食談議?!
カシウム城大広間。
アンネに続き、コリンナの返答もまた、同じ結論へと辿り着いていた。
「……私も、です」
静かに、しかしはっきりとそう口にしたコリンナの言葉に、視線が一斉にダルソンへ向けられる。
ダルソンは難しい顔をしていた。
彼は元「鉄の掟」傭兵団の結成時から在籍する古参であり、かつての団長グーリス、副団長ライアンからの信頼も厚い男だ。
その信頼は、今やシャイン傭兵団を率いるシマにとっても同じだった。
現在はシャイン傭兵団の傘下に入り、一隊を任されている。
落ち着きがあり、面倒見がよく、気が利く。
無駄に前に出ることはないが、必要な時には必ず前に立つ――そんな男だ。
シマは内心で息を吐いた。
マークはまだ若い。だが、ダルソンは確か三十手前。
ようやく、彼にも“春”が訪れたのだ。
傭兵という生き方を好いてくれる女性は、決して多くはない。
だからこそ、その想いの重みも分かる。
「ダルソン」
シマは正面から問いかけた。
「お前は、どうしたい?」
ダルソンは少しだけ黙り込み、やがてゆっくりと口を開く。
「……コリンナの気持ちは、正直うれしい」
だが、と言葉を切り
「俺は、お前らについていくと決めてる。地獄の果てまで、だ」
視線を逸らすことなく続ける。
「シマが俺に、ここに残ってジェイソン様にアイキドーを教えろと命じるなら、従う。ただし……期限付きだ」
「……なるほど」
そう言ってから、今度はバルバラ、ベティーナ、ヘルガへと視線を移す。
「じゃあ、バルバラたちだ。派遣されてもいい……最低条件は?」
間髪入れず、バルバラが手を挙げる。
「冷えた果実酒が飲めることと、リンスは絶対条件です!」
そして少し恥ずかしそうにもじもじしながら、
「それと……ラーメンです…夜中に小腹がすいたときに食べるラーメンと果実酒……やめられません」
「わかる!」
「コッソリと、夜中に食べるラーメン。なんかちょっと罪悪感があってな!」
「わかるわかる!」
シャイン傭兵団の面々が一斉に頷く。
続いてベティーナ。
「私も冷えた果実酒は外せません。それと、リンスが使えること」
少し間を置いて
「……焼そばが食べられれば……あの、焦がしたソースの匂い。パンに挟んでもいいし、そのまま食べても……堪りませんわ」
「あの匂いが食欲をそそるんだよな!」
「作ってる途中から、よだれが出てきてな!」
またもや賛同の声が上がる。
最後にヘルガ。
「私は……リンスと、ショウチューと、唐揚げです」
「ショウチューとレモンの果実酒割りが大好きで…肉汁たっぷりの唐揚げを食べた後、それで流し込むんです」
目を閉じ、陶酔したように続ける。
「鶏肉の旨味と脂を、キリッとした酒で洗い流すように…延々と、食べられます」
「あ~~っ!」
「やべえ!」
「想像しちまったじゃねえか!」
「無性に食いたくなってきたッ!」
「ヘルガ!お前はなんて罪な女なんだ!」
大広間は再び笑いと叫びに包まれる。
人は、条件では動かない。
居場所と手放せない日常があるからこそ、動けなくなる。
「……カ……エリカ!」
呼ばれた瞬間
「……っ!」
エリカははっと我に返った。
視線が泳ぎ、ほんの一拍遅れて現実に引き戻される。
「な、何でしょうか、お母様?」
慌てて背筋を伸ばし、いつもの“侯爵令嬢の顔”を作る。
エリジェ夫人は腕を組み、やや呆れたように娘を見ていた。
「さっきから、何度も呼んでいるのに……」
そして、ふっと首を傾げる。
「ラーメン? 焼そば? 唐揚げ?……そんなに、美味しいの?」
その問いに、エリカは一瞬言葉を探し、そして小さく笑った。
「それはもう……好みにもよりますけど」
少しだけ視線を遠くにやり
