第4話 処刑台の上のシンデレラ
完結までいっきに!
今日は第4話と最終話を投稿。
大夜会の日、王宮は宝石箱みたいにきらきらしていた。
天井には無数のシャンデリア。
壁には金糸の刺繍が施されたタペストリー。
磨き上げられた床は、踊る貴族たちの影を鏡のように映している。
音楽は華やかで、笑い声は軽やかで、香水と花の匂いが混ざり合い、空気そのものが祝祭のように浮ついていた。
つまり、処刑台送りには最高の舞台である。
「姫様、顔が良すぎて何を考えているのかわかりません」
「褒め言葉として受け取るわね」
ヴェロニカ・リリス・サロメ・ド・ラ・クロワ・フォン・ローゼンブルクは、大広間へ続く回廊の手前で、鏡代わりの窓に映る自分を軽く眺めた。
深い紫紺のドレスは、夜の底みたいに艶やかで、動くたびに銀糸の刺繍が星のように光る。
首元には王家の紫水晶、耳元には小粒のダイヤモンド。
髪は緩やかに結い上げられ、数房だけ下ろされた金髪が頬の線を柔らかく見せていた。
完璧。
王女の戦装束として、非の打ち所がない。
「装甲よし」
「はい」
「淑女バリアよし」
「はい」
「機嫌もよし」
「それは少し不安です」
「どうして?」
「姫様の機嫌がよいときは、だいたい誰かの人生が終わる前触れなので」
「イリス、あなたたまに言葉が鋭利すぎるわ」
「専属侍女の嗜みです」
ヴェロニカはふふんと笑って、扇をひらいた。
今夜の扇は白地に紫の薔薇。優雅さと威圧感を両立した逸品である。
「では行きましょう。恋敵シンデレラ計画、最終工程よ」
「別名、公開処刑ですね」
「やだ、言い方」
「事実です」
事実である。
大広間の中心には、すでに今夜の主役がいた。
ビアンカ・オルロフ。
薄金の刺繍を散らした純白のドレス。胸元には控えめに見せかけてしっかり高価な真珠。
髪には花ではなく宝石を挿し、華奢な体格を逆手に取って可憐な上等品として仕上げている。
そのすべてが、ヴェロニカの助言によるものだった。
布も宝石も装甲。
今夜のビアンカは、王太子妃候補としてこれ以上なく美しく飾り立てられていた。
社交界の視線が彼女に集まる。
羨望、品定め、嫉妬、媚び。
そのすべてを浴びながら、ビアンカは小さな顎を誇らしげに上げている。
勝った女の顔だ。
そして、その勝利を演出した王女が姿を現した瞬間、大広間の空気がまたひとつ揺れた。
「ヴェロニカ殿下……」
「本当にお美しい……」
「王女殿下は、ビアンカ様にお心をかけていらしたものね……」
さざ波のような囁きが広がる。
人目を奪うことにかけて、ヴェロニカは天賦の才を持っていた。
顔がいい。立場も強い。なにより、自分の見せ方をよく知っている。
ヴェロニカはゆっくりと歩き、堂々とした優雅さで、ビアンカの前へ立った。
「王女殿下、本当にありがとうございますぅ」
ビアンカが、うっとりとした声で言う。
周囲に聞かせるのにちょうどいい甘さだ。
「殿下のおかげで、わたし、ここまで来られましたぁ」
ヴェロニカは微笑んだ。
淑女バリア、全力展開。
「ええ」
やわらかく、優しく、慈愛に満ちた声音で言う。
「本当に、よく登ったわ」
それは祝福の言葉のはずだった。
なのに、なぜだか少しだけ不穏に響いた。
ビアンカは気づかない。
気づける程度なら、そもそもここまで来ていない。
やがて、楽団の音が静かに止んだ。
人々のざわめきが収まり、自然と視線が高座へ集まる。
そこに立ったのは、王太子クロード・ベリアル・ファウスト・ド・ラ・クロワ・フォン・ローゼンブルクだった。
黒を基調とした正装のクロードは、笑みひとつないまま大広間を見渡した。
妹が月なら、この兄は研ぎ澄まされた刃だ。
「今宵、諸君に集まってもらったのは、ビアンカ・オルロフ嬢を王太子妃候補として披露するため──」
クロードはわざと言葉を切る。
「同時に、王家の前に立つに足る人物か、その資質を見極めるためでもある」
広間がざわめいた。
だがビアンカはまだ、自分への試練だとでも思っている顔をしていた。
「ビアンカ・オルロフ。前へ」
「は、はいぃ」
呼ばれて前に出たビアンカの隣へ、今度はヴェロニカが高座の脇から進み出る。
紫紺の裾が床をさらい、笑みがやけに美しかった。
ヴェロニカはゆるやかに大広間を見下ろした。
気持ちよく落とすには、じゅうぶんな高さだ。
やっと、落とせる。
舞台の開幕だ。
