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王女による恋敵シンデレラ計画  作者: 成神 なるせ


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2/5

第2話 恋敵シンデレラ計画、開幕


 復讐において大切なのは、勢いではない。

 段取りである。


 ヴェロニカ・リリス・サロメ・ド・ラ・クロワ・フォン・ローゼンブルクは、その日の朝、鏡台の前で完璧に巻かれた金髪を整えながら、たいへん満足げに頷いていた。


「よし」


「何がでしょう」


「毒見ボランティア開始よ」


 後ろで髪飾りを整えていた侍女イリスが、鏡越しに淡々と返す。


「毒は盛られていないかと」


「物理の話ではなくてよ。精神に盛ってくるのよ、ああいう女は」


「本日のお茶会の主催は姫様です」


「だからこそよ。敵を自分のコロシアムに引きずり込むの」


 ヴェロニカは立ち上がり、ドレスの裾をふわりと払った。


 淡い薔薇色のシルクに、真珠を散らした軽やかな昼の装い。華美すぎず、けれど誰が見ても王女とわかる。

 つまり本日の衣装テーマは、優雅なる圧。


「ティーカップ=コロシアムにふさわしい装甲ね」


「またそのようなことを」


「お茶会とは優雅な闘技場よ、イリス。微笑みながら相手の喉笛を狙う場所だもの」


「姫様が言うと比喩に聞こえないのですが」


「今日はちゃんと比喩の範囲に収めるわ」


 そう言って笑うヴェロニカの顔には、すでに淑女バリアが展開されていた。

 柔らかく、慈愛に満ち、気品にあふれ、誰が見ても文句のつけようがない完璧な微笑み。

 中身がどれほど煮えたぎっていようと、外から見えるのは春風みたいな王女だけである。


 この顔で、今日は恋敵を迎える。


 ビアンカ・オルロフを。


    


