくして、外の扉が開いた。
ギヨームに伴われて、カンナが議場へ入る。
新は思わず息を止めた。
評議会に臨むための装いは控室で見た時と同じだ。だが、こうして広い議場の中央へ踏み込んでいく姿は、さっきよりもずっと遠く見える。それでも足取りに迷いはなかった。
議場には、すでにセレーヌ以外の者たちが揃っていた。
オギュスト・モルタン。白い髭を整えた老枢機卿は、重たい椅子に腰を下ろしたまま、静かにカンナを見ている。その背後には、やはり年嵩の護衛が一人。
リュカ・アルノー。若めの枢機卿は口元に穏やかな笑みを浮かべていたが、その目だけは温かくない。背後には細身の護衛が二人。
そしてカンナの叔母、ダリア・クラリス・ユグドライン。
カンナが一歩進み、静かに頭を下げる。
「叔母上。本日はお越しいただき、ありがとうございます」
だが、ダリアは視線を合わせなかった。
ほんの少しだけ顔を逸らし、片手を膝の上に置いたまま沈黙する。その仕草だけで、拒絶とまではいかなくとも、距離を置こうとしているのが分かった。
新はそこで、初めてダリアの姿をまともに見た。
衣の上からでも、腹が大きく膨らんでいることは分かる。話には聞いていた。だが、目の当たりにすると、その事実は思っていたよりも重く見えた。
子が生まれるのも、もう遠くないのだろう。
カンナはそれ以上何も言わず、自分の席へ向かった。ギヨームがその少し後ろにつき、反対側にはフィオナが立つ。
全員が揃ったように見えたところで、オギュストが身じろぎし、低い声で口を開いた。
「まず申し上げておきます。本日、ユリウス陛下は、いつも通りご体調が優れませぬ。ゆえに、この場はご欠席です」
報告というより、確認だった。
誰も驚かなかった。父王の不在は、この国ではもはや珍しいことではないのだろう。だが、その一言があるだけで、今日この場におけるカンナの立ち位置がいっそう重くなるのを、新は感じた。
間を置かず、リュカが柔らかな声を差し挟む。
「殿下がお変わりなくて何よりです。いつも通り凛々しいお姿で、安心いたしました」
口当たりのいい声音だった。
続けて、そのまま流れるように言う。
「セレーヌ猊下は、ほどなくおいでになるとのことです。少々お待ちいただければ」
言葉遣いは丁寧だった。だが、まるで自分がこの場を取り仕切っているかのような余裕があった。
その直後だった。
議場の正面扉が開き、複数の足音が入ってくる。
先頭に立っていたのは、セレーヌ・ド・ラ・ロシュだ。
黒を基調とした枢機卿の装いに身を包み、背後には護衛を二人従えている。歩みは急いでもいなければ、遅れてきた者のそれでもなかった。むしろ、最初からこの場の空気を自分のものにするつもりの歩き方だった。
「待たせてしまって申し訳ない」
口ではそう言いながら、声音に慌てたところはない。
セレーヌは席に着きながら、自然な顔で続けた。
「さあ、評議会を始めようか」
新は思わず眉をひそめた。
遅れて入ってきたはずなのに、その一言だけで自分がこの場の中心であるかのように空気を持っていく。あからさますぎるほどではない。だが、やり慣れているのは見ていて分かった。
控えていた書記官が一歩進み出る。
硬い声で、出席者の確認が始まった。
「本日の評議会出席者を確認いたします。王女カンナ・リュミエール・ユグドライン殿下。ダリア・クラリス・ユグドライン殿。枢機卿セレーヌ・ド・ラ・ロシュ猊下。枢機卿リュカ・アルノー猊下。枢機卿オギュスト・モルタン猊下。枢機卿ギヨーム・サン=クレール猊下」
名が一つずつ読み上げられるたび、議場の空気がさらに硬くなっていく。
「本日の主議題は、人族勢力への対応についてでございます。採決に至る場合は、王族代表二名、枢機卿四名、計六名の出席者によって票を取り、過半をもって評議会の承認といたします」
「なお、議題に先立ち、カンナ・リュミエール・ユグドライン殿下よりご発言の申し出がございます」
