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第10話 ヴァンは怒られ、聖女なき空は泣く

 追放劇の翌日。


 副ギルドマスター、グレン・ハルフォードの執務室には、重苦しい空気が満ちていた。

 いつも以上に分厚い書類が積まれた机の向こうで、グレンが腕を組んで座っている。

 そして、来客用のソファには落ち着かない様子のセドリック第二王子がいた。


 二人の沈黙を破り、執務室の扉が、何の遠慮もなく開かれる。


「よう、お呼び出しと聞いて……」


 いつも通りの足取りで入って来たヴァンだが、二歩目でぴたりと止まった。

 グレンの無言の圧とセドリックの沈んだ表情に、思わず回れ右をする。


「おいおい、帰るな」


 背中にグレンの声が投げかけられる。


「苦手なんだよ、こういう空気! 絶対怒られるじゃん! 嫌だもん! 怖いもん! 帰るもん!」


「よくわかってるじゃないか。ヴァン。早く来い」


 グレンは唸るような声で言った。ヴァンは観念したように手近な椅子へと腰を下ろした。


「セドリック様の依頼は覚えているな?」


「ああ」


 あっさりと頷いた。


「聖女追放を止めて、国家に平穏を——ってとこだろ」


 グレンのこめかみに、青い血管が浮き上がる。


「そうだ。で」


 机の上に指をとん、と打ちつける。


「お前たちのせいで、追放が早まった——そんな話を耳にしたが?」


 問いというより、結論を突きつける声音だった。言い逃れは許さない、という圧がある。


「ああ。そんなこともあったな」


 一切の弁明も言い訳もヴァンはしない。

 グレンはこめかみに手を当て、そのまま目を閉じる。


「……はぁ」


 深いため息には、怒りと呆れが混ざり合っている。

 セドリック王子が、グレンとヴァンの顔を交互に見ながら、動揺を隠しきれない様子で口を開いた。


「……これから、どうすればいいんでしょう……兄上は……何ということを……」


 言葉が続くにつれ、姿勢は崩れ、背中が徐々に丸まっていった。

 ヴァンはセドリック王子に半ば呆れつつ口を開く。


「前にも言ったが、あんたにとっちゃあチャンスだろ。第一王子が、聖女追放なんて大ポカをやったんだ」


 椅子の背に体重を預け、軽口を続ける。


「これで、あんたが王になる目も出てきた。“国家に平穏を”ってヤツは第二王子様自身の手で成し遂げるといい」


「——とんでもない!」


 セドリック王子は弾かれたように顔を上げる。


「兄上の方が、自分などより遥かに王にふさわしいのです!」


 先ほどまでの弱々しさが嘘のように、強い口調だった。

 ヴァンは片眉を上げる。


「帝王教育は、あんたも受けてきたんだろう?」


「それは……そうですが」


 セドリックは言葉に詰まり、しかしすぐに首を振った。


「私と兄上とでは資質が違うのです。私が国を統制するなど……そんなこと、考えたこともありません。この国は、兄上と……聖女セレナがいなければ、成り立たない」


 その言葉には、疑いがなかった。そして、次の瞬間、表情に苛立ちが滲む。


「……すべては、あの悪女のせいです」


 押し殺すように言った。


「兄上に取り入って、ああして常に傍に居座り、礼を欠いた態度ばかりで、聖女付きの侍女でありながら、ありえない行動をとり続けている」


 言葉が止まらない。

 ヴァンはそれを、特に遮ることもなく聞いていた。


 ——この期に及んでも、この王子には、まだ自分が王になる覚悟がない。


 だが、いつまでも、そうは言っていられないはずだ。本人が望むと望まざるとに関わらず、第二王子を次期国王にという動きは必ず起きる。

 事実、カナンの王宮への潜入調査ではセドリックを推す声も上がってきていた。

 ならば……。


「……で、だ」


 ヴァンを現実へ引き戻すように、グレンが口を開く。


「もう噂は回り始めてる」


 グレンは背後の窓を振り返る。


「城下だけじゃない。冒険者連中もざわついてる。商人もだ。聖女が追放されたって話は、あっという間に広がっている。加護がどうなるか分からねぇ。治癒も、結界も。何かあれば——真っ先に混乱が来るのは現場だ」


 その内容は重い。


「俺たちギルドは大打撃だ」


 セドリック王子は、ますます顔色を悪くする。

 ヴァンはそれを横目で見ながら、ふっと息を吐いた。


「俺の読みが正しければ、今回の件は、こんなところでは終わらない」


「おいおい……」


 グレンの声には、警戒と動揺が滲んでいた。


「まだ何か起こるっていうのか?」


 ヴァンは椅子に深く腰掛けたまま、天井を一瞬見上げ、それから視線を戻した。


「ああ。現状のままでは“説得力”に欠けている。おそらく、そいつを補う一撃が用意されているはずだ」


「え……?」


 セドリック王子は、まったく理解が追いついていない様子で目を瞬かせた。

 グレンは、じっとヴァンを見据える。


「……続けろ」


 ヴァンは、顔の横に両手を上げてみせた。


「さぁな、そいつはお楽しみってやつだな」


「なっ……! お願いします! 何か心当たりがあるのなら、おっしゃってください!」


 セドリック王子が思わず声を上げる。

 だが、ヴァンは答えなかった。

 答えの替わりとばかりに、ヴァンはセドリック王子を見据えた。 


「そういうところだよ。セドリック第二王子。あんたはすぐにそうやって他人に意見を求める。もしも、エドガー王子なら全てを自分で背負い、己に出来る最も正しい判断を下すだろうな」


