合同会合9
午後の陽光が会議室の長卓に斜めに差し込み、昼食後のわずかな弛緩を静かに押し流していく。
再び整列した資料、整えられた椅子、そして各々の表情は、午前とは違う種類の緊張を帯びていた。
「それでは、ゼルヴァリア軍閥国内の調査結果を報告します」
ベルンハルトが一歩前へ出る。
低く落ち着いた声だが、その奥にある重さは誰の耳にもはっきりと届いた。
「結論から申し上げますと――軍上層部と傭兵団の間に、明確な戸惑いと確執が生じています」
ざわり、と空気が揺れる。
「原因は、“方針の転換”です」
彼は資料を開き、指先で示した。
「これまでのゼルヴァリアは“個”の力を重視してきました。しかし現在、軍上層部は“集”――すなわち組織戦を重視する方針へと変更しつつあります」
アデルハイトが眉を寄せる。
「戦略、戦術、補給……体系的に学ぶべきだ、ということか」
「その通りです」
ベルンハルトは頷いた。
「しかし――それが問題を引き起こしています。ゼルヴァリア軍閥国において、軍人は主力ではありません」
その言葉に、何人かが小さく頷く。
「幾百もの傭兵団こそが、この国の礎を築いてきました」
ベルンハルトの視線がわずかに強くなる。
「彼らには矜持があります。“個の力こそがすべて”“戦場で死ぬことは誉れ”――そう信じて戦ってきた者たちです」
シマが腕を組み、無言で聞いている。
「総統閣下は、交易にも戦争にも傭兵団を使ってきました。言わば、この国の血肉そのものです」
「その連中に“集で戦え”って言ったのか……」
エリクソンが低く呟く。
ベルンハルトは頷いた。
「はい。しかも、その思想が……エスヴェリア側から“そうすべきだ”と吹き込まれたという噂が流れています」
その一言で、空気がさらに重くなる。
「さらに問題なのは交易です。これまでゼルヴァリアは、自国の傭兵団を商隊として交易を行ってきました。しかし現在は――」
「エスヴェリアの交易隊、か」
ブランゲル侯爵が静かに言う。
「はい。頻繁に出入りしています」
ベルンハルトは続けた。
「当然、傭兵団側は面白くありません。仕事を奪われていると感じています」
「そりゃそうだろうな」
デシャンが鼻を鳴らす。
「誇りも飯の種も奪われりゃ、黙ってるわけねえ」
ドナルドが低く付け加える。
「内部から軋みが出るのも当然だ」
ベルンハルトは一度、言葉を区切った。
「……誤解のないように申し上げておきます」
全員の視線が集まる。
「ゼルヴァリアの人間は、気性は荒いですが卑怯ではありません」
その言葉に、後方に座っていた男がわずかに反応する――ブラスだ。
「弱い者いじめは許さない。職人、農夫、料理人、商店主……そういった者たちを敬う精神があります。街は活気に満ちていました。荒々しくも、筋の通った世界でした」
ベルンハルトの声が低く沈む。
「エスヴェリアの交易隊が来るようになってから……徐々に変化が生じています。我々が潜入して判明したことの一つに――“間諜を見つけた者には、百金貨の報酬が支払われる”という制度があります」
「破格だな」
デリーが顔をしかめる。
ベルンハルトは静かに続ける。
「この制度により、人々は互いを疑うようになりました。余所者には好奇と警戒の入り混じった視線が向けられています」
「……疑心暗鬼になるわね」
ミーナが小さく呟く。
ベルンハルトは頷く。
「かつての“誇りある荒々しさ”は影を潜め、代わりに……疑念が蔓延し始めています」
その時だった。
「……違う」
ぽつりと声が落ちる。
全員の視線が向く。
ブラスだった。
拳を握りしめ、俯いたまま言う。
「そんな国じゃなかった……」
静かな声だが、震えている。
「俺たちは……馬鹿みたいに真っ直ぐで、喧嘩はするけど、裏で刺すような真似はしなかった……」
顔を上げる。その目には、怒りと悔しさが混じっていた。
「疑うために生きてるんじゃねえ。戦うために、守るために生きてたんだ……!」
誰も言葉を挟まない。
