戦術会議?!
城塞都市の喧騒から一歩引いた場所にある、アパパ宿。
時刻は夕方前、夕餉には少し早い時間帯だというのに、店内の一角には妙に張り詰めた空気が漂っていた。
テーブルを囲んでいるのは男三人。
ザック、フレッド、そしてテオだ。
彼らは今、真剣そのものの表情で肘をつき、酒杯にも口をつけず、地図、メモを広げていた。
そう、相談内容は――娼館。
「……悩むな……」
頭を抱えるようにザックが呻く。
「候補は絞っちゃいるが、決め手がねえ」
「城塞都市の歓楽街は広すぎるよ……」
テオは地図を見下ろしながら肩を落とす。
「俺は初めて来る場所で、いきなり最適解を選べって言われても無理があるって」
「それでもだ」
フレッドは親指で顎をこすり、妙に自信ありげに言った。
「俺は一応、五件までは絞ってるぜ」
「俺もそのくらいだな。今日のところは、だが」
ザックも頷く。
昼間この三人は、入念な情報収集をしていた。
聞き込み、店から出てくる客の表情観察、噂話の精査。
まるで諜報活動のような熱量だった。
「なあ……」
テオが遠慮がちに切り出す。
「“美人局”って店…客を見送ってたお姉さん、美人だったよな?客の表情も、かなり満足げに見えたけど……?」
「ああ、あそこな」
フレッドは即答だった。
「候補の中に入ってるぞ」
「俺もチェック済みだ」
ザックがうんうんと頷く。
「あそこは対応が丁寧だって評判もある」
テオは感心したように目を輝かせる。
(なるほど……娼館にも“格”と“流儀”があるのか……)
「……ただな」
ザックが急に声を潜める。
「俺はここも捨てがたいと思ってる」
彼が指差した先のメモには、でかでかと書かれていた文字。
――『熟女』
「噂じゃ満足度ナンバーワンだとよ」
フレッドがニヤリと笑う。
「一度ハマると戻れねえって話だ」
「聞き込みでも言ってたな」
テオが真面目な顔で補足する。
「お姉さんたちの年齢は少し高めらしいけど、間違いないって」
「だろ?」
ザックは腕を組む。
「経験値ってのは、侮れねえ」
「さて……」
フレッドがテーブルを軽く叩く。
「どこを攻めるか、だな?」
三人同時に唸り声を上げ、再び地図とメモに視線を落とす。
その様子は、どう見ても戦術会議そのものだった。
――が。
その少し離れた席から、冷ややかな視線が突き刺さっていることに、彼らはまったく気づいていなかった。
視線の主は、テオの家族、母ヘラ、姉リタ、父ベン。――カウラス一家。
ヘラは腕を組み、口元をひくりと引きつらせている。
リタは呆れと怒りの中間のような表情で、深いため息。
そして父ベンはというと――(……俺も行きたい)という欲望が、顔にありありと出ていた。
「よくもまあ……」
隣の席からアンが呆れたように言う。
「私たちがいる前で、堂々とこんな話が出来るわね」
「……ある意味、凄いわよね」
イライザが遠い目をする。
「ここまで清々しいと、怒る気も失せるわ」
ザックたちは、まったく気づかずに続ける。
「いやー、テオは、まだまだ初心者だからな」
「一生モノのトラウマとか洒落にならねえからな」
「だからこそ、慎重にだ」
ヘラのこめかみがピクッと動いた。
(……この子は誰の子だったかしら)
幸いだったのは、子どもたち――エバンス、アニー、ウエンス、ミライが、父親たちに連れられて観光に出ていて、この場にいなかったことだ。
もし居合わせていたら、この場は間違いなく阿鼻叫喚になっていただろう。
「……ねえ」
リタが小声で母に囁く。
「止めなくていいの?」
「……止めても無駄よ…行くに決まってるわ」
ヘラは疲れたように首を振った。
父ベンは、そっとザックたちのメモを覗き込み――ヘラに思いきり足を踏まれた。
「いったぁ!?」
こうして、アパパ宿の一角では、真剣すぎる男三人の“戦略会議”と、それを見守る(という名の監視をする)家族たちの、奇妙で騒がしい夕方が、静かに――いや、まったく静かではなく――過ぎていくのだった。
アパパ宿の扉が、ぎい、と音を立てて開かれた。
外の夕暮れの光と一緒に、どっと人の気配が流れ込む。
サーシャを先頭に、エイラ、ミーナ、ノエル、リズたちが公演のリハーサルを終えて戻ってきたところだった。髪は少し乱れ、額にはうっすら汗。それでも表情は引き締まり、充実感が滲んでいる。
その様子を見て、酒場の隅で地図と杯を前にしていたザックが、椅子にだらしなく座ったまま口を開いた。
「……やっと帰ってきたか」
待ちくたびれた、とばかりに大きく伸びをする。
