挑戦?!
「リユニオン宿」一階――酒場兼食堂は、夕刻の喧騒がほどよく落ち着き、温かな空気に満ちていた。
木製の長テーブルには料理が並び、煮込みの湯気と焼きたてのパンの香ばしさ、果実酒の甘い香りが混じり合う。
その一角で、オスカー親子、クリフ、ケイト、そしてメグが食事を摂りながら談笑していた。
席順は自然と決まったように、メグはオスカーの隣。
肩が触れるほど近い距離だが、二人ともどこか落ち着いていて、無理に意識している様子はない。
ただ、オスカーだけは時折、ほんの少しだけ耳が赤くなる。
オイゲンとカタリーナは、メグと面識があった。
まだシマたち一行が城塞都市に到着する前、顔を合わせている。
最初の挨拶はどこか改まったものになった。
メグは姿勢を正し、静かに頭を下げる。
「オスカーとお付き合いしています。メグと申します。どうぞ、これからもよろしくお願いします」
はっきりと、だが柔らかな声だった。
迷いも照れもあるが、それ以上に誠実さが滲んでいる。
その場に同席していたベガが、酒杯を片手に口を挟む。
「オイゲンさんよぉ。補足しとくとだな、メグ嬢はシャイン傭兵団団長の妹で、中核メンバーだ」
さらりと言われたその一言に、オイゲンの手が止まった。
「……も、もしかしてだけど……け、ケイトさんたちと同じくらい、強かったり……?」
恐る恐る、といった調子で尋ねる。
その問いに答えたのはケイトだった。
「そうですね。優劣は、つけられないほどに」
微笑みを浮かべたままの即答。
それだけで十分すぎる答えだった。
さらに、壁際に座っていたユキヒョウが、低い声で付け加える。
「僕たちでは足元にも及ばない。……ああ、因みにオスカーにも、だ」
その瞬間、オイゲンの脳裏に、ある光景が鮮明によみがえった。
かつてスラムで、荒くれ者たちをまとめる親分連中が、クリフやケイトたちに揃って頭を下げていた場面。恐れと敬意が入り混じった、あの異様な光景。
(……俺が知っている“可愛い息子”は、一体どんな風に成長したんだ……?)
内心でそう呟くオイゲン。
一方で、その空気をまったく気にしていない人物が一人。
「まあ!」
カタリーナだった。
彼女の視線は、もっぱらメグに注がれている。
「こんなに綺麗な娘が、オスカーの彼女だなんて!」
両手を合わせ、目を輝かせる。
「メグさん、オスカーのこと、よろしくね!さあ! あなたたちのこと、いろいろ教えてちょうだい!」
満面の笑みで、矢継ぎ早に話しかけるカタリーナ。
戦力能力など、彼女の頭には一切ない。
ただ“息子の彼女”という一点だけが、すべてだった。
メグは一瞬きょとんとしたあと、ふっと表情を和らげる。
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
そのやり取りを見て、クリフはグラスを口に運びながら、静かに目を細める。
ケイトもまた、何も言わずに頷いた。
――そんな一幕があった。
そして現在。
食事の手が止まり、場の視線が自然とオスカーに集まる。
彼は小さく息を吸い、少し照れたように笑った。
「……父さん、母さん。紹介するよ」
一瞬だけ言葉を探し、それから、はっきりと告げる。
「僕が、最も大切な女性。メグだよ」
その言葉に、カタリーナは感極まったように目を潤ませ
オイゲンは深く息を吐き、ゆっくりと頷いた。
「……そうか」
それだけで、十分だった。
酒場兼食堂には、変わらず人々の笑い声と食器の音が満ちている。
だが、そのテーブルの周囲だけは、確かに一つの“家族”としての温度を帯びていた。
料理がひと通り片付き、卓上には酒と軽い肴だけが残る頃、談笑の話題は自然と滞在中の仕事――カシウム城で進められている写本作りと、公演の準備へと移っていった。
「しかしまあ……滞在中に終わる量じゃねえな」
木杯を傾けながら、クリフが肩をすくめる。
「何せ、あの城の蔵書は膨大だ。」
クリフはふと視線をケイトに向ける。
「ケイト。稽古は順調か?」
それは、遅れて合流した彼女を気遣っての問いだった。
ケイトは軽く胸を張り、即答する。
「問題ないわよ。踊りの振り付けは、もう完璧にマスターしたわ」
自信満々な口調に、周囲が微笑む。
だが、すかさずメグが横から口を挟んだ。
「後は歌のパートじゃない? 歌詞を覚えるくらい。……たまに間違えてるし」
「うっ……」