ブラスの言葉は、この場の誰よりも“ゼルヴァリア”を知る者の叫びだった。
しばらくの沈黙の後――シマがゆっくりと口を開く。
「……内側から崩されてるな」
短い一言。だが、それが全てだった。
ブランゲル侯爵が重く頷く。
「外からの圧力ではなく、内からの瓦解……か」
ロイドが静かに補足する。
「思想、経済、治安……すべてに干渉が入っているね」
ジェイソンが腕を組む。
「そしてそれを“正しい改革”として受け入れさせている……」
会議室は再び沈黙に包まれる。
だがその沈黙は、迷いではない。
状況を正確に理解しようとする、深い思考の静けさだった。
ゼルヴァリア軍閥国——
誇り高き傭兵の国は今、見えぬ手によって、ゆっくりと形を変えられつつあった。
ベルンハルトの報告が終わった後も、空気は重く沈んだままだった。
誰もが同じ疑問を抱えている――だが、その輪郭を言葉にするには、まだ整理が足りない。
その沈黙を破ったのは、ユキヒョウだった。
「……面白くないね」
椅子にもたれたまま、静かに呟く。
「不愉快だよ」
その声音は淡々としているが、内に秘めた感情は明らかだった。
普段は飄々としている彼が見せる、わずかな苛立ち。
「確かに、“個”から“集”へ方針を変えるのは理解できる。むしろ、合理的だ」
指先で机を軽く叩く。
「でもね……」
一度、言葉を区切る。
「やり方が気に入らない」
デシンスが腕を組み、低く続けた。
「そうですね。方針自体には俺も賛成です」
だが、と目を細める。
「何故、エスヴェリアの交易隊を使うのか……そこが腑に落ちませんね」
ティアも頷く。
「総統閣下と軍上層部は……本当に状況を理解しているのでしょうか?」
その問いに、あちこちから小さな同意の声が上がる。
シャイン傭兵団の中には、ゼルヴァリア軍閥国の出身者が少なくない。
彼らにとってこの問題は、単なる他国の情勢ではない。
“故郷の変質”そのものだった。
トーマスが腕を組みながら口を開く。
「ユキヒョウ。総統閣下ってのは、どんな男なんだ?」
視線が集まる。
ユキヒョウは一瞬だけ目を伏せ、それから淡々と答えた。
「名は――ダービット・カロリング」
その名が、空気に落ちる。
「体格は……ブランゲル侯爵様やエリクソン様に近いね。大柄で、よく鍛えられている。年齢は四十代前半。性格は……好戦的ではない。むしろ思慮深いタイプだよ。武力も申し分ない。総統にまで上り詰めた以上、それは当然だけど――」
そこでユキヒョウは、わずかに口元を歪めた。
「今なら、僕の方が強いかな」
一瞬の沈黙。
「……コホン」
自分で咳払いし、何事もなかったように続ける。
「武器は三叉槍を使っている」
その補足に、何人かが納得したように頷く。
その時だった。
「……俺が若い頃、奴とは戦場で対峙したことがある」
ブランゲル侯爵が、静かに口を開いた。
デシャンも腕を組みながら頷いた。
「俺も覚えてますよ。あの男の一団は強かった」
マリウスが思わず身を乗り出す。
「直接、戦われたのですか?」
「ああ、俺は最前線で槍を振ってた。侯爵様は全体の指揮だ」
だがその表情は、どこか遠い戦場を思い出しているようだった。
カールスルーエが続ける。
「連携が妙に良かったな。傭兵にしては統制が取れていた」
ヘルモートが低く言う。
「奇妙な連中だった。他の奴らは勢い任せに突っ込んでくるのに……あいつらだけは違った」
アデルハイトが頷く。
「戦況を見極めて動いていた。あれは……訓練された集団の動きだったな」
その場にいた者たちの証言が、少しずつ一つの像を結んでいく。
その時、執事長フーベルトがブランゲルに静かに耳打ちした。
侯爵がわずかに目を見開く。
「……そうだった」
低く呟き、顔を上げる。
「“ピオニール傭兵団”だ」
その名が、大会議室に響いた。
「奴――ダービット・カロリングが率いていた傭兵団の名だ」
空気が静かに震える。
ユキヒョウが、わずかに苦笑した。
「今でも語られることがありますよ」
肩をすくめる。
「“臆病者”って意味で」
