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第9話 追放の夜、その舞台裏でヨウムは羽ばたく

 夜会の余韻が、ゆっくりと城の中から引いていく。


 つい先ほどまでざわめきで満ちていた王城大広間も、今はすでに静けさを取り戻しつつあった。灯りだけが名残のように揺れている。


 慌ただしいのは、王城の周辺だけだった。


 衛兵たちは、先ほどの夜会で騒ぎを起こしたカナンとユリウスの行方を追っていたが、当の二人はとっくに王城を離れ、逃げおおせていた。


 白い回廊には足音だけが響く。


 エドガー第一王子は、捜索隊に人員を割かれたせいで少なくなった護衛を伴い、大広間のある塔から自らの私室へと続く回廊を進んでいた。


 ——そのときだった。


「エドガー、バーカバーカ!」


 甲高い声が、静寂を裂いた。護衛の一人が即座に反応する。


「何者だ!」


 護衛たちは知る由もないが、その声の主は、人ではなかった。

 回廊の外壁の石の張り出し部分、回廊の中からは見えない場所に一羽のヨウムがとまっている。

 灰色の羽をわずかに膨らませ、回廊を見下ろしていた。その黒い瞳が、どこか人を小馬鹿にするように光る。


 曲者を探そうと護衛たちが一歩踏み出す。

 その瞬間、ヨウムは羽をばさりと広げた。


「エドガー、ツイホー! バーカバーカ!」


 挑発するように叫びながら、回廊の上を飛び回る。


「探せ!」


 護衛が駆け出す。

 ヨウムは速度を抑え、振り返るように旋回しながら、さらに奥の回廊へと護衛たちを誘う。


「バーカバーカ! ツイホー!」


 そのまま、城の奥へと消えていった。護衛たちの足音もやがて遠ざかる。


 回廊には、エドガー王子一人が残された。

 わずかに眉を寄せたが、それ以上気にする様子もなく、再び歩き出す。規則正しい足音が、石床に響く。


 その数歩先——


「さっきの演説、随分、堂に入っていましたね」


 不意に、物陰から声がした。エドガー王子はぴたりと足を止める。


 視線を声のした方向へと向けた。薄暗い柱の陰から、一人の男が姿を現す。


 夜会用の黒の礼装に身を包み、白いシャツと細身のタイを無造作に着こなしている。肩までの黒髪も、手櫛で流したように軽く整えられていた。


 エドガー王子の視線が鋭くなる。


「お前は誰だ?」


 短く、警戒を含んだ声だった。

 男——ヴァンは、わずかに口元を緩める。


「ヴァン・サンライト。肩書は一応、冒険者ギルド特別顧問。王子様にお会いできて光栄です。今夜はちょっとした伝手があって、リバース・フェスティバルに参加させていただいた」


 敬意を払っているようでいて、どこか崩れた妙な口調だった。エドガーの視線が、細められる。


「……セドリックの差し金か。あいつめ、余計なことをして。なるほど。あのおかしなメイドもそういうことか。それで、お前はその仲間の鑑定士といったところか」


 ヴァンの眉尻がぴくりと動く。


「ほう。婚約者を捨てて、その侍女を選ぶようなお方にしてはなかなかに優秀じゃありませんか。分かっているなら話が早い。少々、お時間をいただけますか? 内容は大体、想像がつくと思うが」


 エドガーは無言で周囲を一瞥した。

 既に人の気配はない。だが、それでもなお声を落とす。


「……ここでは話せない。私の部屋へ来い」


「いきなり私室にご招待か? さすがはお盛んな王子様ですね」


「お前の仲間の女は有無を言わさず押し入って来たが?」


「……返す言葉もないな」


 エドガーは踵を返す。ヴァンはその背を追った。

 塔を移り、幾つかの回廊を抜ける。重厚な扉の前で、エドガーが足を止めた。

 扉が開かれる。


 広く整えられた私室は、王族の部屋でありながら、どこか質実な印象を残す空間だった。

 エドガーは、あたりを確認してから扉を閉めて鍵をかける。振り返ると、ヴァンは既に勝手に椅子に踏ん反りかえっていた。


「聖女の件だな」


 静かに口を開く。ヴァンは、アームレストに片肘をついたまま頷いた。


「世間でのあんたの評判はこうだ。元々は賢く優秀な王子だった。しかし、ミレイという希代の悪女に惑わされ、婚約者である聖女を追放するという愚かな判断をした。明日の聖都新聞にはそう書かれるんじゃないか?」


 もはや敬語は影も形もなかった。


「なんとでも言うがいい。繰り返すが、私は立場よりも、真実の愛を優先したいだけだ」


 迷いのない声音だった。

 ヴァンはしばらく何も言わず、ただエドガーを見ていた。

 まるで、言葉ではなく“何か別のもの”を測っているかのように。


「妙なんだよな」


 ヴァンはわざとらしく首を傾げる。


「俺の中で、あんたという人間の評価が定まらない。あんたは無能な王子なのか。それとも、何かがあるのか。——ただ、一つだけ確かなことがある」


「ふむ」


「さっきの演説といい、今こうして話していても——あんたの言葉や態度からは、一切の嘘が見えない」


「当然だ」


 即答だった。エドガーはヴァンから一瞬たりとも目を逸らさない。


「私は王子として、虚言を用いることはない」


 その響きには、揺らぎがない。


「なら、本当に、本心から聖女を追放する、つもりなんだな?」


「そう宣言したはずだ」


「お前は国がどうなってもいいのか?」


 ヴァンの問いは鋭く、真っ直ぐに投げられた。


「——国か個人のどちらかしか救えないとしたらお前はどうする?」


 エドガーは怯むことなく問いを返す。


「その手の問答には興味がないな。俺なら全てを救えるように、前提を変える」


「気が合うな。私もそのつもりだ」


「本当にあんたにそれが出来るのか? 取りこぼしてしまうものはないか、今一度考えてみろよ」


「それは……」


 空気が張り詰め、視線だけがぶつかり合う。

 やがて、ヴァンがふっと息を吐いた。

 立ち上がると、くるりと踵を返す。


「用は済んだか?」


 エドガーの声が背中にかかる。ヴァンは振り返らず、軽く手を振った。


「まあな」


 勝手に鍵を開けると、そのまま部屋を後にする。扉が閉まる音が響いた。


 廊下に出た瞬間だった。


「——あなたは?」


 不意に、声がかかる。視線の先に、誰かがいた。

 侍女のミレイ・ベルノア。希代の悪女と呼ばれる女性だ。


 ミレイは一歩も動かない。ただ、まっすぐにヴァンを見据えている。

 そこには、聖女の侍女という立場にありながら、その聖女から婚約者の座を奪い取った者の余裕——などというものは微塵も感じられなかった。


 その瞳に宿るものは、感情というよりも——確固たる意思だった。


「……誰だか知らないけれど」


 その声音は刺々しい。


「私たちの邪魔をするなら、容赦はしない」


「怖いな」


 ヴァンは苦笑する。


「安心してくれ。俺の本来の業務は、追放を円滑に進めることなんだぜ」


 ミレイは何も答えない。

 表情ひとつ動かさず、そのまま歩き去る。


 その姿が見えなくなったのを確認して、ヴァンも歩き出す。

 得られた手がかりは想像以上に大きかった。


「……なるほどね。“聖女の追放”、か」




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