「ビアンカ・オルロフ様」
澄んだ声が、大広間の隅まで届く。
「あなたには、王家の前に立つ前に清算すべきことがあります」
大広間が一瞬で静まる。
ビアンカの瞳が、わずかに揺れる。
「え……?」
「まずは、あなたの過去の婚約について」
ヴェロニカは扇を閉じた。
かちり、と小さな音がよく響く。
「子爵令息ラウル・エスティニとの婚約。続いて、伯爵令息フィリップ・モンテルとの婚約」
「ま、待ってくださいぃ!」
「まあ、まだ何も申し上げていないのに。ずいぶん反応がお早いのね」
にこりと笑い、ヴェロニカは続けた。
「あなたは両家から高価な贈答品と金銭的援助を受け、その後、一方的に婚約を破棄した。しかも直前には、先方に不利な噂まで流れている」
「ご、誤解ですぅ!それは、先方のご厚意で……!」
「ベアトリクス」
一歩進み出たベアトリクスの合図で、証言者と書類が示される。
贈答記録、会計帳簿、噂の出どころを示す証言。
証言者たちは、ビアンカの虚言、金品の要求、そして婚約者たちへの不実を次々と証言していく。
証言を終えた後は、みな晴れやかな顔で下がっていった。
すべてを目の前に揃えられ、ビアンカは顔を赤くしていく。
「違いますぅ!みんな、わたしに嫉妬しているだけでぇ……!」
ヴェロニカは微笑んだまま言った。
「嫉妬で帳簿は増えませんわよ」
ざわめく広間がしんと静まった。
「……でもぉ!そのくらい、貴族ならよくあることですよねぇ!?」
「ええ」
ヴェロニカはあっさり頷いた。
「だから、まだこれで終わりではないの」
その瞬間、ビアンカの顔から血の気が引いた。
「次は血筋のお話よ」
どよめきが大広間を走る。
貴族社会において、血統の話は爆薬だ。
下手をすれば家が吹き飛ぶ。
「ビアンカ・オルロフ。あなたは、オルロフ男爵の実子ではないわね」
ビアンカの唇が震えた。
「男爵夫人が別の男との間にもうけた娘。そしてその事実を、あなたとあなたの母は知っていた」
「違います!!」
叫びは鋭く、もう甘くもない。
イリスが差し出したのは、古い医師の記録と侍女の証言書。
出産時期は、男爵の長期不在と一致しない。
さらにクリストフが、古い手紙の写しを示す。
「男爵夫人が昔の恋人に宛てたものだ。娘があなたに似ている、と書いてある」
男爵夫人が息をのむ。
男爵は、妻と娘を見て絶句した。
「……私は知らなかった」
「そうだな」
クロードが静かに口を開く。
「この件については、男爵は知らなかったと見ている」
男爵の顔に安堵がよぎる。
だが、次の一言で凍りついた。
「ただし、貴殿には別件で王国に対する大罪の疑いがある」
大広間の空気も固まる。
恋愛沙汰の延長だと思っていた者ほど、息をのんだ。
ここから先は、王女の私怨などと軽く呼べる話ではなかった。
王家と国家の問題だった。
「オルロフ男爵」
クロードは一段下り、男爵をまっすぐ見据えた。
「貴殿は隣国と密通していたな」
ざわめきが爆発する。
「なっ……何を!」
「隣国から養子を迎えようとしていた。その者は、隣国の意を受けていた可能性が高い」
「証拠は!?」
「ある」
クロードは短く断定した。
クリストフが密書の写しを開く。
往復書簡、仲介者の署名、金の流れ。
男爵家を足場に、王家の近くへ人間を差し込もうとした痕跡は明白だった。
「国内貴族家を通じて中枢へ食い込む。それがどれほど危険か、理解していないとは言わせない」
男爵は言葉を失った。
「王女殿下!」
ビアンカが、耐えきれずに叫んだ。
その声は裂くような悲鳴だった。
「殿下は、わたしを認めてくださったじゃありませんか!優しくして、教えて、ここまで連れてきて……!」
縋るように、ヴェロニカを見る。
一縷の希望を込めて。
ヴェロニカは静かに頷いた。
「認めたわ」
その瞬間、ビアンカの目に希望が灯る。
馬鹿だな、とヴェロニカは思った。
最後の最後まで、相手の笑顔を都合よく解釈する。
だからここまで来てしまったのだ。
「ええ、認めたわ」
ヴェロニカは、はっきりと繰り返す。
「あなたが、王家の前で裁かれるにふさわしいほど愚かだと」
ビアンカの目から、さっきまでの光がきれいに消えた。
「あなたを上げたのは、わたくし」
ヴェロニカは、花びらでも落とすみたいにやわらかく言う。
「落とすのも、わたくし」
そして、微笑む。
「王女の初恋を踏み台にしたのだもの」