ケイトの言葉が詰まる。
「それは……まあ、少しだけね。でも本番までにはちゃんとするわよ!」
やや早口で言い切るケイトに、オスカーが吹き出す。
「あはは!ケイトらしいなぁ」
「何よ、その“ケイトらしい”って!」
ケイトは立ち上がる勢いでオスカーに身を乗り出し、両頬をぐいっと掴む。
「この口が悪いのね! この口が!」
「いだだだ……たしゅけて、メフ……!」
頬をつねられたまま、情けない声を出すオスカー。
その様子に、周囲から笑いが起きる。
「あははは……はいはい、そこまでよ、ケイト」
メグがやんわりと制止し、ケイトも名残惜しそうに手を離した。
「俺たちは、いつもこんな感じだ」
肩をすくめて言うクリフ。
「知ってるとは思うがな」
オイゲンとカタリーナは苦笑しながら頷く。
王都のスラム街でも、王都から城塞都市までの道中でも、酒の席で、何度もこうした光景を目にしてきた。
「……本当に、家族みたいだな」
ぽつりとオイゲンが呟く。
その言葉を聞いたオスカーは、頬をさすりながら首を横に振った。
「父さん。家族“みたい”じゃなくて……家族だよ」
一瞬、言葉を選ぶように間を置いてから、はっきりと続ける。
「大切で、自慢できて、頼りになる家族なんだ」
その声音には迷いがなかった。
「わかってるなら、よろしい」
ケイトが満足そうに頷く。
一同が、自然と笑った。
しばらくして、オスカーがふと思いついたように言う。
「そうだ。父さんも母さんも、写本作り、やってみない?」
オイゲンは一瞬、言葉を失う。
「いや……俺たちは、読み書きも多少わかる程度だし……」
そう言ってから、無意識に右腕を見る。
「それに、俺は元々右利きだった」
だがオスカーは、首を振る。
「右利きだったなら、左利きにすればいいんだ」
穏やかだが、芯のある声。
「時間はかかると思う。苦労もするし、嫌になることもあるかもしれない」
一拍置いて、続ける。
「……でも、一生懸命やって、それでも出来なかったら。その時に諦めればいいと思う」
オイゲンは言葉を失い、黙り込む。
そこへ、クリフが静かに口を挟んだ。
「やる前から諦めるには、早いぜ」
木杯を置き、少しだけ真剣な表情になる。
「まあ、オイゲンさんの場合、人一倍苦労することにはなるだろうがな」
オイゲンは深く息を吐き、しばらく考え込んだ末――苦笑した。
「……息子に、ここまで言われちゃな」
顔を上げる。
「挑戦してみるか」
その瞬間、カタリーナの目が輝いた。
「ええ! 私もやってみるわ!」
嬉しそうに手を叩く。
「それに、勉強にもなるもの!」
オスカーはほっとしたように微笑み、メグはその様子を静かに見守る。
クリフとケイトは、言葉はなくとも満足そうに頷いた。
酒場兼食堂には、また穏やかな笑い声が広がる。
写本作り、公演、そして新しい挑戦。
「リユニオン宿」の扉が開き、夜気とともに二つの影が滑り込んでくる。
「……あ」
真っ先に反応したのは、元スラムの子供たちだった。
「ユキヒョウお兄ちゃんだ!」
「ベガのおじさん!」
一斉に上がる無邪気な声に、ベガが足を止める。
「……おじさん、か……」
どこか納得しきれない顔でぼやく。
「まあ、そう言われてもおかしくねえ年齢ではあるんだけどよ……」
その横で、ユキヒョウが肩を揺らしてクスクスと笑う。
「受け入れた方がいいよ、ベガ」
「お前は黙れ」
軽口を叩き合いながら、二人は空いている椅子を引きずって、クリフたちの卓へ加わった。
「夕餉はどうだった?」
クリフが自然な調子で尋ねる。
ユキヒョウがグラスに口をつけながら答える。
「侯爵様も、だいぶ僕たちに染まってきてるかな?」
「俺たちらしく、相変わらず賑やかで楽しい夕餉だったぜ」
ベガが肩をすくめる。
「……まあ、ちょっとした問題はあったけどな」
「問題?」
メグが首を傾げる。
するとユキヒョウが、やんわりと手を振った。
「それについては、メグ嬢とケイト嬢には“今はまだ知らせるな”って、シマから言われてるんだ」
「お兄ちゃんが?!」
メグが目を丸くする。
「公演に向けて集中してほしいってことだね」
オスカーがすぐに察して言う。
「そういうことだ」
ベガも頷く。
「それなら仕方ないわね……」
ケイトはあっさりと納得し、話題を切り替える。
「そうそう!オイゲンさんとカタリーナさんが、写本作りを手伝ってくれることになったのよ」
