第12話 そのしっぽ、誰がために切れたのか
ユリウスは、宙に浮かぶ魔法陣をいくつか消しつつ、残っていた細かなデータの整理を進めている。一連の騒動の経過を整理した報告書をまとめ終えたところだった。
王国全域を巻き込んでいた混乱はようやく落ち着きを取り戻し、リザードテイルの事務所は静かだった。
「……おお、ユリウス。報告書、ご苦労さん。やっぱりお前は仕事が早いな」
気の抜けた声とともに入ってきたのはヴァンだった。いつものようにブーツを脱ぎ捨てると、そのままソファへ身を投げ出す。
「お疲れ様です。ヴァン。報告書は確認しますか?」
「あー、別にいいや」
「そう言うと思っていました」
ユリウスは眼鏡を外し、眉間に指をあてた。
「ようやく落ち着けますね。ここのところ、大変でした」
「だよなぁ。さすがに今回は働いたわ、俺たち。やっと休めるわ」
二人揃って天井を見上げ、一息つく。
——そのときだった。
ばたん、と扉が勢いよく開く。
「大変なの!」
飛び込んできたカナンが、息を切らしたまま叫んだ。
ヴァンがソファに沈みこんだ身体を上げ、嫌々と言った様子で口にする。
「……今度は何だよ?」
「本当に大変なの!」
ユリウスは天井からカナンへ視線を移し、眼鏡をかけ直す。
「落ち着いてください、カナン。何があったんです?」
カナンはよほど急いで戻ってきたのだろう。髪も少し乱れている。
「こ、国王様が……アレックス様が、崩御されたの」
室内の空気が、すっと冷える。ヴァンの表情から、さっきまでの緩さが消えた。
「……そうか」
「それで、それでね」
カナンは言葉を急ぐ。
「王位を継承したのは、第二王子のセドリック様だって!」
「……そうなったか」
ユリウスの手の魔法陣の光が揺れる。
「これで、以前から王宮内でくすぶっていたエドガー第一王子の国外追放の動きが、いよいよ本格化するでしょうね」
「だろうな」
短くそう言ったきり、ヴァンは口を閉じた。
先ほどまで“ようやく落ち着いた”などと話していた空気は、跡形もなく消え去っていた。
単なる災害の後始末ではない。政変だ。王家そのものが、動いている。
カナンは二人の沈黙に耐えきれなくなったように、一歩踏み出した。
「ねえ、ヴァン」
声は真剣だった。さっきの慌てぶりとは違う、強い響きがある。
「この国で何が起きているのか、教えてほしい。わたし、ちゃんと知りたい。何もわからないままなの、嫌だよ」
「悪いが、俺にも全てが見えているわけじゃない。だが、俺たちなら答えを出せるはずだ」
ユリウスは頷くと、自身が作成した報告書の資料を呼び出した。
「整理しましょう。発端は、聖女の追放でした」
異常気象、王宮、ギルド、第一王子、第二王子、聖女、侍女——複数の情報が層のように重なり合い、関連を示すように配置されていく。
「よし! それじゃあ、会議の時間といこうか!」
ヴァンはパンッと手を叩き、指を一本立てた。
「じゃあ、問題その1だ。いきなりだが、こいつは最も重要な問いだ。——【なぜ、聖女は追放されたのか?】」
カナンが目を大きく見開いて、瞬きを繰り返した。問いの答えではなく、その問いのどこが疑問なのか、カナンにはわからなかった。
「えっ? そんなの、エドガー王子があのミレイって娘と結婚するのに、セレナ様が邪魔になったからでしょ?」
勢いよく言い切る。だが、ヴァンはあっさりと首を振った。
「違うな。そもそも、今回の話は初っ端、依頼の段階から不自然だったんだ」
「えっ」
「考えてもみろよ。エドガーは王子なんだぞ? 一人の女を選ばなければならない理由なんてないんだ。聖女を正妻に据えたまま、本命の女を側室にでもすりゃあ済む話だろ。なのに、どうして、わざわざ大騒ぎして聖女を追放する必要がある?」
カナンが思わず言葉に詰まる。
ユリウスもレンズの奥の目を細めた。
「確かに。見落としていました。改めて考えてみると不思議です。何より、聖女を追放した結果、“女神の裁き”が起きてしまったわけですし」
「それだ!」
ヴァンは指を鳴らす。
「え、それ、って?」
「つまり、答えは逆なんだよ」
「逆って……? 何と何が?」
複数の空中スライドの中で、カナンの視線が迷子になる。
「さ、次だ」
「えっひどい! 待ってよ!」
「その1とも関わってくるからな。問題その2【聖女とは、そもそも何か?】」
ユリウスが即座に答えた。
「女神の加護を受け、治癒や結界といった様々な力を持つ特別な存在——それが一般的な定義ですが」
「ああ。教科書的にはな」
含みのある言い方だった。ヴァンは続ける。
「エドガー王子の発言には一切の嘘がなかった。そいつが聖女をどう評したか思い出してみろよ」