その隣でフレッドが、いかにも当然の顔で立ち上がり、エイラに手を差し出した。
「待ちくたびれたぜ。よし、エイラ。金くれ」
一瞬、宿の空気が凍った。
「……またお前ら、娼館か?」
低く呆れた声を出したのはギャラガだった。
その隣には妻のアンジュ、そして幼い娘シンジュ。
アンジュはその言葉を聞いた瞬間、シンジュを抱き寄せ、何も言わずにさっと距離を取る。
その動きがあまりに素早く、手慣れていて、逆に哀愁を誘った。
「おい…」
今度はトーマスが眉をひそめる。
「ここにはメリンダもいるんだぞ」
「わ、悪い……」
素直に謝るギャラガ。
フレッドは一瞬たじろぎ、視線を泳がせる。
「……って、なんでそこでメリンダの名前が出てくるんだよ……?」
メリンダは肩をすくめ、小さくため息をついた。
「いいわよ。どうせ何を言っても聞かないし」
エイラは無言で革袋を取り出し、金貨を一枚、指でつまんで差し出した。
その音が、やけに大きく響く。
「……はい。一金貨」
「……たったこれだけ?」
フレッドが信じられないという顔をする。
「こんなんじゃ朝までハッスル出来ねえぞ? 三人分だぞ!」
「そうだそうだ」
ザックもすかさず便乗する。
「嫌なら返してもらうわよ」
エイラは表情一つ変えずに言った。
「いや、それは駄目だ!」
フレッドは即座に金貨を握りしめ、背中に隠す。
あまりの速さに、誰もツッコミを入れられなかった。
そこへ、涼しい声が割り込む。
「地下格闘技?そこで資金を増やしてくればいいじゃない」
ミーナだった。
次の瞬間――「その手があった!」
ザックとフレッドが、見事なまでに同時に手をポンと叩いた。
「お前、天才か!」
「さすがミーナ!」
ロイドが静かに言う。
「……だけど、いいかい? 十分に気をつけること。怪我なく戻ってくるんだよ?」
「だ~いじょうぶだって!」
フレッドは豪快に笑う。
「俺たちが戦いにおいて油断するわけねえだろ」
「心配しすぎだぜ、ロイド」
ザックも肩をすくめる。
そのやり取りを見ながら、ギャラガは内心で思う。
(……そもそも、こいつらに勝てる奴なんているのか?)
だがロイドは首を横に振らない。
「万が一、ということもあるからね」
その言葉の重みを引き継ぐように、サーシャが一歩前に出た。
視線は鋭く、声は静かだが、凍りつくような圧がある。
「それと……シャイン傭兵団の名を貶めるようなことは、するんじゃないわよ」
一瞬、場の空気が張り詰める。
「もし、そんなことをすれば……」
サーシャはそこで言葉を切り、微笑んだ。
「……わかってるわね?」
その先を口に出す必要はなかった。
彼女たちによる容赦ない私刑が待っていることは、誰の目にも明白だった。
「りょ、了解だ……」
フレッドの声が裏返る。
その様子を見て、リズがきっぱりと言った。
「お兄ちゃんは、ここで待っていなさい。いいわね?」
「は、はい……」
テオは背筋を伸ばして即答した。
地下格闘技――名ばかりで、実態は殺し合い。
普通の人間には刺激が強すぎる世界だ。
「なあに!」
フレッドが肩を回しながら言う。
「チャチャっと済ませて、すぐ戻ってくるからよ!」
「お前はな~んも心配することはねえ!」
ザックも胸を張る。
そう言い残し、二人は意気揚々と扉へ向かう。
扉が再び開き、夕闇の中へと姿を消していった。
都市の喧騒は、気づけば背後に溶けて消えていた。
瓦礫と鉄くずが無秩序に積み上げられた倉庫街の入口で、まるで結界を越えたかのように途切れる。
鼻腔をくすぐるのは、錆びた鉄と油、そして微かに混じる血の匂い。
ここが“まともな場所じゃない”と告げている。
その時だった。
倉庫の陰で、数人の男たちが右往左往しているのが目に入る。
怒鳴り声でもなく、威勢のいい喧騒でもない。
――完全に、うろたえている。
「あっ?!」
一人がこちらを見て目を剥いた。
「……ザックさんとフレッドさん?!」
次の瞬間、男は裏返った声で叫ぶ。
「お、おい! 親分に知らせろッ!!」
蜘蛛の子を散らすように男たちが走る。
鉄の扉が、内側から乱暴に開け放たれた。
「ざ、ザックさん! フレッドさん!」
転がるように飛び出してきたのは、ザックたちが“チョビ髭”と呼んでいる地下闘技場の元締めだった。
小柄な体躯に、脂ぎった額。口元のちょびっとした髭が情けなく震えている。
「た、助けてください! お願いします!」
地に膝をつかんで懇願する様は、普段の尊大な態度からは想像もつかない。
「事情を説明しろ」
