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光を求めて  作者: kotupon


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500/532

チョウコ町から離れたくない?!

 カシウム城大広間。

 夕餉の刻には、すでに侯爵家の面々が揃っていた。

湯浴みを終えたエリカたちは頬に血色を戻し、軽やかな足取りで席に着き、エリクソンも軍務を終えて鎧を脱ぎ、ようやく家族の輪へと加わる。


 食事は当初、穏やかで節度あるものだった。

料理の感想が交わされ、近況が語られ、グラスが軽く触れ合う程度の、いかにも貴族の夕餉らしい空気。しかし、酒が進むにつれてその均衡はあっさりと崩れた。


 笑い声は次第に大きくなり、誰かが立ち上がり、席を移り、もはや席順など誰も気にしていない。

気づけば宴の様相を呈し、騒がしさすら心地よい混沌が広間を満たしていた。


 シマも例外ではなかった。

いつの間にかマリウスの隣に腰を下ろし、互いに杯を掲げながら談笑している。


 一方、ブランゲル侯爵とエリジェ夫人の周囲にはヤコブとユキヒョウが陣取り、学問と武の話題が奇妙な均衡を保ったまま続いている。


 ジェイソンはというと、エリカに何やら必死に頼み込んでおり、身振り手振りの大きさから察するに、かなり切実なお願いのようだ。


 エリクソンの隣にはジトーがいて、杯を重ねながら軍務と戦場の話で盛り上がっていた。


 シャイン傭兵団の団員たちも、それぞれ好みの酒を片手に、シマやジトー、あるいはブランゲル夫妻の周囲に自然と集まり、会話の輪は幾重にも重なっていく。


 そのときだった。

 静かな軋み音とともに、料理長ミテラン・タス―がカートを押して大広間に入ってきた。

その存在感は控えめでありながら、場の空気を一変させるには十分だった。


「ブラウンクラウンを一株、使わせていただきました」

 その言葉に、ざわめきが走る。

「スープは四人分、身は二人分となります」


 誰に供されるのか――その答えは半ば決まっていた。

「一人はエリジェだな」

 ブランゲルの視線が自然と妻へ向く。

「身も、スープも」


 そして侯爵はシマを見る。

 誰に食べさせるか、誰に飲ませるか。問いかけるような目だった。


「俺が推薦するのは」

 シマは即答した。

「ヤコブ、デシャン、それからブランゲルもだな。疲れてるようだし」

 一瞬間を置いて

「あとフーベルトさんとルーファスさんだ」


「ズルい!」

 即座にエリカが声を上げる。

「私だって食べたいし、飲みたい!」


「……お前、チョウコ町で食っただろ」

 ジトーが呆れたように言う。


「アレ一回きりじゃない!」

 エリカはむくれるが、周囲からは苦笑が漏れる。


「ふふ……何ともシマらしいね」

 ユキヒョウが微笑む。

「年配者には長生きしてもらいたい、という配慮かな?」


「経験に勝るもんはねえからな」

 シマは肩をすくめる。

「デシャンは、まだ完全に身体が戻ってねえみたいだし」


「シマ……お前って奴は……」

 デシャンは胸を押さえ

「なんていいやつなんだ!ということで、俺は決まりですな、ブランゲル様!」


「……」


「……ブランゲル様?」

 呼びかけても返答はない。


 ややあって、侯爵は深いため息をついた。

「……仕方ない。今回はシマの意を汲もう」

「フーベルトには身を」

「ヤコブ、デシャン、ルーファスにはスープを」

 そして一拍置き、

「俺は……泣く泣く辞退しよう。本当に……残念だがな」


 侯爵家当主の決断が下されれば、さすがのエリカも口を噤むしかなかった。


 ミテランが上蓋を取る。

 ふわり、と。

 黄金色のスープから立ち昇る香りが、大広間を包み込む。

 身はキノコとは思えぬほど分厚く、まるで上質な肉のようだ。


 誰かの喉が、ごくりと鳴った。


「ふふふ……悪いわね。いただくわ」

 ナイフとフォークを手に、エリジェが微笑む。


 だが次の瞬間、彼女は動きを止めた。

「……ちょ、ちょっと待って!…そ、そんなに見つめられたら……食べづらいわ!」


 侯爵夫人ともなれば注目には慣れている。

 だが、今向けられている視線は、期待と羨望と欲望が混じり合った、あまりにも異様なものだった。

 その視線の重さに、エリジェは思わず苦笑する。


 大広間は、再び笑いと熱気に満ちていった。

 だがその中心には、間違いなく“幻の一皿”が鎮座していたのだった。


黄金色のスープが口に含まれた瞬間だった。

 それはただ喉を潤す飲み物ではない。

足のつま先から、ふくらはぎ、腰、背、肩、首筋を伝い、頭のてっぺんにまで一気に巡り上がっていくような感覚。身体の奥深くに染み渡り、静かに、しかし確実に活力を注ぎ込んでくる。