 王宮の小サロンは、今日も花の香りと焼き菓子の甘さで満ちていた。


 窓際には陽の光を受ける白いレース。磨き上げられたティーセット。

 季節の果実を使ったタルトに、薄く焼かれたクッキー、ひと口大のサンドイッチ。


 お茶会というものは、見た目だけならたいへん平和である。


 なお、中身は別だ。


「王女殿下にお招きいただけるなんてぇ、ビアンカ、夢みたいですぅ」


 甘ったるい声が室内にへばりついた瞬間、ヴェロニカは心の中でたいへん静かに眉をひそめた。


 来た。

 蜂蜜に砂糖を溶かして、さらにシロップで煮詰めたような声の主が。


 ビアンカ・オルロフは、淡いクリーム色のドレスを着ていた。

 小柄で華奢、くるくるした栗色の髪、大きな目。守ってあげたくなるような愛らしさを、本人も熟知している顔だ。男はこういうのに弱かったりもする。


 ただの令嬢だった娘が、今日からは王女殿下に目をかけられる立場になる。

 ビアンカの頬が、わかりやすく輝く。


「わたしぃ、殿下に嫌われてしまっているかとぉ……」


「まあ、なぜ?」


「だってぇ……ゼノ様を、取ってしまったのにぃ」


 あえて言う。

 しかも周囲に聞こえるように。


 自分が勝った側であることを、砂糖菓子みたいな声に包んで誇示する。

 実にいやらしい。


 ヴェロニカは微笑み続けた。

 淑女バリア、強度最大。


「まあ。すでに終わったことに怒るほど、わたくし暇ではなくてよ?」


 そう言いながら、胸の内ではずいぶんと違うことを思っていた。


 ──そこで満足されても困るのよ。まだまだ登ってもらうんだから。


「さすが王女殿下ぁ!とってもお心が広いんですねぇ」


 まあ。本当に押し上げがいのある子ね。

 ヴェロニカはそう思いながら、優雅にカップを手に取る。


 まずは、素材の確認からだ。


 笑顔、可愛らしいが下心が透けて見える。

 笑い声、蜂蜜の洪水。耳にまとわりつく。

 会話、マウントの煮凝り。やわらかい言葉に包んでいるが、端々にわたしが勝ちました感が滲む。

 視線、男の爵位を値踏みする小型猛禽類。

 歩き方、妙に内股で愛らしさを作りすぎている。


 総評──王宮向きではない。鳴き声だけでなく羽音までうるさい小鳥。


 ただ、素材としては悪くない。

 特に表面だけなら、あの愛らしさは驚くほどよく効くはずだ。

 余計な甘さを削って、姿勢と視線の使い方を覚えさせれば、十分に上等な令嬢へ化ける。


 それを王女直々に整えてやれば、社交界は面白いくらい釣れるだろう。


「ビアンカ嬢」


「はいぃ?」


「少しだけ顎を上げてみて」


「え?」


「そう。視線は伏せすぎないで。あなたは怯えた令嬢より、愛らしいのに品のある令嬢のほうが似合うわ」


「まあ……!」


 ビアンカの目がきらきらと輝く。

 単純。けれどこういう人間は扱いやすい。

 褒められれば伸びるし、欲を刺激すればどこまでも上を見る。


「ドレスも、もう少し縦の線を意識した方がよろしくてよ。胸元の装飾を盛るより、腰の位置を高く見せるの」


「わたしにぃ、そんなことまで教えてくださるんですかぁ?」


「せっかくご縁ができたのですもの」


 にこり。


「もったいないでしょう。素材を活かさないなんて」


 まあ、処刑台を飾るための下準備なのだけれど。


 ビアンカは完全にうっとりしていた。

 周囲の令嬢たちも、王女殿下は本当にお優しいとでも言いたげな顔をしている。


 いい。とてもいい。


 誤解は大きいほど後で効く。



「殿下はお優しい方だ。俺とビアンカのことも祝福してくださっている」


 数日後、その報告を聞かされたクリストフは、珍しく露骨に顔をしかめた。


「お前、よくそれで王太子の護衛騎士をやれてるな」


「どういう意味だ?」


 きょとんとした顔のゼノは、本気でわかっていないらしかった。


 王宮の回廊で偶然を装った立ち話。

 クリストフは壁にもたれ、目の前の男を心底不思議そうに眺める。


 ゼノ・ジェルマン。侯爵家三男。剣の腕は確か。顔も悪くない。

 しかし、それ以外があまりにもぼんやりしている。


「そのままの意味だよ」


「はは、相変わらず辛辣だな、クリストフ」


「お前が鈍すぎるだけだ」


「ヴェロニカ殿下は昔から優しかっただろう?」


「……ああ、もうだめだな、これは」


 クリストフは額を押さえた。

 悪意があるならまだましだ。悪意があれば警戒もできる。


 だが、ゼノのこれは純度の高い鈍感だった。

 ヴェロニカの三年も、ビアンカの野心も、王太子クロードの視線の冷たさも、何ひとつ読めていない。


「お前な」


「うん?」


「護衛騎士ってのは、剣を振るだけの仕事じゃない」


「もちろん、殿下の身辺警護や周囲への配慮も──」


「言葉を知ってるのと、理解してるのは別だよ」


 ゼノは少し困ったように笑った。

 その笑みひとつで、クリストフはこいつはたぶん一度本気で痛い目を見ないとわからないと悟る。


 そして同時に思う。