ザックは腕を組み、完全に上から目線で言った。
「慌てるなよ」
フレッドがチョビ髭の背中をバンッと叩く。
「こういう時こそ冷静だ。息を整えろ」
「は、はい……」
チョビ髭は唾を飲み込み、震える声で言った。
「……な、中で……ば、化け物が……暴れて……もう、手が付けられません……」
必死に言葉を繋ぐ。
「鎖も……刃も……効かない……。お二方の力を……貸してもらえませんか?」
フレッドが顎を撫で、即座に本題に入った。
「で、いくらくれるんだ?」
「……五十金貨」
その数字が出た瞬間、ザックとフレッドの目が僅かに細くなる。
それだけ切羽詰まっている――そういうことだ。
ザックとフレッドは、顔を見合わせる。
ニヤリ。
「話が早くていい」
ザックが言う。
「悪くねえな」
フレッドも同意した。
チョビ髭は、縋るような目で何度も頭を下げる。
「ありがとうございます! こちらです!」
彼が先頭に立ち、奥へと急ぐ。
鉄の扉の向こう、石造りの階段が口を開けていた。
緩やかに、だが確実に深部へと誘う螺旋階段。
一段降りるごとに、音が増えていく。
最後の一段を踏み下ろした瞬間、視界が一気に開けた。――広大な地下闘技場。
円形に広がる観客席。
中央には、金網で囲まれた巨大なリング。
天井からは無数のランタンが垂れ下がり、橙色の光が不気味に揺れている。
だが、いつもの狂騒はない。
「いつになったら始まるんだ!?」
「金返せ!」
「ふざけるな!」
客たちは騒ぎ、困惑し、怒りを露わにしている。
必死に宥めるチョビ髭の部下たち。
「ま、間もなくだ!」
「もう少し待ってろ!」
裏社会特有の、荒っぽい言葉遣いで場を繋ごうとしていた。
チョビ髭はリング横を素通りし、選手通用口へと向かう。
さらに奥、さらに奥へと。
怒号と悲鳴が、壁越しに直接叩きつけられる。
そして――そこに、そいつはいた。
「……でけえな」
ザックが呟く。
ザックよりも二回りは大きい巨体。
異様に膨れ上がった筋肉。皮膚は傷だらけで、血と汗で光っている。
身体には、制御するためだろう鎖が何本も巻き付けられていた。
だが、その鎖は軋み、今にも引き千切られそうだ。
槍が刺さり。剣が突き立てられ。
頭の頂点には、一本の剣が食い込み、柄だけが無惨に揺れている。
それでも――そいつは止まらない。
狂ったように暴れ、吠え、鎖を引きちぎろうと身体を振る。
床は血に染まり、砕けた武器の破片が散乱していた。
その足元には、チョビ髭の部下たちであろう遺体がいくつも転がっている。
今なお、生き残った者たちが必死に止めようとし、次々に弾き飛ばされていた。
フレッドが口の端を吊り上げる。
「……なるほどな」
闘技場の奥深く、血と怒号が渦巻くその空間で、その表情だけがやけに落ち着いて見えた。
視線は、鎖を引きちぎらんばかりに暴れる“それ”に向けられている。
「で、殺っちゃっていいのか?」
あまりにも軽い口調だった。
二人の背後で、チョビ髭は喉を鳴らし、震える声を絞り出す。
「……お、お願いします……」
一瞬、言葉が詰まり、次の瞬間、覚悟を決めたように叫んだ。
「殺ってください……!」
その言葉が耳に届いた刹那――ザックは、もう動いていた。
助走も、溜めもない。
ただ一歩踏み込み、低く、鋭く、地を削るような蹴り。
狙いは両膝。
「――ッ!」
鈍い衝撃音が響き、巨体が大きく揺らぐ。
それは単なる下段蹴りだった。
だが、“規格外”の人間が放てば、結果は常識の範疇を遥かに超える。
暴れていた身体が、制御を失ったように崩れ落ちた。
その時にはもう、フレッドの手には二振りのグラディウスが握られていた。
いつ抜いたのか、誰にも分からない。
気づいた時には、彼はすでに間合いの内側にいた。
――三閃。
刃が走り、空気が裂ける。
一切の無駄も、躊躇もない。
ただ“終わらせる”ためだけの動き。
それは本当に、一瞬の出来事だった。
暴走していた存在は、完全に沈黙する。
もはや、そこに“化け物”は存在しない。
果たして、化け物とは何だったのか。
答えは、あえて口にするまでもない。
静寂が訪れる。
血と破壊の痕跡だけが残るその場で、ザックはゆっくりと振り返った。
そして――何事もなかったかのように、ニヤニヤと笑い、チョビ髭へと手を差し出す。
「約束だな」
フレッドも、同じく手を差し出した。
「五十金貨だ」
チョビ髭は、呆然としながらも、何度も何度も頷いた。
地下闘技場の奥深く。“仕事”は、あまりにも静かに、早く、そして確実に終わった。