書記官が一礼して下がる。
カンナが立ち上がった。
その動きに合わせるように、護衛の者たちの視線も集まる。だがカンナはそれを受け止めたまま、声を乱さずに言った。
「はい。わたしから申し上げます」
議場の中央に響く、静かな声だった。
「王宮に留まり続けるだけでは、もう聖樹の寿命には間に合いません。さらに、人族は支配域を広げ、各地を削り続けています。守るだけでは、いずれこちらが先に尽きます」
誰も口を挟まない。
「鍵を集める必要があります。そして、各国を脅かしている人族の騎士たちを退け、その支配の根を断たなければなりません」
そこまで言ってから、カンナは一度だけ間を置いた。
「そのために、わたしは王都を離れ、鍵の回収と人族勢力への対処に向かいます。大軍を正面からぶつけるのではなく、少数で動き、人族の中枢を乱し、戦の形そのものを崩します」
その言葉に、オギュストの眉が深く寄った。
「殿下」
低く、だがよく通る声だった。
「お考えは分かります。ですが、それはあまりにも危うい」
老枢機卿はカンナをまっすぐ見たまま続ける。
「王女が王都を離れるというだけで、国の不安は一気に増します。兵を出す、使者を送る、動く手はいくらでもありましょう。なぜ殿下自らでなければならぬのです」
「わたしでなければ届かないからです」
カンナはすぐに答えた。
「鍵は、誰でも扱えるものではありません」
カンナは、評議会の面々を見渡した。
「すでに皆さまご承知の通り、聖樹へ至るための鍵は、集めて扉を開くためだけのものではありません。段階を踏んで体へ受け入れ、聖樹の内側に耐えられる身体に近づけるためのものです。あれを受け入れられるのは、王族の血を引く者だけ。王族でなければ、そもそも最後まで扱えません」
新は思わず目を細めた。
鍵、という言い方から、もっと普通のものを勝手に想像していた。どこかに保管されている札か、封印を解くための道具か、せいぜいその程度だ。
だが違う、体に入れるものなのか、しかも段階的に。
それなら、ただ集めて箱に仕舞っておけば済む話ではないのか、そう思いかけていた新はすぐに考え直した。鍵そのものが使う側の身体と結びつくなら、誰でも持っていればいいものではない。
オギュストは重く息を吐いた。
「ならばなおさらです。殿下ご自身を外へ出す危険は増すばかりでしょう」
「それでも、わたしが行く意味は消えません」
カンナは一歩も引かなかった。
「王族でなければ扱えない以上、誰かに任せて済む話ではありません」
リュカがそこで、柔らかな声を差し挟む。
「つまり殿下は、鍵の回収のみならず、人族との戦争の終結までを見据えておられる、ということですか」
「はい」
「ですが、王族の血を引く者でなければ進めない場所があるとしても、それがただちに殿下ご自身が王都を離れる理由になるのでしょうか。道を開く役目、周囲を制圧する役目は、兵や使者に任せることもできます。殿下が動かれるのは、本当にその場に立たねばならぬ時だけでもよいのでは?」
穏やかな物言いだった。
だが、逃げ道を与えるふりをして、実際には足を止めさせる問いだった。
「できません」
カンナははっきりと言う。
「聖樹に残された寿命は、もう一年半ほどしかありません。兵や使者を先に出し、各国の状況を確かめ、道を開いてからわたしが動く、その手順を踏んでいては、世界が先に滅びます」
新は、思わず息を詰めた。
一年半。聖樹の寿命は、あとそれだけしか残されていないのか。戦争を止め、鍵を集め、そして、聖樹の内部へ入る。
そのすべてを、一年半のうちに終えなければならないのだと、ようやく実感が追いついた。
リュカは小さく眉を上げる。
「そこまで確実に言い切られるのですね」
「ええ」
カンナの声は静かなままだった。
「だから、わたしが行く必要があるんです」
オギュストがなおも首を横に振る。
