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初恋を奪われた王女は、恋敵を成り上がらせてから叩き落とす  作者: 成神 なるせ


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1/1

第1話 王女、初恋を奪われて報復計画書を書く

全5話予定です。毎日18時に投稿します!


 失恋は、たいてい静かに訪れるものだと聞いていた。


 たとえば窓辺で風に吹かれながら、はらりと手紙を落とすとか。

 月明かりの下で、ひとしずく涙をこぼすとか。

 あるいは胸に白薔薇でも抱いて、「これが恋の終わりなのね……」と儚く呟くとか。


 けれど、少なくともヴェロニカ・リリス・サロメ・ド・ラ・クロワ・フォン・ローゼンブルクの失恋は、そんな上品なものではなかった。


「許せないわあああああ!!」


 ばんっ!と王女の私室の机が叩かれる。

 高級木材で作られた可哀想な机が、びくりと震えた。


「姫様、机に罪はありません」


「でも心のぶつけ先がないのよ!」


「でしたらクッションを殴ってください。姫様のお手にも、王家の備品管理にも優しいです」


 淡々と言いながら、侍女イリスは刺繍入りのクッションを差し出した。


 ヴェロニカは一瞬だけ迷い、それをひったくると、むぎゅっと抱きしめる。殴る代わりに爪を立てた。


「許せないわっ……あのハゲタカのごとき幼児体型も!ころっと落ちたムッツリロリコンゼノも!」


「ロリコンではないと思いますよ」


「そうかしら!?」


「ええ。あと、貧乳を下げるのはいただけませんね」


 ぴたりとヴェロニカの動きが止まる。


 紫水晶のような瞳が、すっとイリスの胸元へ向いた。


「……悪かったわよ」


「謝罪を受理します」


「でもビアンカは腹が立つのよ!あの甘ったるい喋り方!あの『わたしぃ、なんにもわからなくってぇ』みたいな顔!絶対わかってやってる顔だったもの!」


「はい」


「それにゼノもゼノよ!三年!三年もわたくしの気持ちをふわふわと受け取っておいて!」


「はい」


「贈り物を渡せばちゃんと受け取ったわ!」


「はい」


「声をかければ優しく笑ったわ!」


「はい」


「近づけば、ちょっと照れたみたいな顔までしたのよ!?」


「それは勘違いの余地がありますね」


「あるのよ!!あったのよ!!だから怒っているの!!」


 ヴェロニカはクッションに顔を埋めた。

 そのままくぐもった声で呻く。


「なのに……なのに……はっきりとは何も言わないで……ビアンカに迫られたら、あっさりっ……」


 その先は言葉にならなかった。


 三年。

 たった三年、と言うには長く、長年と言うには短い。

 けれど十八歳の王女にとって、その三年はじゅうぶんに人生だった。


 お茶会帰りに落とした手袋を拾ってくれた日も、雨の日にさりげなく外套の端を差し出してくれた日も、贈った小さなお守りを帯に下げてくれていた日も、ぜんぶ覚えている。


 覚えていて、勝手に期待して、勝手にときめいて、勝手に夢を見た。

 だからこそ腹が立つ。

 夢を見せるだけ見せておいて、返事をしないまま、別の女に体で釣られた男なんて。


 イリスはしばらく黙っていたが、やがて小さくため息をついた。


「姫様、泣いていますね」


「泣いてないわ」


「泣いています」


「これは涙じゃないもの」


「では何ですか」


「王族の目から出る、歴史の結露よ」


「ただの涙です」


「配慮ってものがあるでしょう!?」


 ばっと顔を上げたヴェロニカの目元は、きらきらと濡れていた。

 淡い金髪は少し乱れ、いつもなら完璧に整えられた巻き髪も、いまは怒りと失意の余波でふわふわと暴れている。


 それでも美しいのだから王族はずるい。

 しかも本人にその自覚があるのだから、なおさらたちが悪い。


「姫様」


「なによ」


「失恋はお気の毒ですが、鏡をご覧になりませんか。いまの姫様、大変お綺麗です」


「慰め方が雑!」


「いえ、事実です。修羅場でも映える顔面は強い武器です」


「……その評価はちょっと嬉しいわね」


 ころりと機嫌の針が少し戻る。

 ヴェロニカは鼻をすすりながら、鏡台の方を見た。


 たしかに、目元は赤いが、どこか危うい艶がある。

 薄い唇は怒りで色づき、頬にはうっすら紅が差していた。

 なるほど、これなら「傷ついた王女」として社交界に出れば、同情と憶測でかなり遊べる。


 ──あら。


 そこでヴェロニカの瞳に、きらりと愉しい光が宿った。


「イリス」


「はい」


「わたくし、いま少し元気になったわ」


「それは何よりです」


「復讐の方法を思いついたから」


「やはりそう来ましたか」


 イリスは驚かない。

