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光を求めて  作者: kotupon


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495/533

大失態?!

アパパ宿の浴場は、湯気と石鹸の匂いに満ちていた。

新設されたというだけあって広く、天井も高い。

だが、その中央でぐったりと項垂れている男の存在が、場の空気を完全に別物にしている。


「……すげえなコイツ。ここまでやっても、まだ起きねえとは」

呆れ半分、感心半分でシマが言う。


床に座らされたナトカイは、髪も身体も、シマ、ロイド、オスカー、ユキヒョウの四人がかりで二度洗いされ、垢と臭さはほぼ駆逐されている。


「無精ひげはどうする?」

オスカーが顎に手を当てて聞く。


「コイツ自身にやらせるに決まってるだろ」

即答するシマ。


「そこまで僕たちが世話を焼く義理はないさ」

ユキヒョウも冷静に同意する。


ナトカイは相変わらずピクリとも動かない。


「……さて、浴槽にぶち込むか。さすがに起きるだろ?」


「仕方ないよね」

ロイドが苦笑する。


次の瞬間、四人は息を合わせて両手両足を掴み、浴槽へ――ドッポーンッ!!


「……あびゃびや!! 熱ッ、熱ッ!! お、溺れるッ!!」

盛大な水音と共に、ようやく魂が身体に戻ったらしいナトカイが大暴れする。


「落ち着け」

シマが低い声で言う。


「ここは浴槽ですよ。立てば溺れることはありません」

ロイドが淡々と補足する。


「……あ、……本当だ……」

肩まで湯に浸かり、ようやく状況を理解したナトカイは、きょろきょろと周囲を見回す。

「……ところで……何故僕はここに? それに……き、君たち一体誰なんだ?」


その問いに答える前に、浴場の入口が勢いよく開いた。


「よう! シマ! ロイド! オスカー! お疲れ!」

どやどやとなだれ込んできたのは、ライアン隊の面々だった。


「団長! こっちに着いたなら連絡の一つでもしてくださいよ!」

「ロイド! お疲れさんだったな!」

「オスカー! あのちっこい生き物、可愛いな!」

「アルだっけ? 俺の顔見て“キュウ”って鳴くんだぜ! 思わず頬ずりしちまったよ!」


「お前の酒くせぇ匂いをアルにつけるんじゃねえ!」

即座に副隊長ニールセンの鉄拳制裁(言葉)が飛ぶ。


一気に騒がしくなる浴場。

湯気と笑い声と水音が入り混じる。


「……ライアン……? ニールセン……?」

ナトカイの目が見開かれる。

「……一体どうなってるんだ、これは……?」


「事情はルドヴィカから聞いたぜ」

ライアンが身体を洗いながら言う。

「お前、酔いつぶれて寝てたらしいぞ」


「う、嘘だッ!」

ナトカイは湯を跳ねさせる。

「僕にはそんな記憶はない……!」


「まあまあ、落ち着け」

ニールセンが割って入る。

「ここは風呂場だ。大人しく湯に浸かってろ。お前の言い分は後で聞く」


次々と身体を洗い始めるライアン隊。


その光景を眺めながら、ユキヒョウが静かに口を開いた。

「……ライアン、君たちは旧知の仲だろう?どうやら、事情がありそうだね」


湯気の向こうで、ナトカイは黙り込んだまま、湯の中に沈み込む。

アパパ宿の浴場は、ひと悶着の予感を孕みながら、にぎやかに湯気を立て続けていた。 



湯から上がったばかりの身体は、夜気に触れてもまだ芯が温かかった。

シマたちはアパパ宿の酒場兼食堂へと戻る。

扉を開くと、昼の喧騒が嘘のように、室内は落ち着いた灯りに包まれていた。

火鉢の炭がぱちりと小さく弾け、木の香と煮込みの名残が混じる空気が、どこか懐かしい。


 カウンターの奥、見慣れた顔が静かに杯を置いた。

灰の爪隊、そしてマリア隊。

視線が合い、言葉より先に互いの無事を確かめ合うように、短い頷きが交わされる。

大仰な歓声も抱擁もない。ただ、同じ夜を越えてきた者同士の、穏やかな再会だった。


「んじゃ、俺たちも風呂に入ってくるぜ」

 ギャラガが肩をすくめて言い、仲間たちが続く。


 そのとき、テーブルの一角で凍りついたように立ち尽くす男がいた。ナトカイだ。

借り物のライアンの服は少し大きく、袖口を無意識に握りしめている。視線は一点に釘付けだ。


「……ルドヴィカ……ナミ、シャロン、ビルギット、マヌエラ、アマーリエ……?」

 名を連ねるごとに声が震え、最後には掠れた囁きになる。「……これは、夢か?」


「んなわけあるか。いいから座れ」

 即座にライアンが遮り、背中を軽く押した。

現実へ引き戻すような、乱暴でいて優しい仕草だ。

ナトカイは半ば呆然としながら椅子に腰を下ろす。


 ライアンは給仕を呼び、手短に注文を通す。

「エールを」——ライアン隊の面々の分だ。


ロイド、オスカー、ユキヒョウは果実酒。

