表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王女による恋敵シンデレラ計画  作者: 成神 なるせ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/5

第3話 王太子妃候補ビアンカ、完成


 王宮には、踏み込んではいけない場所がいくつかある。


 ひとつは、国王の私的な温室。

 珍しい蘭に勝手に触ると庭師長が飛んでくる。

 ひとつは、王妃の宝飾保管庫。

 無断で開ければ侍女長が笑顔で死刑宣告みたいな説教をする。

 そしてもうひとつが、王太子クロードの執務室だ。


 ここに軽率に突撃する者は少ない。

 なぜなら、忙しい王太子はだいたい機嫌が悪いからである。


 ただし、その例外が一名いる。


「お兄様、お願いがあります」


「嫌な予感しかしない」


 書類の山に埋もれかけたクロード・ベリアル・ファウスト・ド・ラ・クロワ・フォン・ローゼンブルクは、羽根ペンを置きもせずにそう言った。


 金の混じる濃い茶髪をかき上げ、整った顔に露骨な警戒心を浮かべる。

 王太子らしい威厳と、妹に対する諦めが絶妙に同居した表情だった。


 対するヴェロニカは、たいへん晴れやかな笑顔である。

 こういう時の王女はろくでもない。



「ビアンカ様を王太子妃候補にしてくださいませ」



「想像を超えた悪夢だった」


 クロードは一瞬も迷わなかった。


「却下」


「悪夢かどうかは夢から醒めたときの気分次第で決まりますのよ!?それにまだ、理由も言ってないわ!」


「なんだその屁理屈は。言わなくてもろくでもない理屈だとわかる」


「ひどい偏見ですわ!」


「経験則だ」


 机の前に立つヴェロニカは、むうっと頬を膨らませた。

 だが、ここで引くほど可愛げのある妹なら、兄はここまで警戒していない。


「いいですか、お兄様。これは感情論ではありません」


「お前がそう言い出した時点で八割感情論だ」


「残り二割が理性なら十分でしょう」


「配分が終わっている」


 クロードは深々とため息をついた。

 その姿すら絵になるのが腹立たしい。

 兄妹そろって顔が良いと、会話のひどさが見た目に追いつかないときがある。


「そもそも、ビアンカ・オルロフは男爵令嬢だ。王太子妃候補としては家格が低すぎる」


「物語性がありますわ」


「嫌な響きだな」


「男爵令嬢から王太子妃。民は大好きですわ、そういう夢のあるお話」


「民を劇場の観客のように言うな」


「夢は統治の燃料にもなります」


「少し揺れかけていて腹が立つ」


 ヴェロニカは勝機を見た顔になった。

 たたみかける。


「それに、身分に囚われない王家の柔軟さも示せます」


「軽々しく柔軟になるものでもない」


「社交界でいま注目されているのは事実ですわ。ならば遠ざけるより、近くで資質を見極めた方が効率的でしょう?」


「効率的、ね」


「野心があるなら、野に放つより王家の管理下に置いたほうが安全です」


 ぴくりとクロードの指がわずかに跳ねた。


 その一瞬を、ヴェロニカは見逃さない。

 当たった。

 いまの一言は、兄に少しだけ届いた。


「……ヴェロニカ」


「はい」


「私を巻き込んでいる自覚はあるか」


「王族は家族経営ですもの」


「国を商会のように言うな!」


「もう!お兄様ったらうるさいですわ。お口からヤギが出てますわよ」


「ヤギ!?この前は鶏だっただろう!」


「家畜化が進んでおりますのね」


「誰のせいだと思っている!」


 クロードが額を押さえる。

 ヴェロニカはちっとも気にしていない顔で胸を張った。


 兄は昔からこうだ。

 細かい、堅い、正しい、面倒くさい。

 でも、だからこそ信頼できる。


 しばらくの間、静寂が広い執務室を満たした。

 窓の外で風が鳴り、壁時計がひとつ刻む。