カナンはあの男、エドガーが口にする聖女の評価になど興味がなかった。
そこでカナンは、“聖女”という言葉が持つもう一つの側面について口にした。
「聖女って、身も心も美しく、何よりも自分の身を顧みずに、人々に尽くす、この国の象徴的存在だよね」
「ああ。まったく、たった一人の人間には余りに過剰な要求だよな」
カナンは聖女セレナ・アストレアの姿を思い浮かべる。
「セレナ様は本当にすごい人だったんだよ。自分を捨てた婚約者にも、婚約者を奪った親友にも、文句一つ言わなかった」
「カナン、お前はセレナ・アストレアを神格化し過ぎている。断言するぜ。人を恨まない人間なんて本来存在しないんだ。なら、そこには必ず何かがある」
カナンはセレナと直接対面し、一人の人として会ったつもりだった。
けれど、相手への憧れから、自分は本質が見えていなかったのかもしれない、と思い直した。
「つまり——聖女セレナ・アストレアは我々が考えるような人物ではない、と?」
聖女のスライドを拡大させながら、ユリウスが問う。
「その可能性もあるってことだ。じゃあ、次」
「待って待って!!」
置いてけぼりをくらったカナンが叫ぶ。ヴァンは相変わらず気にしない。
「問題その3【エドガー王子の不自然な発言はどうして生じた?】」
すると、ヴァンは突然話題を変えた。
「なぁ、お前らには俺がどんなヤツに見える?」
「どんな……って? だらしない男」
「他には?」
「飲んだくれ、仕事をサボる、すぐ調子に乗る、部屋を散らかす、金遣いが荒い、女性からモテない、ただ口が上手いだけ、実は意外と几帳面なところがあって鬱陶しい……」
「計画性がない、説明不足、言動が無駄に芝居がかっている、思いつきで行動する、周囲を振り回す、勤務態度は劣悪……」
無限に続くかと思われた二人のヴァンへの悪口が終わると、ヴァンは結論を述べた。
「だろ? ……そう、そのはずなんだよ」
ユリウスは追及せず、ただ、『会話でのミス』とエドガー王子のスライドに追加した。
ヴァンはすべてを言わない。だが、そこに“決定打になる何か”があることだけは、確かだった。
「さあ、問題その4【エドガー王子の目的は何か?】」
カナンが挙手し、すぐに口を開いた。
「はいはいはい! 侍女ミレイと結婚することでしょ?」
「……しかし、その点を今更掘り下げる必要がありますか? 結果として、エドガー王子は失脚しています」
淡々とした口調のまま、眉を寄せる。
「注目すべきは、あいつが“何度も口にしていた言葉”だ」
カナンが思い出そうと頭を拳で小突く。ユリウスが先に口を開いた。
「……真実の愛」
ヴァンは頷く。
「エドガーの行動は全部、その一点に収束している」
「それが腹立つの! 何、真実の愛って。っていうか、あいつ、そもそも浮気してるのに」
カナンの語調は強い。どこまでも聖女の味方でいたいカナンをヴァンは優しく見つめる。
「じゃ、いよいよ最後の問題。問題5【今回の件、全ての絵を描いたヤツがいる。そいつは誰か?】」
ヴァンは全ての疑問点を洗い出した。
知恵熱でも出たのか、カナンは大きく目を見開いたまま固まっていた。
「……ヴァン」
ユリウスが、静かにリザードテイルの長の名前を呼ぶ。
「なんだ?」
「お願いします。あなたの“眼”で見たものから、真実を導き出してください。こちらの準備は整っています」
「あっ、もしかして——」
カナンは二人の間に流れる空気を読み取ろうとするように、交互に視線を走らせる。
ヴァンはわずかに口元を緩めた。
「——いいね」
椅子の背にもたれ、ゆっくりと指を組む。
「じゃあ、やらせてもらうか」
そのまま目を閉じる。
カナンも、ユリウスも、もう何も言わない。
ヴァンが、誰にともなく呟く。
「そのしっぽ——」
思考が収束していく気配だけが、場を満たしていく。
「誰がために切れたのか」
その顔からは一切の感情が読み取れない。
ヴァンは言葉を紡ぐ。
「前提を整理する」
「国を支える二本の柱」
「聖女が愛する花」
「聖女は恨みを持たない」
「贈り物のネックレス」
「聖女追放のタイミング」
「聖女に名乗った俺」
「雷雨と加護の消失」
「民衆の認識誘導」
「エドガー王子の“真実の愛”」
「セドリック王子の頼りなさ」
「王室と民衆の意の一致」
「追放されるとは孤独になること」
「だとしたら……」
そして——
ヴァンが、目を開いた。
その瞳には、もう迷いはない。
「——よし」
ゆっくりと立ち上がる。
「行くぞ! あいつらの——“聖女の追放”のためにな」
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