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ふたりの世界の終わり方  作者: 後藤翠
第一章

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20/25

19.評議会の前に

 王宮の空気は、朝から目に見えて張り詰めていた。


 廊下を行き交う兵の数が、普段より明らかに多い。曲がり角ごとに立哨が立ち、いつもなら開いている扉がいくつも閉ざされている。遠くから聞こえてくるのも、雑談ではなく、声を抑えた短い指示ばかりだった。


 今日が普通の日ではないことだけは、嫌でも分かる。この空気の最前線に、カンナはこれから出ていくのだ。


 考えたところで答えは出ない。今はただ、呼ばれた場所へ向かうしかなかった。


 控室へ向かう途中、遊撃班の兵が二人、足早に脇を抜けていった。腰の剣が揺れる。片方は見覚えのある顔だったが、向こうもこちらに気づいた程度で、立ち止まりはしなかった。


 シルヴァンも今日は場内警護の応援に回されている。


 無理もない、と新は思う。評議会が荒れるのは誰の目にも明らかだった。評議会の連中はそれぞれ護衛を伴ってくるはずだし、外で揉め事でも起これば余計に厄介だ。遊撃班長を遊ばせておく日ではない。


 それでも、少しだけ顔を見たかった。


 昨夜、東棟の屋上で言われたことが、まだ頭に残っている。強くなれと言うだけではなく、何のために剣を振るうのかを忘れるなと、シルヴァンは珍しく真面目な顔で言った。


 訓練の締めだったのか、今日に向けてのつもりだったのかは分からない。ただ、その言葉を聞いたあとでは、今こうして評議会の控室へ向かう足取りも、前とは少し違っていた。


 守りたいものを見失うな。

 今の新に分かるのは、それだけで十分だった。


 控室の前にも兵が二人立っていた。


 顔なじみの警護隊員だったが、今日は軽口一つない。新の姿を確認すると、二人とも無言で一礼した。


 新も小さくうなずき返し、扉を叩く。


「アラタです」


「入ってください」


 フィオナの声が返る。


 扉を開けると、部屋にはすでにカンナとフィオナがいた。


 先に目に入ったのはカンナだった。


 評議会に臨むための装いを整え、背筋を伸ばして立っている。華美に飾り立てているわけではない。必要なものだけを残したような姿だった。


 その少し後ろにフィオナがいる。いつも以上に気配が鋭い。


「来てくれてありがとう、アラタ」


「いえ」


 新が部屋に入ると、カンナは一度だけ新の全身を見た。わずかに目を細める。


「少し変わりましたね」


「そうですか?」


「はい。前より、力みが見えなくなりました」


 短い言葉だったが、それだけで十分だった。


 三週間。毎日叩きのめされてきただけだと思っていたが、見ている側には違いが出ているらしい。


 フィオナも腕を組んだまま言う。


「まだ甘いですが、最初の頃よりはましです」


「……ありがとうございます」


「その程度で満足しないように」


 新がそう返すと、フィオナの口元がほんのわずかに動いた。カンナも小さく笑う。


 だが、その空気は一瞬で消えた。


 カンナが表情を戻す。


「始まる前に、最後の確認だけさせてください」


 新も姿勢を正した。


「今日ここに呼ばれたってことは、俺も何かするんですか」


「ええ、議場に着くのは、評議会の四人と叔母上、そしてわたしです。フィオナには護衛として同席してもらいます。アラタ、あなたは最初からは入らず、この控室で待っていてください。わたしが呼んだら、中へ入ってきてください」