「はい。私は兄上に劣ります。だからこそ、次期国王は——」


「——だからこそ、次期国王はあなたがふさわしいのですよ。セドリック殿下。自分に出来ないことは、他者に頭を下げて頼ることができる。それこそが何よりも素晴らしい王としての資質なのです」


 ヴァンの言葉に、セドリックは何も言うことができず、ただ固まった。

 グレンは小さく舌打ちをする。


「ほう。普段、周りに頼ってばかりの男は言うことが違うな。リザードテイルの団長様」


「ああ。俺も王にふさわしいってことだな」


 ヴァンはわざとらしく手を胸に当てると、立ち上がる。


「話は終わりだ」


「おい、ヴァン——」


 振り返りもせず、扉へ向かう。ヴァンは執務室を後にした。


 廊下に出たヴァンは、そのまま足を止めず歩き出す。

 毛足の長い絨毯が敷かれた廊下は、相変わらず靴音を飲み込んでいく。


 思考を、ゆっくりと整える。


 エドガー王子と、侍女ミレイ。あの二人は明らかに“先”を見ていた。

 ただ聖女を追放するだけではない。その“後”に何が起きるかまで、織り込み済みで動いている。


 ——ならば、自分たちのやるべきことは一つだ。これから起きる“何か”に対処することだ。


 ギルド本部をあとにする。

 ふいに、ヴァンは空を見上げる。

 まだ午前中だというのに空には雲が厚くたれこみ、まるで夕方のように暗くなり始めている。


 リザードテイルの事務所に戻ると、中ではすでに夜間用の魔導灯が稼働していた。


「遅いですよ、ヴァン」


 ユリウスが振り返ることもせずに言う。簡易魔法陣がいくつも浮かび、情報が整理されていた。

 そしてその奥では、カナンが椅子に座ったまま俯いている。


「あ、ヴァン……」


 いつもの勢いはない。拳は膝の上で固く握られていた。


「なんだ? カナン、まだしょげてるのか」


 顔は上がらない。


「だって……、わたし、また、やっちゃったし……、セレナ様は本当に追放されちゃうし……、ヴァンはわたしのせいでギルドに呼び出されるし」


 ヴァンはブーツを脱ぎ捨て、冷却箱から炭酸ぶどうジュースの瓶を取り出しながら言う。


「最後のは適当に誤魔化したから心配するな。それに、夜会でお前がやったことは無意味じゃなかった。お前が暴れたおかげで、衛兵もかなり散った。第一王子を孤立させるのに、一羽のヨウムだけじゃ心許なかったからな」


「ああ、そうよね、ウィルドも活躍したのよね。良かった……」


 ——ウィルド? ヨウムの名前をヴァンは初めて耳にした。


 カナンはほっとしたように笑ったが、その表情はすぐに揺らいだ。


「……やっぱり、セレナ様を連れ戻しに行こうよ」


 力なくカナンは立ち上がった。


「今からでも間に合うかもしれないし――」


「無意味ですね」


 間髪入れず、魔法陣を操作したまま、ユリウスが切り捨てた。


「聖女の追放は既に成立しています。例え連れ戻したとしても、また改めて追放されるだけです」


「……で、でも!」


「今の僕たちにできることはありません」


 カナンは言葉を詰まらせた。ヴァンは、そのやり取りを横目で見ながら、ゆっくり口を開く。


「ユリウスの言う通りだ、カナン。今はただ静観することしかできない。聖女が追放されたこの国に何が起きるのかを」


 カナンは、戸惑いながら問う。


「……何が起きるっていうの?」


 ヴァンは窓の外に目をやった。


「なに、そう時間はかからないはずだ。俺の読みが当たっているなら——」


 ——轟音が鳴り響いた。


 建物全体を揺らすような、激しい雷鳴が響き渡る。

 窓ガラスがびりびりと震え、空気が一変した。


「っ!?」


 カナンが思わず身をすくめる。ユリウスの目が鋭く細められた。


「……雷ですね。それ以上でもそれ以下でもない、ただの雷です。ですが、距離が近い」


 ユリウスが新しいスライドを空中に立ち上げる。


 激しい雨が降り出した。

 女神の加護によって守られているとされるこの国では、長年降ることがなかった豪雨だった。


 誰もが忘れたわけではなかった。

 女神の加護を受けているとされる人物はたった一人で、その人物、聖女セレナ・アストレアはもうこの国のどこにもいないことを。


「なに!? 何が起きているの……!?」


 あれほど衛兵たちを蹴散らしていたカナンが、今はすっかり怯えきっている。


 ヴァンはゆっくりと窓へ歩み寄る。

 黒い雲が渦を巻き、空そのものが歪んでいるように見える。


 その光景を一瞥して、ヴァンは不敵な笑みを浮かべた。


「始まったな」




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