「私は……ラーメンを食べた後に、ヤコブさんが作ってくれる“ヤコブ・スペシャル”を飲むと……」
胸の前で、そっと手を重ねる。
「不思議と、心が落ち着くんです」
「ああ……!」
「わかる!」
シャイン傭兵団の面々が、待ってましたとばかりに声を上げる。
「酒であって、酒じゃねえ」
「お茶であって、お茶でもねえ!」
「なんつーか……心が整う感じだよなぁ」
それは単なる飲み物の感想ではない。
剣を置き、鎧を脱ぎ、今日を終えた者たちがようやく辿り着く“帰る場所”の味だった。
「ほっほっほ」
ヤコブが顎ひげを撫でながら笑う。
「まだまだ改良の余地はあるがの」
「僕はね」
今度はユキヒョウが杯を傾けながら言った。
「白ワインと天ぷらの組み合わせが、かなりお気に入りだ」
「それもあった!」
「おい、やめろ!」
「カァ~ッ……今そんな話するなよ!」
「食いたくなってくるじゃねえか!」
食の話題は、まるで堰を切ったように広がっていく。
誰かが語れば、誰かが思い出し、誰かが想像し――想像は記憶を呼び、記憶は欲を刺激する。
香ばしい油の匂い。湯気の立つ麺。冷えた杯の感触。
そんな中、ジトーが苦笑しながらシマの方を見る。
「……さて、シマ。どうするよ?」
その声に、シマは現実へ引き戻される。
周囲を見回せば、目は輝き、口角は緩み、誰もが次の一口、次の一杯を想像している。
「……エイラとミーナに交渉してもらって」
シマは頭を掻きながら言った。
「製法とレシピを買ってもらうしかねえな…マークとダルソンは連れ帰る、俺たちには必要な男たちだ」
エリカは小さく息を吐き、視線を侍女たちへと向けた。
「……そうなると、バルバラ、ベティーナ、ヘルガの誰かになるわね」
その声には迷いが滲んでいる。
アンネとコリンナの想いを、できることなら叶えてやりたい――その気持ちは偽りではない。
たとえこの先、どう転ぶか分からなくとも、少なくとも今は、彼女たちに寄り添いたかった。
だが同時に、バルバラ、ベティーナ、ヘルガにも、それぞれ譲れない日常と大切なものがある。
結局のところ、答えはまだ出ない。
残る判断材料はただ一つ――どこまで条件を整えられるか、それ次第だった。
「ああ、その前に……」
肩をすくめ
「ブランゲルたちを正気に戻さねえと、だな」
食は、力だ。
癒しであり、誘惑であり、人を繋ぎ、狂わせもする。
――ラーメン。焼そば。唐揚げ。天ぷら。
(……何だ、それは?)
ブランゲル侯爵の思考は、完全に置き去りにされていた。
耳には確かに聞こえている。だが、言葉の意味が一切結びつかない。
(いや……待て…さっき、デシンスが言っていたな……鍋を囲んで食べる、だと?鍋を……囲む?意味が分からん…)
頭の中で、意味の分からない単語がぶつかり合い、ぐるぐると駆け巡る。
酒のせいではない。これは明確な「情報過多」だった。
侯爵のすぐ傍らに控えるネリも、珍しく思考を飛ばしていた。
普段は状況を一瞬で整理し、最適解を導き出す「デキる男」。
その彼ですら――(……一体、どんな料理なんだ)
視線は宙を彷徨い、耳は会話を追っているのに、理解が追いつかない。
ネリがここまで上の空になるのは、極めて稀なことだった。
一方、ジェイソンは冷静だった。
いや、冷静であろうとしていた、と言うべきか。
(……恐らく、シマが思いついた新しい料理だろう)
そこまでは、分かる。問題は、その「次」だ。
(だが……領軍で好評のハンバーガー、ホットドッグ、カツサンド等々……あれを教わったのが、ついこの前だ。確か……半年も経っていない)
思い返す。簡単に食べられ、携行性が高く、兵の士気を底上げした数々の料理。
それだけでも十分すぎるほどの“革新”だった。
(……その短期間で、また新しい料理?あり得るのか?本当に?)