 こんな男に三年も心を預けたヴェロニカは、やっぱり見る目がない。


 少し、腹が立った。



「つまり、ビアンカ嬢を王太子妃候補にまで押し上げるのね」


「ええ、そうよ」


「なぜ?」


「落ちる音が大きくなるから」


「好き」


 ベアトリクス・カスティルは即答した。

 実にいい友人である。


 カスティル侯爵家の令嬢である彼女は、すらりとした長身に切れ長の目を持つ、涼やかな美人だ。冷静で、自分の頭で考え、自分の足で立つ。


 ヴェロニカの奔放な発想を面白がりながら、必要な時には現実に落としてくれる。


 現在、カスティル侯爵家の温室サロン。


 花に囲まれた優雅な空間で話している内容は、だいぶ物騒だった。


「噂の流し方は任せて」


 ベアトリクスは焼き菓子をひとつ摘まみながら言う。


「『王女殿下が目をかけていらっしゃる』だけで十分強いけれど、そこに『最近めきめき洗練されている』を足せば、社交界は勝手に価値を吊り上げるわ」


「頼もしいわねえ」


「過去の婚約者についても、実家の情報網で当たれると思う。被害者の口は、丁寧に開けばわりと素直よ」


「さすがカスティル家」


「褒め言葉として受け取るわ」


「当然よ」


 ヴェロニカは満足げに頷いた。

 この友人は本当に話が早い。


 その横で、少し控えめに座っていた少女が、そっと紅茶を置く。


 ベアトリクスの妹、セレスティア・カスティル。

 姉に似た聡明さを持ちながら、印象はもっと柔らかい。淡い水色のドレスがよく似合う、楚々とした令嬢だ。


「ヴェロニカ殿下……その、ビアンカ嬢を近づけるのは危なくありませんか?」


「危ないわよ」


「えっ」


「でも危ないものほど、明るい場所に置いたほうが観察しやすいの」


 ヴェロニカがそう言うと、セレスティアははっとした顔をした。

 憧れと驚きの混じった目。たいへん可愛らしい。


「強いんですね、殿下は」


「いいえ。根に持つだけよ」


「それも強さよ」


 ベアトリクスが横からさらっと言った。


 その時、話の流れで王太子クロードの名が出た。


「お兄様の周囲の目も、そのうち利用することになるでしょうし」


「ああ、殿下のご判断が入れば、さらに盤石ね」


「クロード殿下……」


 ぽつりとセレスティアがその名を口にした瞬間。

 ヴェロニカは見た。


 ほんの少しだけ染まる頬。

 伏せられたまつ毛。

 紅茶のカップを持つ指先の、わずかな震え。


 あら。


「な、なんですか、殿下」


「いいえ」


 ヴェロニカはにっこり笑った。


「未来の香りがしただけよ」


「み、未来!?」


「姫様、遊ばないであげて」


 ベアトリクスが呆れた声を出す。


「セレスティアはすぐ赤くなるんだから」


「お姉様……!」


 可愛い。

 実に可愛い。


 ヴェロニカはひそかに、たいへん上質な伏線の香りを嗅ぎ取っていた。



 一方その頃、王家の影とイリスは、恋敵シンデレラ計画の裏側で淡々と仕事を進めていた。


 夜、王宮の私室。

 ヴェロニカは長椅子に寝そべるようにして報告書を読み、イリスは横で必要な箇所に付箋を付けていく。


「濃くなってきましたね」


「ええ」


「ビアンカ嬢、オルロフ男爵の実子ではない可能性が高いかと」


「これはもう、ほぼ黒でしょうね」


 男爵夫人の交友関係は、結婚前後を通してどうにもきな臭い。

 過去に深く関わっていた男がいた。

 その時期をみると、男爵家としてのビアンカの生年がどうにも噛み合わない。


 さらに調べると、母娘の間ではその事実を共有していたらしい痕跡も見える。


「男爵本人は?」


「知らないようです」


「そこが面白いところね」


 ヴェロニカは紙を指先でとんとん叩いた。

 断罪において重要なのは、誰が何を知っていて、誰が何を知らないかだ。


 裏切りは、本人の思い込みが深いほどよく刺さる。


「それだけじゃありません」


 イリスは別の報告書を差し出した。


「男爵家、他国と妙な手紙のやり取りがあります」


「どの程度?」


「まだ断片的ですが……隣国から養子を迎える話が出ているようで」


「養子?」


「はい。その人物に関しても、少々経歴が怪しいと」


「スパイくさいわね」


「姫様」


「失礼、雑な言い方だったわ。でも匂うでしょう?」


「ええ、かなり」


 ヴェロニカは背中を起こして長椅子に座る。


 復讐は楽しい。だが、もしそこに国を害する芽があるなら話は別だ。


 ただ別であって、別でもないのが王族である。


「まだ断片ね」


「はい」


「なら、いまは恋敵シンデレラ計画を続行するわ。表から照らせば、影も濃く出るもの」


「承知しました」


 イリスが頭を下げる。


 ヴェロニカは、窓の外の夜を見やった。


「……恋敵、と呼ぶにはもう少し違うのかもしれないわね。いまさらゼノを取り合いたいわけではないもの」


 ヴェロニカは、そっと髪飾りの位置を直した。