「踏み台の正しい使い方くらい、教えて差し上げなくてはね?」
それは、王女の宣告だった。
ビアンカの喉まで上がった悲鳴が、もう声にならなかった。
自分を引き上げていた手が、そのまま突き落とす手でもあった。
ようやく、王女の恋に横から手を出して、ただで済むはずがないことに気付いた。
「いや、いやよっ……」
王族の心を踏んだ代償は、取り返しのつかないものだった。
「残念ね」
ヴェロニカは穏やかに言う。
「ガラスの靴は、崖向きではなくてよ」
処分は、その場で告げられた。
ビアンカ・オルロフ。
王家への不敬、血統詐称の隠蔽。婚約を利用した詐取行為。王太子妃候補という立場の悪用を企図した罪。
そのあくなき利欲と王宮秩序への重大な背信をもって、極刑。
続いて、オルロフ男爵。
他国との密通、王国中枢への不当な浸透工作への関与。
国家反逆に準ずる大罪として、極刑。
最後に、オルロフ男爵夫人。
血統詐称の隠蔽、王家に対する詐称への加担。
爵位・財産の剥奪、平民落ちの上、長期強制労役。
厳罰だった。
だが、王族を踏み台にし、背後には国家への裏切りまであった一家だ。
そうなれば、軽く済むはずもなかった。
社交界の面々は震えた。
だが同時に、これが貴族社会なのだとも知っていた。
王族の恩寵は甘い。
だが、王族の不興は、命より重い。
ビアンカは崩れ落ち、男爵夫人は泣き喚き、男爵はなおも何かを叫んでいたが、近衛に取り押さえられる声はもう言葉になっていなかった。
ヴェロニカは最後まで美しく微笑んでいた。
内心では、ただひとこと。
──ようやく片づいたわね。
ふんと鼻を鳴らして、シャンパンをひと口あおった。
⌘
大夜会は、当然ながらその後もう祝祭どころではなかった。
人々は小声で囁き合い、視線を伏せる。
しかし誰もが、今日の出来事を一生忘れまいとしていた。
王家は笑って持ち上げ、笑って落とす。
その現実を、骨身にしみて思い知った夜だった。
⌘
その片隅で、ゼノ・ジェルマンは呆然と立ち尽くしていた。
顔色は悪く、視線は定まらず、何が起きたのかをようやく理解し始めていた。
ビアンカに捨てられたこと。
自分がその変化にさえ気づけなかったこと。
そして自分が仕えている王家が、どれほど恐ろしいかということ。
「ゼノ」
低い声に、ゼノはびくりと肩を震わせた。
クロードが見ている。
温度のない目だ。
もはや護衛騎士へ向ける目ではなく、ゼノの体は自然と強張った。
「後で話がある」
「……は、……はい」
その一言だけで、ゼノは悟った。
自分も終わったのだ、と。
王太子の護衛騎士でありながら、目の前の危険にも、女の野心にも、王家の不興にも気づけなかった。
それは、剣の腕では埋められない未熟さだった。
⌘
一方その頃、ヴェロニカはたいへん晴れやかな顔をしていた。
「よきかな、よきかな」
「お前、本当に怖いな」
隣に並んだクリストフが、苦笑まじりにそう言う。
ヴェロニカは扇で口元を隠し、横目で彼を見た。
「王女らしいと言いなさい」
「……そういうところが好きなんだよ」
今度は、ヴェロニカは聞き逃さなかった。
ぴたり、と足が止まる。
扇の向こうで、紫の瞳が大きく見開かれた。
「……今、なんて」
「ヴェロニカ殿下!」
だが、その先は届かなかった。
夜会の後処理に追われる侍従が駆け寄り、王女へ頭を下げる。
続けてイリスも現れ、ベアトリクスも、別件の確認を持ってくる。
断罪の後には、書類と命令と整理が雪崩みたいに押し寄せる。
王族は断罪の後まで忙しい。
クリストフは小さく肩をすくめた。
「続きはまた今度だな」
「……逃げたわね?」
「仕事に押し流されただけだ」
「同じことよ」
「そうかもな」
彼は笑う。
その笑みが妙に余裕めいていて、ヴェロニカは少しだけ悔しくなる。
けれど胸の奥では、さっきの言葉が小さな火のように灯っていた。
好き。
そういうところが。
その熱を今はまだうまく扱えないまま、ヴェロニカは顔を上げた。
視線の先で、ゼノが立ち尽くしていた。
何かを言いたそうに、けれど近づくこともできず、ただ呆然とこちらを見ている。
その姿を見ても、もう胸は騒がない。
少し前まであれほど大きかった初恋が、今ではきれいさっぱり燃えかすになっている。
──面倒だわ。
元恋敵は落ちた。
けれど、まだひとつだけ、後始末が残っている。