理性が、常識が、警鐘を鳴らす。
だが同時に、シャイン傭兵団の面々が見せる反応が、それを否定していた。
エリクソンは、ただ呆然としていた。
目の前では、傭兵たちが目を輝かせ、身振り手振りを交えながら食を語っている。
「寒い日にゃ、あれが最高でな!」
「油の香りがな、鼻に来るんだよ!」
「冷えた酒と合わせると……」
――嬉々として。
――楽しげに。
――まるで、長年親しんできた郷土料理のように。
(……同じ時代に生きているはず、なのだがな…)
エリクソンは、そんな感覚に襲われていた。
エリジェ夫人もまた、同様だった。
侯爵夫人として多くの宴を経験し、珍味にも舌を慣らしてきた彼女ですら、聞いたことのない料理名が次々と出てくる現状に、完全に置いていかれている。
「……」
言葉を挟むこともできず、ただ静かに話を聞いている。
だが、その瞳には確かな困惑があった。
執事長フーベルト。
次席執事長ルーファス。
この二人に至っては、混乱が表情にそのまま表れている。
段取り、配膳、礼儀、格式――
それらすべてを管理する立場の者たちにとって「知らない料理が次々と増えていく」という状況は、悪夢に近い。
(……メニューに、載せられない)
(いや、載せる以前に……何だ、それは)
フーベルトは内心で呻き、ルーファスは眉間を押さえていた。
デシャンや、マリウスの側近たち、モーガン、キャシーといった面々も同様だ。
聞き慣れない料理名に、驚きを隠せない。
もっとも、乾麺と粉末スープ――いわゆる「簡易ラーメン」の存在を、彼らはすでに知っている。
デシャンは知らないが。
そんな中で――マリウスだけが、違う表情をしていた。
(……君という男は……)
呆れと、驚きと、わずかな笑み。
それらがない交ぜになった視線が、自然とシマへ向く。
(どこまで行くんだ。どれだけ、当たり前の顔で時代を更新するつもりだ)
シャイン傭兵団の面々は、変わらず楽しそうだ。
だが、それを見つめる者たちは、今まさに理解していた。
――これは、ただの食事の話ではない。
――価値観そのものが、静かに揺さぶられているのだと。
カシウム城大広間。
そこには今、“知っている者”と“知らない者”の、はっきりとした境界線が生まれていた。
「――静かに」
その一言だった。
その声は大広間の隅々まで行き渡り、先ほどまで渦巻いていたざわめきは、糸を断たれたかのようにすっと収まった。言ったのは、当然のようにシマだった。
談笑も、食談議も、困惑も、興奮も、すべてが一瞬だけ止まる。
人々は無意識のうちに背筋を正し、視線をシマへ向けていた。
「ジェイソン」
シマは視線を移し、淡々と続ける。
「公演が終わった後で、会合を開くんだったよな。……その時でいいか?」
それだけだった。
だが、その一言に込められた意味を、ジェイソンとマリウスは即座に理解した。
王都で起きた政変。
ワーレン隊、そしてベルンハルトたちが集めた情報。
スニアス領、コンラート領、ゼルヴァリア軍閥国――それぞれの動きと、断片的な出来事のすり合わせ、そして共有。
さらに、冷えた酒の製法、新しい料理のレシピを巡る交渉。
バルバラ、ベティーナ、ヘルガのうち、誰を派遣するのかという判断。
そして何より――今この時期に、リズたちに余計な心配をさせたくない、という配慮。
すべてを含めての「その時でいいか?」だった。
「……そうだね」
ジェイソンは小さく頷き、即座に応じる。
「それまでは一旦、棚上げだね」
そう言ってから、柔らかく視線をエリカへ向けた。
「エリカ、それでいいかい?」
エリカは、すぐに顔を上げる。
「今は、公演に向けて集中したいですから」
穏やかな笑みを浮かべ
「そうしてくれると助かりますわ、ジェイソンお兄様」
その言葉に、場の空気が少しだけ緩んだ。
緊張は解けていない。
だが、進むべき順番が定まったことで、人々の心は落ち着きを取り戻していく。
今はまだ、幕が上がる前。
語るべきこと、決めるべきことは山ほどある。
だがそれは、公演が終わった“その後”でいい。
シマはそれを確認するように、静かに杯を置いた。