その言葉に、数人が眉をひそめる。
だが――先ほどの証言を思い返せば、その意味は明らかだった。
無謀に突撃しない。戦況を見極める。連携して動く。
ゼルヴァリアにおいて、それは“臆病”と呼ばれる。
だが同時に――それは“生き残るための戦い方”でもある。
クリフが腕を組み、ぽつりと呟いた。
「……時代を先取りしてたってことか」
誰も否定しなかった。
かつて“臆病者”と嘲られた男が、今や一国の総統として、“集の力”を説いている。
それが意味するものは何か。
大会議室の空気は、再び静まり返る。
だがその静けさは、先ほどまでとは違う。
過去と現在が繋がり、一人の男の軌跡が、国の変化と重なった瞬間だった。
ダービット・カロリングという一人の男の像が浮かび上がったことで、議論はより深い領域へと踏み込んでいく。
「……思慮深い男でありながら」
エイラが静かに口を開いた。
「思想を変え、“集”を重視し……さらにエスヴェリアの交易隊を使う」
指先で机をなぞる。
「この意味は――」
「痛みを伴う改革だな」
シマが言葉を継いだ。
全員の視線が向く。
「内戦も想定してる。あるいは……諦めたか、もしくは望んでる」
静寂。
ヤコブがゆっくりと頷いた。
「より強い指導者を、ということじゃな」
その言葉は、場に冷たい理解をもたらした。
オスカーが腕を組み、険しい表情で言う。
「だけど、それは危険なやり方だよ他国に介入される。今回の場合……エスヴェリアに支配される可能性が高い」
デルガーが低く補足する。
「噂では、すでに軍上層部にエスヴェリアの人間が入り込んでいるらしい」
ざわり、と空気が揺れる。
ユキヒョウが鼻で笑った。
「だろうね」
軽い口調だが、その目は笑っていない。
「じゃなきゃ、“間諜を見つけたら百金貨”なんて布告は出さない」
椅子の背にもたれ、天井を仰ぐ。
「あの国の気質じゃ、ありえないよ」
その言葉に、ゼルヴァリア出身者たちが静かに頷いた。
「……ユキヒョウたちには悪いが」
フレッドが口を開いた。
「他国のことだし、放っておけばいいんじゃねえか?」
あえて軽く言ったその一言。
だが、それは決して無責任な意見ではない。
現実的な“線引き”でもある。
「いや、それは無理だな」
シマが即座に否定した。短く、迷いのない声。
「カルバド帝国とエスヴェリア神聖王国は、繋がってると見た方がいい」
ブランゲル侯爵へ視線を向ける。
「両国は友好関係だったな?」
「うむ」
侯爵は頷いた。
「エスヴェリアは、カルバド帝国の属国とも噂されておる」
シマは腕を組み、ゆっくりと続ける。
「やり方が同じなんだ」
その声には、確信があった。
「カルバド帝国は、“幇、草、華僑”を送り込む」
何人かが息を呑む。
「エスヴェリアは……神父や牧師だ」
場の空気が一段と冷える。
「“幇、草、華僑”の危険性は、前に話した通りだ」
情報網、経済浸透――見えないところから国を侵食する存在。
「そして神父や牧師……こいつらは“民を先導する”」
その言葉は、静かに、だが重く響いた。
アデルハイトが低く呟く。
「武ではなく、思想で支配する……か」
「そういうことだ」
シマは頷く。
「武力で押さえつけるよりも、よっぽど厄介だ」
マリウスが顔をしかめる。
「民が自ら従うようになる……」
「気づいた時には、もう手遅れだな」
ジトーが吐き捨てるように言う。
シマの脳裏に、一つの光景がよぎった。
前世の記憶。
宗教が人をまとめ武装し、巨大な力となって暴れた時代。
「……一向一揆、か」
誰にも聞こえないほど小さく呟く。
信仰が武器になる時。
民が“正義”を掲げて立ち上がる時。
それは国家にとって、最も厄介な敵となる。
ブランゲル侯爵が重く口を開く。
「……放置すれば、いずれ我らにも影響が及ぶ」
誰も否定しなかった。
ザックは小さく舌打ちする。
「ちっ……面倒くせえ話になってきやがったな」
これは――“他国の話”では終わらない。
静かに、だが確実に。戦いの輪郭が、形を取り始めていた。




