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光を求めて  作者: kotupon


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再会9

オスカーは、カシウム城を出てからずっと、胸の奥に小さな違和感を抱えていた。

不安でも恐怖でもない。期待とも違う。

ただ、足元がほんの少しだけ浮いているような、不思議な感覚だった。


「……九年、か」

無意識に、そんな言葉が零れそうになり、口を閉ざす。


九年ぶりに会う両親。

だが、実感はほとんどなかった。


思い出せることは少ない。

ただ――二人とも、とても優しかった。

それだけは、霧の向こうから手触りだけが残っているように、確かに覚えている。


なぜ奴隷商人に売られたのか。

その理由を、オスカーは深く考えたことがなかった。


正直に言えば、どうでもよかった。

それどころか、売られてよかったとさえ思っている。


もし、あの日、売られていなければ。

シマたちと出会うことはなかった。

大切な、かけがえのない家族を得ることもなかった。

メグ――最愛の人と巡り合うことも、きっとなかった。


九年という歳月は、あまりにも多くのものを与えてくれた。

同時に、元の場所へ戻れなくするには、十分すぎる時間でもあった。


だからだろうか。

両親に会うというのに、胸が高鳴ることも、期待に震えることもなかった。


――なのに。

胸の奥が、ざわつく。

理由のわからない感情が、静かに、しかし確実に波立っている。


宿が見えてきた。

宿が建ち並ぶ一角にあるその建物は「リユニオン宿」——再会(reunion)