 クロードはゆっくりと顔を上げた。


「……ひとつだけ聞く」


「なにかしら」


「お前、どこまで掴んでいる?」


「どこまで、とは?」


「とぼけるな」


 金褐色の瞳が、まっすぐヴェロニカを射抜く。

 王太子の目だ。

 妹を甘やかす兄ではなく、国を背負う者の目。


 けれどヴェロニカは、目を逸らさなかった。

 すっと顔の横に手のひらを掲げて、一本一本数えるように指を折っていく。


「ビアンカ嬢の血筋に不自然な点」


「オルロフ男爵家の台所事情」


「それと、少しばかり他国の匂い」


「少し、で済ませる気か」


 クロードは低く言った。


 ヴェロニカはにっこり笑って、ぱんっと両手を合わせた。


「お兄様もご存じでしょう?」


「当然だ」


「なら話は早いですわ」


 兄妹の間で、十分に話は通った。



 クロードは初めから知っていた。


 妹が王家の影を使って動いていることも、ビアンカ・オルロフの血統のことも、オルロフ男爵家の周辺に他国の匂いが漂っていることも。


 隣国から迎えようとしている養子のことも、ついでにゼノ・ジェルマンが護衛騎士としてあまりにも鈍く、適性に欠けることも。


 そして、クリストフ・ランカスターが妹の傍についていることも。


 妹が怒る時、その怒りはたいていろくでもない方向へ華やかに咲く。

 だが同時に、ヴェロニカは自分が王女であることを忘れない。


 越えてはならない線を、感覚的に理解している。

 だからこそ危なっかしく、だからこそ使える。

 妹の私怨は、時に国の掃除道具として優秀だった。


 妹の怒りは私情だ。

 どうしようもなく、個人的で、幼くて、可愛げがあって、そして面倒くさい。


 だが。


 その私情が、国を害する芽をあぶり出す刃になるなら。

 利用しない理由はない。


 ヴェロニカは感情で動く。

 けれど国を害する線は越えない。越えそうになれば、イリスが制御し、クリストフが止める。


 その見極めができる程度には、クロードは妹を、妹の周りも知っていた。


 ならば表向きは、妹に押し切られた形を取ればいい。

 裏では王太子として、必要な整理を進めればいい。


 なんとも面倒で、なんとも都合のいい妹だ。

 そして、どうしようもなく、可愛い。



「……条件付きで許可する」


「本当!?」


 ヴェロニカの顔がぱっと明るくなった。


 こんな瞬間だけは年相応で、クロードは少しだけ頬を緩めそうになる。

 もちろん仕事中なので顔には出さない。


「正式な婚約ではない。あくまで候補だ」


「ええ」


「王宮での教育と査定を受けさせる」


「当然ですわ」


「少しでも問題があれば、即座に切る」


「その時は派手にお願いします」


「お前はちょっと黙れ」


 ヴェロニカは、でもとても嬉しそうだった。


 その顔を見ると、クロードはだいたい負けた気分になる。


「ありがとう、お兄様!」


「礼を言う前に、これ以上仕事を増やすな」


「善処いたします」


「信用ならん」


「お兄様」


「なんだ」


「大好きですわ!」


「……そういう時だけ素直なのもずるいな、お前は」


 クロードが小さく息を吐く。


 ヴェロニカは勝利の微笑みを浮かべた。


 こうして妹に押し切られた兄の図が、表向きには完成したのである。




 そして、その話がビアンカの耳に入った瞬間。


「王太子妃候補ぉ……?まぁぁ……わたしが、ですかぁ……?」


 信じられない、と口では言いながら、彼女の瞳はきらんきらんと貪欲に輝いていた。


 場所は王宮の一室。

 ヴェロニカ自らが朗報として伝えたのだ。

 なんて親切な王女だろう。


「正式決定ではなく、あくまで候補ですけれどね」


「それでも、そんな……!わたし、身に余る光栄ですぅ!」


 声が震えている。

 喜びで。

 野心で。

 勝利の予感で。


 ヴェロニカはにっこり微笑んだ。