「……俺は、最初から入らなくていいんですか」


 思わず聞き返していた。


「護衛なら、最初から中にいるのかと思ってました」


 カンナはうなずいた。


「あなたが最初からいれば、どうしてもそちらに話が流れます」


「ギヨームさん以外の評議会の人たちは俺のことを知らないから、ですか?」


「ええ。まず間違いなく、その男は誰だ、なぜここにいる、どういう立場だと聞かれます。わたしとしてはそれは避けたいのです」


 新は黙って聞いた。


 確かに、自分が最初から座っていればそれだけで目を引く。評議会の連中が素直に本題へ入るとは思えなかった。


「最初に話すべきなのは、わたしが旅に出る理由です」


 カンナはまっすぐ新を見た。


「王宮に留まり続けるだけでは、もう間に合わないこと。鍵を集めて、人族側へもこちらから動かなければならないこと。まずはそれを、わたしの口で話します」


 そこに迷いはなかった。


「もちろん、反対は出るでしょう。王女が王都を離れるのは危険だ、不安だ、誰かに利用されかねない、そう言われるはずです」


 その一瞬だけ、カンナの指先にわずかに力が入ったのを新は見た。誰の顔を思い浮かべたのかまでは分からない。ただ、反対する相手を軽く見ていないことだけは伝わった。


 カンナははっきりと言った。


「その後で、あなたのことを明かします。アラタが守護者であることを」


 新は小さく息をついた。置いていかれるわけではないらしい。


 だが、そこで別の引っかかりが浮かぶ。


「守護者だって明かして、大丈夫なんですか」


 部屋の空気がわずかに重くなる。

 答えたのはフィオナだった。


「厄介なことにはなります。だが、明かさないままにもできません」


 はっきりした口調だった。


「今の状況で守護者を害するような真似はしないでしょう。人族との戦いが控えている中で、そんなことをすれば自分たちで国の首を絞めるだけです」


 新は眉をひそめる。


「戦力として見られるってことですか」


「そうです。ただし、それで安心できるわけではありません。守護者が現れたと知れれば、それぞれに思惑は動きます」


 フィオナの言葉のあとを受けるように、カンナが言った。


「今まで伏せていたのは、そのためです」


 新はカンナを見る。


「守護者だと知れた途端に、あなたまで誰かの都合で扱われかねない。軽々しく表に出したくはありませんでした。まずは、わたしたちの中で確かめる時間が必要だったんです」


 静かな声だったが、言葉は揺れなかった。


「ですが、もう隠したままでは進めません。旅に出る理由を、わたし一人の考えとして退けられたくはない」


 新は黙って聞いていた。


「守護者が現れたという事実は、それだけ世界の危機が近いということでもあります。評議会も、それを軽くは扱えません。わたしの話を押し流しにくくするためにも、必要です」


 新はゆっくりとうなずいた。守護者という札は重い。だからこそ出す順番を間違えられないのだろう。


「呼ばれたら、俺は何を言えばいいですか」


「聞かれたことに答えてください」


 フィオナが即答する。


「分からないことは、分からないで構いません。余計なことまで背負う必要はない」


「説明はわたしがします」


 カンナが引き取る。


「あなたは守護者としてここにいる。その事実を、わたしが言います」


「……分かりました」


 新は一度だけ息を吐いた。


「危ないのは分かってます。でも、カンナさんが前に出るのに、俺だけ何も知らない顔で隠れてるのは違うと思うんです」


 カンナの目がわずかに動く。


「旅の話だけでは押し切れないなら、必要なものは全部出した方がいいと思います。俺のこともその一つなら、そうしてください」


 フィオナは口を挟まなかった。代わりに、新の顔を正面から見ている。


「……ありがとうございます」


 カンナは短くそう言った。

 新は小さく笑った。


「礼は、無事に終わってからでお願いします」


 そう返すと、カンナが少しだけ目を見開く。


 だが次の瞬間、こらえきれなかったように小さく笑った。


「そうですね。確かに、その方が順番としては正しいです」


 新もつられて笑う。


 ほんの一瞬だったが、それだけで部屋の空気が少し軽くなった。


 その時だった。扉が二度、静かに叩かれた。


 フィオナの視線が鋭く向く。扉の前へ歩み寄り、気配を確かめてから低く問う。


「お名前を」


「ギヨームだ」


 それを聞いて、フィオナは短く返した。


「失礼いたしました、お入りください」


 扉が開き、現れたのはギヨームだった。


 新は思わず背筋を伸ばした。


 年老いてなお、隙のない立ち姿だった。枢機卿の装いでありながら、ただ立っているだけで終わらないものがある。シルヴァンに叩き込まれてきた今なら分かる。ただ静かに立っているように見えて、その重心も、目線も、わずかな気配の置き方も崩れていない。