 この侍女は、主が泣きながら立ち上がるタイプであることをよく知っている。


 ヴェロニカはゆっくりと立ち上がった。

 王女らしい優雅さで、しかし目だけは獲物を見つけた猫のように爛々としている。


「ビアンカ・オルロフ」


 その名を、甘く、冷たく舌で転がす。


「王女から男を奪った程度で勝ったと思っているのなら、教育が必要だわ」


「教育」


「ええ。踏み台にするなら、正しい踏み台の使い方を教えて差し上げなくては」


 イリスが片眉を上げた。


「姫様、その言い方ですと、ゼノ様もビアンカ嬢も姫様を踏み台にしたと」


「したわ!」


 きっぱりとヴェロニカは言った。


「三年間、曖昧に好意を受け取っておいて、都合よく放置したゼノ。王女から奪ったと勝ち誇っているビアンカ。どちらも、わたくしを軽く見たのよ」


「……そうですね」


「わたくしの初恋を、踏んだの」


 ヴェロニカは笑った。

 それは表向きの社交用の微笑み──ヴェロニカが淑女バリアと呼ぶ、鉄壁の笑みではない。

 もっと素に近い、けれどそれゆえにぞっとする笑みだった。


「踏み台にするなら、正しい高さまで登ってもらわなくてはね」


 そのままヴェロニカは机へ向かい、羽根ペンを掴んだ。

 白い紙を引き寄せ、勢いよく題を書く。


『ハゲタカ令嬢・高所落下計画』


 イリスが渋い顔をした。


「姫様、題名に品がありません」


「じゃあこっちはどうかしら」


 さらさらと二本線で消し、新たに書く。


『恋敵シンデレラ計画』


「急に可愛い。さっきよりはまだ」


「副題は『ガラスの靴で崖に立て』よ」


「却下です」


「どうして!?美しいじゃない!」


「美しいのは語感だけです。内容が殺意に満ちています」


 ヴェロニカはふんっと鼻を鳴らし、結局題名の周囲に薔薇っぽい落書きをしながら考え込む。


「でも本質はそういうことよ。わたくし、あの子を引き上げてあげるの」


「……はい?」


「社交界で持ち上げる。王女が認めた令嬢として注目させる。もっともっと高みを見せて、ゼノなんて手放したくなるくらい欲深くして、最後には王太子妃の席まで夢見させる」


「だいぶ高く登らせますね」


「落差よ、イリス」


 ヴェロニカは紙に箇条書きを始めた。


「王族の報復に必要なのは、品格と落差」


 さらさらと、文字が並んでいく。


 一、ビアンカを社交界で持ち上げる

 二、王女が認めた令嬢として注目させる

 三、ビアンカ自身にさらに高みを望ませる

 四、ゼノを捨てさせる

 五、王太子妃候補にまで成り上がらせる

 六、幸せの絶頂で、過去の所業と弱みを暴く


「……姫様」


「なぁに?」


「最後の一文だけ、鋭さが段違いですね」


「ふんわりさせる必要ある?」


「ありませんが、いよいよ本気だなと思いまして」


 ヴェロニカは羽根ペンの先を唇に当てた。

 そして艶やかに笑う。


「本気よ。だってわたくし、王女だもの」


 そう。

 ヴェロニカは王女だ。


 この国ローゼンブルクでは、王族の庇護は絶大で、同時に王族の不興は重い。

 ヴェロニカは常識も良識も持ち合わせているし、無闇に権力を振り回す愚か者ではない。

 だが、自分が特別な存在であることは、一度も疑ったことがなかった。


 王女の恋は、ただの娘の恋ではない。

 王女の怒りは、ただの娘の癇癪でもない。


「イリス、影を使うわ」


「私的利用は褒められたものではありません」


「国を害さなければいいのよ」


「ずいぶん広い解釈ですね」


「わたくしの心の治安も、王国の治安の一部です」


「詭弁としてはかなり強い部類です」


 イリスはそう言いながらも、すでに手元のメモ帳を開いていた。

 止める気がないのはわかっている。

 たしなめるのは侍女の務め、支えるのはもっと大事な務めだ。


「では、どこまで調べますか」


「ビアンカの過去全部。婚約、交友、金の流れ、噂の出どころ、家の台所事情、好みの香水、苦手な食べ物、ぜんぶ」


「最後の二つは必要ですか」


「嫌いな相手の弱点を知るのは礼儀でしょう」


「初めて聞く礼儀の定義ですね」


 その日のうちに、王家の影は静かに動いた。



 そして三日後。

 ヴェロニカのティーテーブルの上には、薄い報告書が何通も積み上げられていた。


「早いわねえ」


「王家の情報網ですから」


「便利」


「便利で済ませるには少し怖い気がします」


 ヴェロニカは最初の報告書を開き、ぱらぱらと目を走らせた。

 読み進めるほどに、口元が愉快そうに持ち上がっていく。


「まあ!」


「何かありましたか」


「あるなんてものじゃないわ。ビアンカ、ただの略奪令嬢ではないわね」


 子爵令息と婚約。

 その後、より家格の高い伯爵令息へ接近。