 完璧な祝福の顔で。


「あなたならきっと、ふさわしくなれますわ」


「王女殿下ぁ……!」


 この瞬間、ビアンカの中で何かが切り替わったのがわかった。

 ゼノに寄せていた甘い視線が、すうっと別の場所へ向く。

 より高く、より眩しく、より価値のある方へ。


 実にわかりやすい。



 その日の夕方、ゼノは困惑した顔でビアンカを呼び止めていた。


「ビアンカ、俺たちは……」


「ゼノ様には感謝していますぅ」


 ビアンカは柔らかく微笑む。柔らかいだけで、その笑みの下ではゼノをすっぱり切っている。


「でもぉ、わたし、もっと大きなお役目をいただいたみたいでぇ」


「大きな役目って……」


「ゼノ様ならぁ、わかってくださいますよねぇ?」


 わかるわけがない。

 いや、普通ならわかる。


 だがゼノにはわからないだろう。


 自分が踏み台にされたことも。

 目の前の女が、もうこちらを見ていないことも。

 あれほど自分に向いていた甘さが、ただの通過点への愛想だったことも。


「……応援、してる」


 やや間の抜けた無言の末、ゼノはそう言った。


 ヴェロニカは廊下の角からその様子を見て、口元を扇で隠した。


「踏み台が踏まれた顔をしているわ」


「姫様、声に出ております」


 背後のイリスが小声でたしなめる。


「少しだけよ」


「十分です」


 ゼノは最後まで鈍いままだった。

 少しだけ哀れで、だいぶ腹立たしくて、そしてもう、あまり心は痛まない。


 これが終わった恋の残骸か、とヴェロニカは思う。

 踏んだときの音だけ、よく響く。



 王太子妃候補として名前が上がってから、ビアンカの価値は一気に跳ね上がった。


 夜会で声をかける貴族の数が増えた。

 以前なら見向きもしなかった高位貴族の夫人が、微笑みを向けるようになった。


 そしてなにより、王女殿下が直々に目をかけているという事実が、彼女を社交界の中心へと押し上げた。


「ドレス課金は惜しんでは駄目よ」


 ヴェロニカはビアンカの前で、次の夜会用の衣装見本を広げながら言った。


「王宮では布も宝石も装甲なの」


「装甲、ですかぁ?」


「ええ。貴族社会は笑顔で殴る戦場よ」


 ビアンカはほう、と感嘆の吐息を漏らした。

 完全に感心している。

 これを教育と受け取るあたり、やはり処刑台を自分で磨く才能がある。


「殿下って、本当にすごいんですねぇ……」


「そう?」


「わたし、もっと頑張りたいですぅ。もっとふさわしく……」


「なら、姿勢はあと少しだけ胸を開いて。首は長く見せること。笑うときは歯を見せすぎない。安っぽくなります」


「はいぃ!」


「それと、男性を見るときに値札をつける目をしては駄目」


「えっ」


「隠しなさい、という意味よ」


「……あっ、はいぃ」


 隠せていない自覚はあったらしい。


 ヴェロニカは心の中で採点表を作成する。


 礼法、五点。

 会話、四点。

 野心、満点。

 勘違い、天井知らず。


 よく育っている。


 とても順調だ。




 その一方で、裏側では証拠が静かに積み上がっていった。


 ベアトリクスは過去の婚約者たちから証言を集めた。


 贈答品の記録。

 婚約破棄の直前に流れた虚偽の噂。

 その出どころ。


 にこやかに話を聞きながら、必要な言葉だけをきっちりすくい取っていく手際は、さすがカスティル侯爵家である。


 イリスは男爵夫人の過去をさらに洗った。


 出産時期の不自然さ。

 侍女の証言。

 昔の医師との接点。


 点と点が、ほとんど線になっている。


 影はビアンカの実父に関する情報を掘り起こし、さらにオルロフ男爵の密書を追った。


 隣国との接触記録。

 養子話の仲介者。

 書式の癖。

 金の動き。


 恋愛沙汰だけでは済まない匂いが、加速して濃くなっていく。


 だがその中心で、ヴェロニカはあくまで優雅だった。