皮肉な名前だ、とオスカーは思う。

この宿に集まる人々のすべてが、喜ばしい再会を果たすわけではないだろうに。


扉に手を掛けると、木の感触が掌に伝わる。

深く息を吸い、吐き、扉を押した。


一階は酒場兼食堂になっていた。

昼下がりということもあり、客の数はまばらだ。

数組の商人が、静かに食事を取っているだけ。


――その中の、一つのテーブル。


視線が、吸い寄せられるように止まった。

理由は分からない。顔を見た瞬間、ではない。声を聞いたわけでもない。

ただ、そこにいると分かった。

身体が硬直する。目が離せない。


同じ頃、テーブルに座っていた男女もまた、ふと顔を上げていた。

オイゲンとカタリーナ。

二人の視線が、迷うことなく一人の少年――いや、青年へと向けられる。


彼らの知っている息子は、まだ六歳の幼い子供の姿のままだ。

だが、それでも分かった。


理屈ではない。言葉もいらない。

これが、親子の絆というものなのだろうか。


今のオスカーは、彼らの記憶の中の姿とは、あまりにも違っていた。


ブラウンクラウンの影響。

滋養強壮、健康促進、成長促進――深淵の森という過酷な環境で鍛えられ、生き抜いてきた身体。

幾度も死線を越えた経験が、立ち姿に滲んでいる。


十五歳とは思えないほど背は高く、肩幅も広い。

それでも、優しい顔立ちは母カタリーナ譲りだった。

髪の色、目元――驚くほど似ている。


カタリーナは、椅子を引く音も気にせず、ふらりと立ち上がった。

まるで夢遊病者のように、足取りは覚束ない。


オスカーもまた、同じだった。

意識して動いたわけではない。

考えたわけでもない。身体が、勝手に前へ出ていた。


一歩、また一歩。

距離が縮まるたびに、胸のざわめきが大きくなる。


言葉は、まだ見つからない。

けれど、立ち止まることもできなかった。


再会という名の宿の中で、九年の時間を隔てた親と子が、静かに、確かに引き寄せられていく。

その瞬間を、誰も邪魔することはなかった。



オイゲンとカタリーナが泊まっている部屋は決して広くはなかった。

だが、清潔で、昼の光が柔らかく差し込んでいる。


小さなテーブルを挟み、親子は向かい合って座っていた。

……正確に言えば、

オスカーは椅子に腰掛けているが、向かい合ってはいない。

カタリーナが、離れないのだ。


腕に、胸に、肩に、縋りつくように抱きつき、顔を埋めて、嗚咽を漏らしている。

涙は止まる気配を見せず、声を掛けても、背を撫でても、まるで意味をなさなかった。


「……母さん、大丈夫だよ」

静かな声で、何度もそう言う。


それでもカタリーナは首を振り、

「離れない」「今度こそ離さない」とでも言うように、力を込める。


…宿の一階でこうなった時、オスカーは迷わなかった。

そのまま、抱き上げたのだ。

驚くほど軽かった。

九年の歳月が、彼女からも多くのものを奪っていたことが、腕に伝わる。


「……部屋で話そう」

そう言って運ばれる途中も、カタリーナはしがみついたままだった。


そして今。

部屋に戻っても、状況は変わらない。


オスカーの向かい、椅子に座るオイゲンは、

震える手で膝を押さえ、ただそれを見つめていた。


フレッドから聞いていた通りだった。

右腕は、肘から先がない。

切断痕を覆う袖は、きちんと整えられているが、その事実を隠しきれるものではない。


オスカーは一瞬、そこに目をやり、すぐに視線を戻した。

「父さん」


その言葉に、オイゲンの肩が大きく揺れた。

「……俺を、まだ……父さんと、呼んでくれるのか……」


声が掠れ、次の言葉が続かない。

男泣きだった。嗚咽を噛み殺そうともせず、顔を歪め、涙を零す。


それを見ても、オスカーは慌てなかった。

むしろ、どこか達観しているように見えるほど、落ち着いていた。


「……父さんも、母さんも、落ち着いて」

そう言いながら、カタリーナの背を撫でる。


だが、カタリーナは首を振り、さらに力を込めてしがみついた。

「……離れない……」

か細い声だった。


九年分の後悔と、失っていた時間が、すべてそこに詰まっているようだった。


オスカーは小さく息を吐いた。

(……参ったな)

心の中で、そう呟く。


ようやく、ほんの少しだけ、カタリーナの力が緩む。

それを感じ取り、オスカーは静かに言った。

「……父さんと母さんに、伝えたいことがあるんだ」


その言葉に、二人とも顔を上げた。

涙で濡れた瞳が、オスカーを見つめる。


「僕を……生んでくれて、ありがとう」

それだけだった。


恨み言でもない。問い詰める言葉でもない。

ただの、「ありがとう」。


その瞬間、オイゲンとカタリーナは、再び涙を溢れさせた。

声にならない声で、泣く。


オスカーは、そっと目を伏せた。

(……これ、いつまで続くんだろう?)