 味は、もはや言葉を必要としない極上。

 濃厚でありながら重さはなく、香りは深く、後味は驚くほど澄んでいる。

飲み干した瞬間、身体が「思い出した」とでも言うべきか、本来あるべき調子を取り戻していくのが分かる。


 続いて供された身。

 ナイフを入れた瞬間、その弾力はキノコのそれではない。

噛みしめると、肉にも似た旨味が溢れ、同時に身体の内側から何かが組み替えられていくような、不思議な感覚に包まれる。

 血肉のさらに奥、目には見えぬほど小さな生命の粒子一つ一つが呼び覚まされ、眠っていた力が目を覚ましていく――そんな錯覚すら覚えた。


 エリジェとフーベルトの瞳は、いつの間にかとろんと潤み、焦点が定まらない。

 二人とも、この場ではないどこか、穏やかで眩い世界へと意識を飛ばしているかのようだった。

 やがて、食し、飲み干し、深く息を吐いてようやく現実へ戻ってくる。


 その直後だった。


 フーベルトは背筋を正し、ルーファスも並んで一歩前に出る。

 二人は深々と頭を下げ、感謝を述べ、改めてブランゲル侯爵家への忠誠を誓った。

 それは形式的なものではない。身体と心の奥底から自然と湧き上がった、揺るぎない意思だった。

 どこからともなく拍手が沸き起こり、ブランゲル侯爵が「これからもよろしく頼むぞ」と声をかけた。


温かい空気に包まれた中——

「……ジェイソン様、先ほど随分と深刻な表情でエリカ様と話していましたが、何かあったんですか?」

 そう尋ねたのは、ワーレン隊のビョルンだった。


 ブランゲル夫妻の周囲には幾重にも人の輪ができ、誰もが耳を傾けている。


「ああ、実はね」

 ジェイソンは苦笑しながら言う。

「私とマリウスは、アイキドーを教わろうと思っていて。エリカに、侍女の中から一人ずつ派遣してもらえないか相談していたんだが……」


「だって仕方ないじゃない!」

 エリカが腕を組んで言い返す。

「誰も行きたくないって言うんだもの!」


「……アンネ」

 穏やかな声でエリジェが問う。

「理由は?」


「……マークと離れ離れになるのは、嫌でございます」

 観念したようにアンネは答えた。


「では、コリンナは?」


「その……ダルソンとは、お付き合いをしておりまして……」


 さらに名を呼ばれたバルバラ、ベティーナ、ヘルガは顔を見合わせ、揃って一歩前へ出る。

「私たちは……チョウコ町の生活から離れたくありません」


 そこから語られる理由は、止まらなかった。

 毎日入れる湯、開放感あふれる浴場。香りの良い石鹼に、惜しみなく使えるリンス。

 次から次へと供される美味しい料理、新しく、楽しい味。

 歌や踊り、音楽。シャイン傭兵団が持つ、チョウコ町特有の自由な気質。

 やるべきことさえ果たしていれば、あとは何をしても咎められず、縛られない。


 そして何より――風呂上がりの、冷えたエールと果実酒。

「……絶対に、離れたくありません」


 その言葉に、シャイン傭兵団の面々は顔を見合わせ、頷いた。

「よお~っく、わかる!」

 