シマはグラスに映る灯りを見つめ、「ジュースを」と静かに言う。


「コイツにもジュースを」

 ナトカイを顎で示してライアンが付け足す。

ナトカイは礼を言うのを忘れ、ただ頷いた。


「夜遅くまで悪いな。料理は頼めるか?」

 シマが給仕の女性に尋ねると、彼女は少し申し訳なさそうに笑った。

「……あまりものでよければ。おつまみくらいなら」


「お願いします」

 エイラが即座に応じ、革袋から二枚の銀貨を差し出す。


「こ、こんなに……!」

 給仕の目が丸くなる。


「当然の対価よ。夜遅くまで働いているんだもの」

 マリアが穏やかに言い添えた。


給仕は思わずカウンターを見る。

帳簿をつけていた店主が顔を上げ、無言で頷いた。

それを見て、給仕はようやく安心したように銀貨を受け取り、にっこりと笑う。


 アパパ宿は、シャイン傭兵団の貸し切り同然だった。

夕刻までは他の酔客もいたが、今は彼らと、その知り合いだけ。

二階では子供たちが眠っている。


「静かに、乾杯だ」

 シマの一言で、杯がそっと持ち上がる。

ぶつけ合う音はなく、ただそれぞれが小さくグラスを傾けた。


 他愛のない雑談が続く。

道中の天候、馬の癖、宿の風呂の具合。笑い声は抑えられ、灯りの揺れに溶ける。

本題は、ギャラガたちが戻ってきてからだ。誰もがそれを分かっていて、今は敢えて触れない。


 ナトカイだけが、いまだ状況を呑み込めずにいた。

目の前の顔、聞こえる声、手の中の冷たいグラス。

その一つ一つを確かめるように、彼はちびちびとジュースを飲む。

甘さが喉を通るたび、夢ではないと身体が教えてくれる。


 静かな夜は、ゆっくりと更けていった。



ほどなくして、湯気と石鹸の匂いをまといながらギャラガたちが戻ってきた。

髪はまだ湿り、火照った頬に夜風が心地よいのだろう、皆どこか表情が緩んでいる。

席に着くなり、彼らは給仕に声をかけた。


「エールを頼む」

 そう言ったギャラガは、すぐに付け足すように首を振る。

「いや、俺は果実酒だ。甘いのがいい…知ってるだろ、俺は甘党なんだ」


 やがて杯が行き渡り、再び卓は穏やかな沈黙に包まれる。


その空気を破ったのはルドヴィカだった。

「……この男」 そう言ってナトカイを指し示す。

「普段はちゃんとしてるのよ。商人としても交渉力があるわ。特に利き酒に関しては超一流で、酒販と仕入れを一手に担当してるの」


 ナトカイは居心地悪そうに視線を伏せる。


「……ただなぁ」  

ライアンが苦笑しながら続ける。

「一定量を超えると、酔いつぶれるまで飲んじまう」


「そして記憶をなくすの」  

ナミが淡々と追い打ちをかける。


「その“一定量”って、どのくらいなんだ?」  

ロッベンが首を傾げた。


「分からん……本人も分かってないらしいぞ」  

ニールセンが即答する。


「その日の体調にもよるでしょうし、場の雰囲気も関係してくるでしょう?」  

ノエルが静かに補足する。


「こいつは極端なんだ。底なしかと思うほど飲んでも平然としてる時もあれば、その逆もある」  

ライアンの言葉に、ナトカイは反論できず、ただ小さく縮こまる。


「護衛がついてたはずよ。どこに行ったの?」  

ルドヴィカが問いただす。


「……いや、それが……記憶がなくて」  

ナトカイの声は消え入りそうだった。


「護衛についていた傭兵団はどこなんですか?」  

サーシャが間を逃さず尋ねる。


「シルバーアロー……“銀の矢”よ」


「あいつらか……」  

ニールセンが低く唸る。

「依頼を投げ出すような連中じゃねえはずだが……?」


 ライアン隊の面々も一様に頷く。


「ギザ自治区じゃ名も通ってる。信頼も実績もある」  

ライアンの言葉は重かった。


「差し支えなければ、今回の依頼を聞いても?」  

ロイドが慎重に切り出す。


「……依頼主はバルムート公国」  

ルドヴィカは一度息を整えた。

「バルムート公国に、厳選したエール、果実酒、ワインを卸しに行く契約だったわ」


「かなりの距離ね」  

ミーナが呟く。


「ええ。だからシルバーアローには高い……破格と言っていい護衛料を出してる」


「……逃げたね」  

ユキヒョウの一言が、卓の空気を凍らせた。

「もしかすると、バルムート公国もグルかもしれない」


「……金に目がくらんだか?」  

ライアンが呟く。

「だが、あいつらが金に転ぶか?」


「ルドヴィカ。ちなみに、シルバーアローにはいくら払ったの?」  

シャロンが静かに尋ねる。


「……二百よ。二百金貨。物資も含めれば……」


「痛いですね」  

オスカーが顔をしかめる。


「痛いどころじゃないわ……違約金が」  

ルドヴィカはそう言って、ユキヒョウの視線がナトカイへ向くのを感じた。

「バルムート公国から“届いていない”と言われたら、証拠がない」