小さな部屋の中で、時間だけが、静かに、ゆっくりと流れていった。



部屋の空気が、少しずつ落ち着きを取り戻していく。


泣き疲れたのか、カタリーナの嗚咽は次第に小さくなり、それでもなおオスカーの胸元に顔を埋めたまま、離れようとはしなかった。


オスカーは無理に引き剥がすこともせず、ただ、その背中を一定のリズムで撫で続ける。


やがて、静かに口を開いた。

「……父さん、母さん」


二人の意識が、自然とオスカーに向く。


「失った時間は、取り戻せない」

はっきりとした声だった。

感情に流されない、落ち着いた声音。


「後悔しても、始まらないよ。見つめ直して、反省することはあっても……歩みを止めちゃ、だめだ」


オイゲンとカタリーナは、目を瞬かせた。

この言葉を、十五歳の少年の口から聞くとは、思ってもいなかった。


「生きるってことは、常に進むことだと、僕は思ってる」

オスカーは視線を落とし、少しだけ笑った。

「……シマたちから、そう学んだ」


その言葉が出た瞬間、二人ははっきりと理解した。

この子は――もう、とっくに前を見ている。


「だから……これからのことを、きちんと話し合おう」


その言葉に、オイゲンとカタリーナは言葉を失った。

二人はずっと、『何と謝るべきか』『どう説明すれば許されるか』そんなことばかりを考えていた。


なのに。

目の前の息子は、すでに“次”の話をしている。


「……」

カタリーナの腕の力が、わずかに緩む。


オスカーは続けた。

「父さんと母さんは、チョウコ町には必ず連れて行くよ」


その言葉は、力強かった。

「心配しなくていいよ。二人は……僕が守るから」


その瞬間だった。

オイゲンは、堪えきれなかった。

椅子から立ち上がり、残された左腕で、強くオスカーを抱きしめる。


「……すまない……」

絞り出すような声。


カタリーナも、さらに強くオスカーにしがみついた。

「……ありがとう……生きててくれて……」


三人の体が、ひとつに重なる。

オスカーは、少しだけ困ったように息を吐いたが、拒むことはなかった。


「……自惚れじゃないよ」

穏やかな声で、そう言う。

「客観的に見ても、現実的に見ても……僕には、それだけの力がある」


決して誇示ではない。

淡々とした事実の提示だった。


オスカーは、自分のことをよく理解している。


深淵の森で生き抜いたこと。

シマたちとの生活の中で鍛えられたこと。

そして、モノ作りと建設において、“神業”とまで言われる技を持っていること。

だが、それを鼻にかけることはなかった。


「父さんは、家具職人だと聞いたよ」


オイゲンの顔が、わずかに上がる。


「……僕にも、その才能が引き継がれているみたいだ」

そう言って、ほんの少し照れたように笑う。


実際、チョウコ町の建物の大半は、オスカーの手によるものだった。

設計も、加工も、組み上げも。彼の手は、多くの人の生活を支えている。


オイゲンは、言葉を失ったまま、ただ何度も、何度も、頷く。


「……そうか……」

声が震える。


「……それなら……」

言葉が続かない。


オスカーは、そんな父の様子を見て、少しだけ微笑んだ。

この再会は、許しでも、裁きでもない。

ただ、新しい関係の、始まりだった。


部屋の中で、三人はしばらく、そのまま静かに時を過ごした。


もう、後ろを向く必要はない。

進む先は――これから、一緒に決めればいいのだから。



カシウム城、書斎室。

古い紙とインク、革装丁の本が持つ独特の匂いを濃く漂わせている。

大きな窓から差し込む昼の光は柔らかく、長机の上に積み上げられた蔵書や写本用の紙を、静かに照らしていた。


ペン先が紙を擦る音。ページをめくる乾いた音。小声で交わされる確認の言葉。


「シマ、戦史の資料を持ってきたぞ!」

書斎室の扉が開き、デリーが両腕に抱えた分厚い書物を抱えて入ってくる。

革装丁の背表紙には、年号と地名がびっしりと刻まれていた。

「どこに置けばいい?」


「おお、デリー殿」

机の向こうから顔を上げたのはヤコブだった。

目の奥が、いつにも増して輝いている。

「こっちの机の上に置いてくれると助かるぞい。年代別に仕分けておきたいのでな」


「了解だ、先生」

そう返すデリーの声は、どこか誇らしげだった。


「……なあ、デリー」

写本を続けながら、シマが声を掛ける。

「お前ら、確かジョワイユーズ隊と同じ宿に泊まってるんだよな?サロモンたちの様子はどんな感じなんだ?」


デリーは一瞬、考えるように天井を見上げ、すぐに破顔した。

「ああ、あいつらかぁ~……」


思い出すだけで可笑しいのか、肩を揺らす。

「そりゃあもう、毎日が楽しくて仕方がないって顔してるぜ。あの劇場……なんて言ったっけな?」


「『グレイス・ルネ』劇場のことかい?」

ロイドが顔を上げて補足する。


「そうそう!それだ!」

デリーは大きく頷いた。

「まさか自分たちが、あそこの舞台で演奏することになるとは思ってなかったらしくてな。喜んで……いや、正直言って気合入りすぎだ!ワハハ!」

豪快な笑い声が、書斎室に響く。


「緊張はしておらぬようじゃな」

ヤコブが、写本用の紙を整えながら言う。


「ええ。緊張よりも、喜びの方が勝ってるって感じですな」


「それは何よりだ」

シマはそう言いながら、手を止め、ふと考え込む。


「……グレイス・ルネ劇場……」

ぽつりと呟く。

「あそこよりも大きな劇場が、確か他にもあったよな?」


「城塞都市の中では中規模だけど、歴史は古いし、格式もそれなりにあるみたいだよ」

マリウスが答える。

「……変えるのかい?」


「いや、そんなつもりはねえ」

シマは首を振る。

「ただ、気になっただけだ。それに――」


少し間を置き、続ける。

「どこの馬の骨ともわからねえ俺たちに、一番最初に貸してくれたのが、グレイス・ルネ劇場だからな」


その言葉に、ロイドも頷いた。

「ブランゲル侯爵家の書簡を見せたとはいえね。劇場オーナーも、人の良さそうな方でしたし……話もちゃんと聞いてくれました」


そのとき、書斎室の扉が再び開く。


「俺たちの流儀に反するな」

そう言いながら、クリフが入ってきた。

腕には、別の蔵書が抱えられている。

「恩を仇で返すようなことは、な」


机の上に置かれた本を、トン、と示す。

「ほら。人体構造が書かれている蔵書を見つけたぞ」


その瞬間、マリウスの顔がぱっと明るくなる。

「……ありがとう、クリフ」


「アイキドーを教えてもらうんだってな?」

ニヤリとしながら、クリフが聞く。


「まだ決まったわけじゃないけどね」

そう答えるマリウスに、デリーが真顔で割って入る。

「アレは中々使えますよ、マリウス様」


「中々?」

クリフが眉を上げる。


デリーは一拍置いて、言い直した。

「……訂正する。かなり、だ」


一同が、思わず笑った。


書斎室には再び、ペンの音と、紙をめくる音が戻る。

だが、その空気はどこか温かい。

ここには、血を流すためではなく、未来に残すための仕事があった。

そしてそれを、誰一人として軽んじていなかった。


カシウム城の書斎室で、静かに、しかし確かに、新しい積み重ねが始まっていた。

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