「……冷えた酒、か」

 ブランゲル侯爵は杯を傾けながら、ふと思い出したように呟いた。

「ギャラガたちも言っておったな。前に送られてきたエリカの文にも、確かに書かれていた」


「ええ」

 ジェイソンが頷く。

「今まで飲んでいた酒が、泥水に感じるほどだとも」


「……エリカ?」

 エリジェ夫人は半信半疑といった表情で娘を見る。

「そんなに、違うものなの?」


「お母様、まったくの別物です」

 エリカは即答した。

「訓練後の一杯、お風呂上がりの一杯……至高の一杯と言っても、言い過ぎじゃありません」


 その熱のこもった語りに、場がざわつく。

 だが、すぐさま別の声が割り込んだ。


「チッチッ……」

 指を振りながら、デシンスがニヤリと笑う。

「エリカ、まだ甘いぜ、寒い冬に、鍋を囲んで食いながら、キンキンに冷えたエールを飲む。これこそが至高だ」


「いや、俺は風呂上がりだな!」

「訓練後に決まってるだろ!」

「ボケ~っと何も考えずに飲む酒も美味いぜ!」

「それも、ありだな!」


 次々に声が上がり、いつの間にか“至高の一杯論争”が勃発していた。

 やいのやいのと騒ぎ立てる様子は、もはや完全に酒場のそれだ。


「なぁ、ジトー」

 エリクソンが身を乗り出す。

「製法、教えろよ」


「それは俺に言われてもな」

 ジトーは肩をすくめ、シマを一瞬見てから、

「……いや、シマじゃねえ。エイラとミーナだ。交渉してくれ」


「……シマ」

 今度はマリウスが抗議するように言った。

「冷えた酒があるなんて、聞いてないんだが」


「そりゃそうだ」

 シマは平然と答える。

「これはシャイン商会から売りに出すつもりだからな」


「商会……!」

 何人かが声を揃え、場の熱はさらに上がりかける。


 ――これは、放っておくと収拾がつかない。

 そう判断したのだろう。


「……さて」

 シマが立ち上がることもなく、静かに口を開いた。

「そこまでだ」


 決して大きな声ではない。

 威圧するような響きも、怒気もない。

 それなのに――その声は、不思議なほどよく通った。


 ピタリ、と。

 先ほどまでの喧騒が嘘のように収まる。

 誰もが自然と口を閉じ、視線が一斉にシマへと集まった。


 シマは一拍置き、ゆっくりと侍女たちへ視線を向ける。

 アンネ、コリンナ、バルバラ、ベティーナ、ヘルガ。

 先ほど、それぞれの「離れたくない理由」を語った面々だ。


 ジェイソンとマリウスの顔が脳裏をよぎる。

 彼らのためにも何とかしてやりたい――その気持ちは、シマの中にも確かにあった。


「派遣されてもいい……最低条件は?」

 静かな問いだった。


 命令ではない。強制でもない。

 交渉の席に立つ者の、真正面からの問いかけだった。


 大広間の空気が、再び張り詰める。

 だが今度は、騒がしさではなく、真剣さを帯びた沈黙が支配していた。


「……マークが、側にいてくれれば……」

 アンネはほんの少しだけ視線を伏せ、頬を染めながらそう言った。

 普段はきびきびとした侍女らしい所作を崩さない彼女が、言葉を選びながら、勇気を振り絞るように口にしたその一言は、ひどく人間味にあふれていた。


 当のマークはというと――

 その言葉が耳に届いた瞬間、顔が一気に緩み、だらしないほどの笑みを浮かべて固まっている。

 目元はとろんと下がり、口元は締まりがない。

 周囲から見れば、完全に“デレ切っている”男の顔だった。


「……」

「……チッ」

「……見せつけてくれるじゃねえかよ」


 シャイン傭兵団の、女っ気とは縁遠い団員たちの間から、そんな小さな嫉妬とやっかみが漏れる。


 シマはその光景を眺めながら、静かに、しかし確かな評価を心の中で下していた。

(……マークは、替えのきかない男だ)


 武力はない。剣も振るえず、戦場で名を上げることもない。

 だが――だからこそ、彼にしかできない仕事がある。


 誰もが嫌がる仕事を、嫌な顔ひとつせず、むしろ当然のように引き受ける男。

 皮の鞣し作業——悪臭が立ち、手間がかかり、根気を要求される重労働。

 近頃は頻度こそ減ったが、それでも完全になくなったわけではない。


 風呂掃除。湯の張り替え。

 濡れない、染みこまないシリーズの蜜蠟塗り――あの地味で終わりの見えない作業。


 それらを、マーク隊、ズリック隊、アーベ隊で分担しながら回し、手が空けば、今度は家畜や動物たちの世話へと向かう。


 誰かに命じられたからではない。褒められることを期待しているわけでもない。

 ただ「必要だからやる」。それだけだ。


 地味で、目立たない。

 だが、彼らが一日でも動かなければ、チョウコ町の生活は確実に滞る。

 清潔も、快適さも、あの“当たり前”の環境も、簡単に崩れてしまう。


(……マークたちがいるからこそ、チョウコ町は回っている)

 シマはそう断じた。

 それは誇張でも、美化でもない。冷静な判断だった。


 そして、自然と結論に至る。

(……無理だな)


 マークは、シャイン傭兵団にとっても。チョウコ町にとっても。必要な男だ。

 アンネの想いは、痛いほど分かるが…だが、それでもなお――。

誰かを動かすということは、誰かの日常を支えているものを動かすということなのだと改めて思い知る。


 夜は、まだ終わらない。

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― 新着の感想 ―
500話おめでとうございます(´°v°)/んぴッ これからも楽しみにしてます!
マークはまさに「縁の下の力持ち」ですね。 シマに『 マークは、シャイン傭兵団にとっても。 チョウコ町にとっても。必要な男だ。』と思わせるとは 最重要メンバーの一人と言っても過言なし!! アンナさんもお…
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