 ナトカイはみるみる青ざめ、手にしたグラスが微かに震えた。


沈黙を破ったのはルドヴィカだった。

彼女は卓上の杯や指先を一度見渡し、現実を切り分けるように語り始める。

「違約金は十倍……つまり、二千金貨よ」


 数字が落ちた瞬間、場の空気が一段重くなる。


「バルムート公国からは、前金として二百金貨が、すでにエイト商会に支払われているわ。取引が成立すれば、さらに四百金貨が支払われる契約だった」


 淡々とした口調が、かえって金額の現実味を増す。


「シルバーアローには、依頼達成時に二百金貨をエイト商会から支払う取り決めだった」


 シマはナトカイに視線を向けた。

着の身着のまま、書類も身分証もない。

「……この状況なら、契約書類は紛失、あるいはシルバーアローに盗まれた可能性が高いな」


 続けて静かに断じる。

「そして、連中が逃げた可能性も高い」


 誰も反論しなかった。


「違約金は払える」  

ルドヴィカは苦笑する。

「エイト商会ならね。大打撃だけど……仕入れ先や販路を縮小すれば、何とか」


 その“何とか”が、どれほどの犠牲を伴うかは、誰の目にも明らかだった。


「ナトカイ、城塞都市に、どうやって来たか覚えていることを話せ」  

シマに促され、ナトカイは必死に記憶を探る。


「……大きな商隊の、後ろを付いてきた……と思います」  

言葉は曖昧で、途中で途切れ途切れになる。

「詳しいことは……分かりません。霧がかかったみたいで……」


「城塞都市には入ったか?」


「はい。入城税を払ったのは、覚えてます」


「金は?」


「……ブーツの中に、一金貨だけ。念のために……」

 身分証はない。その一言で、ナトカイは完全に俯いた。


「チッ……」  

ギャラガが舌打ちする。

「こういう傭兵団がいるから、いつまでたっても傭兵団は信用ならねぇって言われるんだ」


「……野盗に襲われた可能性は?」  

オスカーが慎重に口を挟む。


「ねぇな」  

即答したのはライアンだった。

「あいつらは腕はそこそこ立つ。野盗ごときに後れを取る連中じゃねえ」


 重い沈黙が落ちる。


「……違約金二千金貨」  

その重さを受け止めた上で、シマが静かに言った。

「肩代わりしてもいいぞ。条件付きだけどな」


「おいおい、大丈夫なのかよ、シマ?」  

ギャラガが思わず声を上げる。


「ケイト、ユキヒョウ。大丈夫だろ?」

 ケイトは短く頷き、ユキヒョウは薄く笑った。


「……そういうことね」  

エイラが静かに理解を示す。

サーシャたちも、ようやく察したようだった。


 ゾゾ一家。

 かつて王都のスラムを支配し、莫大な財を蓄えた一家。

その遺産は今、シャイン傭兵団の手中にある。


 クリフたちによって、ゾゾ一家は全滅させられた——そう、一人残らず。

 二千金貨など、その莫大な遺産の前では、端金に等しかった。

 だが、その金が意味するのは、単なる額面ではない。

 


「……条件付き、というのを聞かせてくれるかしら?」

 静かに切り出したのはルドヴィカだった。

交渉の場に戻った声色だ。


「簡単な話だ」

 シマは即答する。

「ナトカイの身柄を、一年間シャイン傭兵団に預けてもらう」


 一瞬、時が止まった。


「一年……?」

 ナトカイが素っ頓狂な声を上げる。

逃げ場のない視線が、一斉に彼へ向いた。


「拒否権は?」

 ルドヴィカが念のために問う。


「ある」

 シマはナトカイを見据えたまま答える。

「だが、その場合は肩代わりの話はなかったことになる」


 ナトカイの喉が鳴った。


 シマは、ふっと視線を和らげ、今度は問いかけるように言う。

「利き酒ができるくらいだ。舌は相当敏感なんだろ?」


「え……?」


「料理の味の違いも分かるんだろ?」


「……まあ、それなりには」

 歯切れの悪い返事だった。


「それなり、どころじゃないでしょうに」

 すぐさまルドヴィカが口を挟む。

「ナトカイの味覚は、私が保証するわ」


 その言葉を聞いた瞬間、シマの中でつながった。


 ——ハドラマウド自治区、ラドウの街。

 陽光に白壁が映える、どこか南国情緒の漂う街並み。

路地に満ちる湿った空気と、鼻を刺すほど強烈で、それでいて食欲をそそる多種多様な香辛料の匂い。


 カレー。

 作れるんじゃないか?


 さらに思考は跳ねる。

 キムチ鍋……いや、あれも、応用が利くかもしれない。


 ナトカイの異常なまでの味覚。

 そして、自分の中に残っている、おぼろげな前世の記憶と知識。


 組み合わせれば——「……くくっ」

 シマは思わず、笑いを嚙み殺した。

 その笑みの意味を正確に理解できた者は、この場にはまだいなかった。

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