 どちらも、婚約期間中に高価な贈り物を複数引き出し、破棄の際には相手側に不利な噂が流れた。


 ビアンカは表向きは可哀想な被害者だが、裏をたどると妙に話ができすぎている。


「婚約キャリアアップの達人ね」


「言い方」


「それか、不渡り令嬢」


「決済されない約束は紙くずですね」


「ぴったりだわ」


 ヴェロニカは楽しそうに笑った。


 もう涙の痕は消えている。

 いや、消したのだ。


 王女は顔を作る生き物である。


「ゼノを足がかりに、王家に近づく気なのかしら」


「可能性は高いかと」


「野心があるのは嫌いじゃないわ」


 ヴェロニカはカップを持ち上げ、紅茶の香りを楽しんだ。


「でも、他人のものを奪って階段代わりにするのは、趣味が悪いのよ」


 ことり。

 カップが受け皿に戻される。


「クリストフを呼んで」


「ランカスター公爵令息を、ですか」


「ええ。こういう時のクリストフは便利だもの」


「便利」


「人脈が広いし、顔がいいし、わたくしに甘いわ」


「最後が本音ですね」


「当然でしょう」



 その日の午後、クリストフ・ランカスターは、半ば呆れた顔で王宮の私室を訪れた。


「で、呼び出されたと思ったら失恋の報告か」


「言い方に棘があるわよ、クリストフ」


「事実だろ」


「そうだけど、もう少し絹で包んでほしいの」


「お前はそういうところだけ王女だな」


 長身の青年は、深い青の上着を軽く整えながらソファに腰を下ろした。


 整った顔立ちに、どこか気安い笑み。

 学院を出てからだいぶ大人びたが、ヴェロニカに向ける眼差しだけは、昔から変わらない。


 彼だけが、ヴェロニカを幼名で呼ぶ。


「リリ、お前、泣いたな」


「泣いてないわ。歴史の結露よ」


「便利な言葉だな、歴史」


 くくっとクリストフは喉で笑った。

 その笑い方があまりにも自然で、ヴェロニカは少しだけむっとする。


「笑わないでちょうだい」


「笑うさ。お前、昔からそうやって妙な言葉で誤魔化す」


「誤魔化してないもの」


「はいはい」


 その声音が妙に優しかった。


 ヴェロニカは少しだけ視線をそらす。

 慰められるのは好きではない。だが、雑に扱われるよりはずっといい。


「で?」


 クリストフは報告書の束を見た。


「今回は何を企んでる?」


「復讐よ」


「清々しいな」


「失恋した女を甘く見ないで」


「お前の場合、失恋した『王女』だろ。そっちのほうが怖い」


 ヴェロニカはにっこり笑った。

 完璧な淑女の微笑みだ。

 つまり、怖い。


「ビアンカを成り上がらせるの」


「はい?」


「磨いて、飾って、登らせて、最後に落とす」


「……えげつないな」


「褒め言葉として受け取るわ」


「褒めてないんだよなあ」


 クリストフは額を押さえた。

 だが、その目は真面目だった。ヴェロニカが本気で傷ついたことも、本気でやり返すつもりでいることも、全部わかっている目だ。


「ゼノは?」


「そのうち捨てられてもらうわ」


「容赦ない」


「わたくしにしたことを考えれば、まだ優しいくらいよ」


「……まあ、それはそうか」

 

 クリストフは、ふっと肩をすくめた。


「見る目がないな、リリ」


「ゼノのこと?」


「半分正解」


「なによ、それ」


「別に」


 苦笑するその顔の意味を、ヴェロニカは深く考えなかった。

 いまのヴェロニカの頭を占めているのは、もっと華やかで、もっと物騒な計画のことだけだ。


 その時、扉が控えめに叩かれた。

 イリスが一礼して入ってくる。手には新しい封書。


「姫様。追加の報告が」


「読んでちょうだい」


「はい。オルロフ男爵家の血統に、不自然な点がございます」


 部屋の空気が変わった。


 ヴェロニカの目が、ぱっと輝く。

 泣いていた少女のものではない。獲物を前にした王族の目だ。


「まあっ!」


 ヴェロニカは楽しげに身を乗り出した。


「叩けばホコリどころか、屋根裏から魔獣が出てきたわ!」


 クリストフが眉をひそめる。


「ただの恋愛沙汰じゃ済まない話か?」


「かもしれないわね」


 ヴェロニカは封書を受け取り、封を切った。

 ざっと目を通し、その唇がゆるやかに弧を描く。


「いいわ、ビアンカ」


 甘やかな声だった。

 ぞっとするほど優しい声だった。


「あなたを磨いて、飾って、登らせてあげる」


 王女は立ち上がる。

 窓から差す夕陽が、淡い金髪を燃えるように染めた。

 その姿は美しく、傲慢で、どうしようもなく王族らしい。


「落ちたとき、一番よく響く高さまでね」


 初恋は終わった。

 ここから始まるのは、王女の私怨まみれの報復劇だ。

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