 表では恋敵を磨き、裏では処刑台を固める。


 優雅さというのは、たいてい水面下の労力でできている。



 ある午後、ヴェロニカは改めてカスティル侯爵家を訪れていた。


 ベアトリクスが席を外したわずかな時間、応接間にはセレスティアと二人きりになる。

 窓辺に差す光の中で、セレスティアは本を閉じて、少し緊張したように背筋を伸ばした。


「何を読んでいたの?」


「民政に関する古い報告書です」


「……お茶会の席で読むにはずいぶん渋いわね」


「その、数字を見るのが好きで……」


「好き」


 ヴェロニカは思わず笑った。


「あなた、本当に面白い子ね」


 セレスティアは恥ずかしそうに頬を染める。


 派手さはないけれど、話すほどに芯の強さが見える。

 言葉を飾らず、考えることをやめない目をしている。


「王太子殿下は、きっとこういう書類も全部お読みになるのでしょうね」


 ぽつりとセレスティアが言った。


「冷静で、公正で……少し怖い方ですけれど、国を背負う覚悟を持っていらっしゃいます」


 ほら来た。


 ヴェロニカはじっと彼女を見た。

 セレスティアはそこで、しまった、という表情になる。


「セレスティア」


「は、はい」


「あなた、お兄様のこと好きね?」


「っ!」


 見事なくらい真っ赤になった。

 耳まで染まっている。可愛い。


「ち、違……その、尊敬していて……!」


「尊敬の先がだいぶ桃色だけれど」


「で、殿下……!」


「いいわ」


 ヴェロニカは満足げに頷いた。


「覚えておく」


 セレスティアはしばらく言葉を失っていたが、やがて小さく、でも真っ直ぐに言った。


「……笑わないんですね」


「なぜ?」


「身の程知らずだと、言われるかと」


「言わないわよ」


 ヴェロニカは即座に返した。


「国を背負う人を好きになるなら、支えられるだけの強さがいるでしょう?あなたにはそれがあるもの」


「……殿下」


 セレスティアの目に、じわりと光が滲む。

 泣くには至らない、小さな感動の色だった。


 ヴェロニカは心の中でそっと丸をつける。

 これは覚えておこう。


 ちゃんと、後で。



 そしてついに、大夜会の日取りが決まった。


 王宮最大級の夜会。


 そこで、ビアンカ・オルロフは王太子妃候補のひとりとして公に披露される。


 社交界の目が一斉に集まり、羨望も嫉妬も敵意も称賛も、すべて彼女に降り注ぐことになる。


 その知らせを受けた夜、ヴェロニカは自室のソファに深く腰掛け、満足そうに紅茶を傾けていた。


「完成したわね」


「何がですか、姫様」


 イリスが尋ねる。


「処刑台の上のシンデレラ」


 ちょうど部屋にいたクリストフが、苦笑した。


「リリ、たまに詩的に最悪だな」


「褒めてる?」


「まあ、好きではある」


 その一言に、ヴェロニカはぴたりと動きを止めた。


「……今、何か言った?」


「作戦の話だ」


 クリストフはあっさり言って、肩をすくめる。

 だが口元は少しだけ笑っていた。

 ごまかした。

 いま、確実にごまかした。


 ヴェロニカはじっと彼を見る。

 胸の奥が、ほんの少しだけ妙に騒がしい。


 けれどその正体を考えるより先に、ヴェロニカはふっと笑った。


「まあいいわ」


「助かる」


「その代わり、最後まで付き合ってもらうわよ、クリストフ」


「最初からそのつもりだ」


 夜会は近い。


 舞台は整った。


 シンデレラはガラスの靴を履き、いままさに階段を上がろうとしている。


 祝福の光に見えていたものが、処刑台を飾る灯りだとも知らずに。


「落ちる時、どんな音を聞かせてくれるのか、楽しみですこと」


 ヴェロニカは子供のように笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