 前に部屋で見た、手入れの行き届いた剣が脳裏をよぎる。新はこの人を前にすると、自然と気が引き締まるのを感じた。


「失礼する」


 低く落ち着いた声だった。


 ギヨームは部屋の中を見渡し、最後にカンナへ視線を置く。その目が、ほんの一瞬だけ柔らかくなる。だが次の瞬間には、いつもの静かな厳しさへ戻っていた。


「もうすぐ呼ばれるでしょう。……顔色は悪くありませんな」


「悪く見えていたら困ります」


 カンナがそう返すと、ギヨームはわずかに口元を緩めた。だが、その笑みはすぐに消えた。


 ギヨームは軽くうなずき、次いで新にも目を向けた。


「アラタ殿」


「はい」


「昨夜も稽古をつけてもらったそうだな」


「……はい」


 ギヨームは新の顔を見たまま、少し間を置いた。


「顔つきは前よりましだ」


 まし、という言い方に、新はわずかに眉を動かす。


「少なくとも、何も分からぬまま立っている顔ではなくなった」


 褒めているのかどうか、微妙なところだった。


 ギヨームは構わず続ける。


「だが、それで足りる話でもない」


 低い声だった。


「殿下はこの先、王宮の中だけで守られる立場ではなくなる。外へ出れば、刃も、悪意も、王宮の理屈など知らぬ形で向いてくる」


 新は黙って聞いた。


「その時、お前は前に立てるのか」


 問いは静かだった。責める調子ではない。だが、逃がす気のない重さがあった。


「守護者であるかどうかではない。痛みに耐えられるかでもない。殿下が危うくなった時、自分が斬られる方へ迷わず踏み込めるか。私が見たいのはそこだ」


 その言葉に、カンナの眉がわずかに寄った。


「ギヨームーー」


 すぐに何かを言いかけたカンナを、ギヨームは視線だけで制した。


「分かっております」


 低い声だった。


「殿下がそう望んでおられぬことくらいは」


 それでも、と続ける声には硬さが残っていた。


「外に出れば、そういう場面は来ます。その時に前へ出られぬ者を、私は殿下のそばに立たせたくない」


 新は息をのみ、それから短く答えた。


「……立ちます」


 ギヨームは目を細める。


「言うのは容易い」


「そうだと思います」


 新は視線を逸らさなかった。


「でも、最初に殿下を庇った時も、考えて動いたわけじゃありません。たぶん、次も同じです」


 それは立派な答えではなかったかもしれない。だが、新にとっては、それが一番嘘のない言葉だった。


 ギヨームはしばらく何も言わなかった。


 新を値踏みしているというより、その答えをどこまで信じるべきか量っているような沈黙だった。


 やがて、ギヨームは小さく息を吐く。


「……そうか」


 それだけ言って、視線を外した。

 ギヨームはやがてカンナへ向き直る。


「殿下。私は、旅そのものの必要まで否定するつもりはありません」


 部屋の空気が止まる。


 カンナは表情を変えない。ただ、続きを待っていた。


「ですが」


 そこでギヨームは、ほんのわずかに言葉を置いた。


「今日の場は、理だけで押し切れる相手ばかりではないでしょう。理が通らぬからこそ、ここまで拗れているのです」


 低い声には、苛立ちとも苦さともつかないものがにじんでいた。


「……そのことは、お忘れなく」


 カンナは一瞬だけ目を伏せ、それからまっすぐ見返した。


「承知しています」


 短いやり取りだった。


 だが新には、ただの確認には聞こえなかった。進む道を認めたい気持ちと、進ませたくない気持ちの両方を飲み込んでいるように見えた。


 ギヨームはそれ以上何も言わず、扉の方へ半歩下がる。


「時間だ。評議会の間まで私が送りましょう」


 その申し出が好意だけから来ているのか、責務から来ているのか、新にはまだ判断できなかった。


 ただ、カンナは迷わずうなずいた。


「お願いします」


 フィオナが扉の前へ出る。カンナも続く。その直前、カンナが振り返って新を見る。


「アラタ」


「はい」


「頼りにしています」


 静かな声だった。


 新は一瞬だけ目を見開き、それからうなずいた。


「……はい」


 フィオナが扉を開き、ギヨームが先に外へ目を走らせる。カンナがその後に続き、フィオナが最後につく。扉が閉まる寸前、赤い髪がかすかに揺れ、それから部屋は静かになった。


 新は一人、控室に残された。


 ここでのやり取りひとつで、この先は大きく変わるのだと分かる。今が正念場であることくらい、新にも分かった。


 廊下の向こうから、人の動く気配がかすかに伝わってきた。抑えた足音。短い報告。甲冑の触れ合う乾いた音。張り詰めた空気は、扉一枚隔てたこの部屋まで途切れず続いていた。


 新は壁際へ下がり、深く息を吸った。


 カンナは、自分とそう年も変わらないように見える。それでも今、国の行く先を左右する決断を、自分の足でしようとしている。


 その背中を思い出すと、ただここで待っているだけのはずなのに、胸の奥が妙に落ち着かなかった。


 旅に出ることが、この国のためになるのか、その先で何が待っているのかは、まだ分からない。だが少なくとも、新にとっては帰るための手がかりを掴む機会でもある。


 自分のためでもある。カンナたちのためでもある。


 そのどちらからも、目を逸らすつもりはなかった。


 しばらくして、扉が二度、控えめに叩かれた。


 新は顔を上げ、扉をまっすぐ見た。

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