「殿下のお考えに理がないとは申しませぬ。ですが、残された猶予が短いからこそ、なおさら慎重であるべきです。王族の血を引く殿下に万一のことがあれば、鍵へ至る道そのものが閉ざされかねません」
カンナは相手の言葉を遮らずに聞き、短く息を吸ってから言った。
「ここに在るだけで守れるものなら、とっくに守れていたはずです」
オギュストの目がわずかに細くなる。
「殿下」
「人族は止まりません。こちらが動かなければ、奪われる側のままです。いずれ王都の外側から順に削られ、各国も、聖樹も、何もかも後手に回る」
「焦りが判断を曇らせておられるのではないか」
オギュストは静かに言った。
「それは焦りではありません」
カンナの声は揺れなかった。
「もう待てない段階に来ているというだけです」
「危機があることは、私も理解しています」
今度は、セレーヌが口を開いた。
それまで黙っていたぶん、その声はよく通った。
「聖樹を巡る問題が、待てる段階ではないことも分かっております。各国が崩れれば、その先に何があるかも、考えていないわけではありません」
そこで一拍置き、視線をまっすぐカンナへ向ける。
「ですが、その前に申し上げたい。殿下、あなたが捕まれば、それこそそこで終わりなのです」
議場が静まる。
セレーヌは落ち着き払った口調のまま続けた。
「急ぐあまり、王女自らを賭けるべきではないと言っているのです。殿下が捕まれば、あなた一人の命で済む話ではありません」
「王族の血を引く者でなければ鍵を扱えない。ならば、人族が最も欲しがるのは何か。鍵そのものではない。鍵を最後まで扱える、殿下ご自身です」
議場の空気が、さらに重く沈んだ。
「あなたが王都を出るということは、国の象徴を外へ出すということではありません。聖樹へ至る道そのものを、敵の手の届く場所へ差し出すということです」
カンナは黙ってセレーヌを見返した。
「しかも、殿下は少数で動くとおっしゃる。大軍ではなく、少数で敵地へ近づき、敵側の中枢を打ち崩す。聞こえはよいですがそれは、守る手を減らし、敵に奪われる危険を増やすということでもあります」
そこで一度だけ議場を見渡した。
「兵も民も、殿下が王都におられるからこそ踏みとどまっている。王女が姿を消せば、噂は一日で広がります。殿下は戦を止めるためとお考えでも、民に届く声は、王女が国を捨てた、王宮はもう危うい、そういう声になる可能性があります」
「わたしは国を捨てるつもりなどありません」
「そうでしょう。ですが、民がどう受け取るかは別です」
セレーヌは即座に返した。
「国を保つとは、正しい目的を掲げることだけではありません。民が折れぬ形を守ることです。兵が疑わぬ形を保つことです。殿下が王都を離れるという一点だけで、その形は崩れかねない」
カンナの指が、わずかに衣の端を押さえた。
「ですから、私は反対します」
セレーヌは静かに言い切った。
「殿下が旅に出るという案には、理はある。ですが、その理を支えるだけの力が足りない。殿下を守り抜き、鍵を集め、人族の中枢を乱し、なお戦を終わらせる。そこまでを可能にする根拠が、今のご説明にはありません」
議場に、重い沈黙が落ちた。
カンナは、その沈黙を受け止めてから、ゆっくりと口を開いた。
「……わたしが申し上げているのは、思いつきではありません」
その声は、揺れていなかった。
「王都を離れて動く必要があることも、このままでは何一つとして守れないということも、以前からお伝えしてきたはずです。それでもなお、わたし一人の危惧として退けられるのなら」
そこで、カンナはわずかに息を吸った。
「一つ、お見せしたいものがあります」
初めて、議場の空気が別の形で動いた。
セレーヌが目を細める。
リュカの口元の笑みがほんの少しだけ消える。
オギュストが眉を寄せ、ギヨームは何も言わずにカンナを見た。
カンナは、評議会の中央から動かないまま、脇の控え扉へ視線を向けた。
「入ってきてください、アラタ」