「……足を引っ張らなければいいんだが」
オイゲンが、少しだけ不安そうに言う。
すると、メグが穏やかに微笑んだ。
「心配しなくても大丈夫ですよ。シャイン傭兵団では、頑張っている人を馬鹿にするような人はいませんから」
「そんなことしようもんなら、袋叩きだ」
クリフが即座に付け足す。
「間違いねえ!」
ベガも声を揃える。
卓を囲んだ面々が、どっと笑う。
「……しかも、オスカーのご両親だしね」
ユキヒョウがさらりと言う。
「後のことを考えると、恐ろしくてそんな真似できないよ」
「えー……なんか心外だなあ」
オスカーが苦笑する。
「僕、怒ったことなんてないはずだけど……?」
「確かに、オスカーが本気で怒った姿は見たことないね」
ユキヒョウは即座に頷く。
「でも、模擬戦で散々身に染みてるから」
「手加減されて、あれだからなあ」
ベガがしみじみと言う。
「オスカーも、嬢ちゃんたちも、もう少し優しくしてくれてもいいんだぜ?」
またしても笑いが起きる。
その賑やかな輪の中で、オイゲンとカタリーナは言葉少なに、その光景を見つめていた。
オイゲンの胸中には、まだ整理しきれない思いが渦巻いている。
優しい顔立ちで、争い事とは無縁に見える自分の息子オスカー。
その隣で微笑む、綺麗で穏やかな娘――メグ。
だが、ケイトが荒くれ者たちを従え、自然に場を掌握していた姿を、夫妻は確かに目にしてきた。
(……見た目だけで、人は測れない、か)
その後は、特別な話題もなく、たわいもない会話が続いた。
酒が減り、笑い声が落ち着いてくる頃――
「じゃあ、そろそろ」
オスカーが立ち上がり、メグを見る。
「送っていくよ」
「うん」
「明日は、俺とユキヒョウで城へ案内する」
クリフがオイゲン夫妻に告げる。
「よろしくお願いします」
オイゲンとカタリーナは、揃って頭を下げた。
オスカーとメグは並んで宿を出て、アパパ宿へと向かう。
メグを送り届けた後、オスカーはそのままロイドやトーマスたちと合流し、カシウム城へ戻っていった。
それぞれが食堂を後にし、静まり返り始めた「リユニオン宿」の廊下を、自分たちの部屋へと向かって歩く。灯りは落とされ、壁際のランタンが淡く揺れているだけだ。
昼間の喧騒が嘘のように、足音だけがやけに大きく響く。
その途中、ベガが歩調を緩め、隣を歩くクリフに低い声で告げた。
「明日な俺たち…ベガ隊とワーレン隊で、情報屋を探して接触する予定だ」
一瞬だけ、クリフの視線が鋭くなる。だが驚きはなかった。
「……シマからの指示だな」
「察しが早え」
ベガは小さく肩をすくめる。
「そうか、ちょっと持ってろ」
クリフは部屋に入り木箱から、無造作に革袋を二つ取り出した。
「なら、一応これを持っていけ」
ベガが受け取り、口を少し開けて中を確かめる。
「……はっ、太っ腹だな」
「それぞれ百金貨が入っているはずだ」
軽く言ってのけるが、百金貨――一般の人間にとっては、人生を変えるほどの大金だ。
「ゾゾ一家の遺産だね」
ユキヒョウが、声を落として皮肉混じりに笑う。
「僕たちが有意義に使ってあげないとね」
その言葉に、クリフは無言で頷いた。
今回の目的は、単なる情報集めではない。
王都から城塞都市、そしてチョウコ町へ――
その間には、いくつもの領地、街、村が点在し、さらに国境すらまたぐ。
チョウコ町はノルダラン連邦共和国、城塞都市はアンヘル王国。
距離も政治も、簡単に越えられるものではない。
(今すぐに、完成形を作るのは無理だ)
だが――(“繋ぎ”を作ることはできる)
顔を合わせ、名を覚えさせ、信用を買う。
それだけでも、いざという時の動きは格段に変わる。
シマの判断は明確だった。
情報屋たちには、シャイン傭兵団の名を明かして構わない。
そして、報酬は惜しまない。
金で動く者には金を。
誇りで動く者には誠意を。
どちらにせよ、「この連中と関わっておくのは得だ」と思わせることが重要だった。
「ワーレン隊も一緒なら、動きやすいだろ」
クリフが言う。
「まあな。向こうも情報の扱いには慣れてる」
ベガは革袋を腰に括り直し、歩き出す。
「じゃあ、明日は早え」
「気をつけろ」
短いやり取りだったが、それで十分だった。
そうして三人は、それぞれの部屋へと別れていく。
夜の静けさの裏側で、新しい“網”が、確かに張られ始めていた。