「でも、最初にわたくしの前に立った恋敵があの子だった、という事実は消えないでしょう?」


「事実認定が静かに重いですね」と、イリス。


 どこまでが少女の意地で、どこからが王女の務めなのか。

 その境界は、たぶんヴェロニカにとっても曖昧だ。


 けれど、どちらでもいいと思った。


 踏まれたなら、足を何本も増やして、どちらの立場からでも踏み返せばいい。


 それが王女の流儀だ。



「リリ、本当にゼノが好きだったのか?」


 ある夕暮れ、クリストフは唐突にそう言った。


 場所は王宮の中庭。

 薔薇のアーチの下で、ヴェロニカは散歩がてらに新しい扇を試していた。


 隣を歩くクリストフは、いつものように半歩だけ後ろからヴェロニカを見ている。


「好きだったわよ。三年も」


「今は?」


「……腹は立つわ」


「好きとは違うな」


 むっとヴェロニカは眉を寄せた。


「あなた、わたくしの心を勝手に仕分けしないで」


「じゃあ自分で仕分けろ」


「嫌よ。面倒だもの」


「現実逃避するな」


「王女に向かって現実逃避って言う?」


「言う。相手がお前ならなおさら」


 ヴェロニカは扇をぱちんと閉じた。


「だって腹が立つのよ。三年も好きだったのに、あんなふうにふわっと扱われて、最後はあっさり別の女に持っていかれて」


「それは恋か、プライドか、どっちだ」


「両方」


「割合は?」


 自然に目線が斜め上へいく。


「考えてる時点で恋はだいぶ燃え尽きてる」


「うるさいわね」


 クリストフは少し笑って、続けた。


「ゼノへの恋は、燃えるゴミか?」


「粗大ゴミよ」


 ヴェロニカは即答した。


「三年分だから」


「回収日が面倒そうだな」


「しかも勝手に部屋の真ん中に置かれてる感じよ。邪魔」


「ずいぶん的確だ」


 ヴェロニカはふんと顔を背けた。

 けれど、少しだけ自分でも可笑しかった。


 確かに、胸がきゅうっと痛むような好きは、もうあまり残っていない気がする。

 あるのは怒りと、恥と、踏まれたプライドの感触だ。


 それを認めるのは少し癪だったが、クリストフの前だと不思議と強がりきれない。


「……クリストフ」


「ん?」


「もしわたくしが、ものすごく性格の悪いことをしていたら」


「してる最中だろ、たぶん」


「話を最後まで聞いてちょうだい」


「悪かった」


「その時、あなたは止める?」


「内容による」


「前に話した、恋敵を磨いて高いところから落とす計画とか」


「止めないな」


「即答」


「ただし、落ちる前にお前が巻き込まれそうなら抱えて逃げる」


「……なによ、それ」


 さらりと言われて、ヴェロニカは一瞬だけ言葉に詰まった。


 クリストフはなんでもないことのように肩をすくめる。


「幼馴染だからな」


「便利な言葉ね」


「歴史ほどじゃない」


「まだ言うの!?」


 笑い声が薔薇の庭にほどけた。


 ゼノといたときには、こんなふうに自然に笑えただろうか。

 ふとそんな考えが浮かんで、ヴェロニカはすぐに追い払った。


 まだそこを考えるのは、少し落ち着かない。



 数日後、再びのティーカップ=コロシアム。


 ビアンカは見違えていた。


 姿勢は前よりまし、ドレスの選び方も改善。

 声の甘さは相変わらずだが、言葉の区切りに品を足せば、ずいぶん上等な令嬢に見える。


 ヴェロニカの指導が実を結んで何よりである。

 効果も順調なのとは裏腹に、気持ちとしてはたいへん腹立たしいのはもう仕方がない。


「わたし、最近とても楽しいんですぅ」


 ビアンカは頬を染めて笑った。


「殿下がいろいろ教えてくださるから……みんなの見る目が変わってきてぇ」


「それはよかったわ」


「ゼノ様も喜んでくださってぇ」


 ゼノ。

 その名前を聞いても、以前みたいに胸は跳ねない。代わりに、ちょっとした苛立ちがわくくらいだ。

 やはり粗大ゴミかもしれない。


 ビアンカはカップを持ちながら、夢見るように続けた。


「でもぉ……わたし、もっと上に行きたいんですぅ」


 その一言に、ヴェロニカは目を細めた。


「上、とは?」


「ゼノ様には感謝していますけどぉ」


 ビアンカは恥じらうように笑う。

 だが瞳の奥は、ちっとも恥じらっていない。

 爛々ぎらぎら。


「わたしには、もっとふさわしい場所がある気がしてぇ」



 ああ、



 釣れた!



 イリスが背後で、気配だけでため息をつくのがわかる。


 ヴェロニカは、にっこりと笑った。


「そうね」


 その声は、どこまでも優しい王女のものだった。


「行きましょう、高いところへ」


 イリスが小声で言う。


「姫様、完全に崖です」


「景色はいいわよ」


 ヴェロニカは優雅に紅茶を飲んだ。

 琥珀色の水面に、自分の笑みが揺れて映る。


 恋敵シンデレラ計画は、いま、実に順調に進んでいた。


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