第8話 美しき聖女は、真実の愛を知ったという王子から追放を宣言される(やっと)
「すごい……」
カナンは思わず口に出してしまった。直後、この場所が何のために用意されたのかを思い出して自分を恥じる。
王城大広間は、まるで光そのものを編み上げたかのような空間だった。
白と金を基調とした装飾が天井から壁面まで余すところなく施され、無数の燭台と魔導灯が柔らかな輝きを放っている。
楽団が奏でる華やかな旋律に合わせて、貴族たちが優雅に舞い、笑い声とグラスの触れ合う音が絶え間なく響く。
——再生と祝福の夜会。
名目として掲げられているのは、国の安定と繁栄を祝うための宴だ。だが、その華やかさの奥に、どこか拭いきれない緊張感が滲んでいた。
談笑する貴族たちの声はわずかに抑えられ、視線は時折、ある一点へと吸い寄せられる。そしてすぐに逸らされる。その繰り返しだ。
この場にいる全員が、何かが起こることを、すでに知っている。
そして、その“何か”を最も恐れている者がいた。
セドリック第二王子は、大広間を見渡す二階回廊から、落ち着かない様子で兄を見ていた。
兄であるエドガー第一王子の傍には一人の女性が控えている。本来、婚約者である聖女セレナがいるべきその場所に、一介の侍女であるミレイ・ベルノアが妖しく微笑んでいた。
その異様な光景に、セドリックは目を背けたくなる。
広間の中央、ひときわ明るく照らされたその場所に、聖女セレナは立っていた。
純白のドレスに身を包み、静かに佇むその姿は、誰が見ても疑いようのない“象徴”だった。彼女を見るだけで、自然と背筋が伸びる。そんな存在感がある。
だが、本来であれば、誰もが進んで言葉を交わしに来るはずの位置にもかかわらず、一定の距離を保ったまま、誰も踏み込まない。近づく者も、どこかよそよそしく、長くは留まらない。
まるでそこに触れてはいけない何かがあるかのように。
「……なんか、いやな感じ」
カナンが呟いた。
紺色のシンプルなドレスに身を包んだその姿は、普段の気取らない姿とは打って変わり、驚くほど柔らかい印象だ。無駄のない体つきがそのままラインに出て、かえって凛とした美しさを際立たせていた。
とはいえ、本人にそんな自覚はまったくない。
落ち着かない様子で周囲を見回しながら、“何か”が起きたときに守れるようセレナの少し後ろに控えている。
ヴァンとユリウスも、パーティーの客としてどこかに紛れ込んでいる。
カナンはセレナの視線の先を追った。
エドガー第一王子とそのすぐ後ろ、侍女ミレイの姿があった。
カナンはセレナの言葉を思い出していた。
セレナは自分の居場所を奪った相手を親友であると言いきった。
その言葉の通り、ミレイを見るセレナの表情はどこまでも優しい。
周囲では、控えめな声での会話が続いている。
「最近ずっとあの侍女、殿下の側に——」
「やはり、そういうことなのか……」
「だとすれば、今日のこれは……」
断片的な言葉が、空気に混ざっては消えていく。
聖女は、変わらず静かに立っている。すべてを理解しているようにも見え、その横顔は、あまりにも穏やかだった。
そのとき、音楽が止まった。
ざわめきが収まり、視線が一方向へと集まっていく。
エドガー第一王子が、広間の中央へと歩み出る。その背後に、ぴたりと寄り添うようにミレイが控えた。
ゆっくりと周囲を見渡し、エドガー第一王子は口を開く。
「本日は、特別な夜だ」
その声はよく通り、広間の隅々まで届いた。
「皆に伝えるべきことがある」
静寂が落ちた。
エドガーは一度、息を吸い——そして、高らかに告げた。
「第一王子エドガー・ランドルフの名において宣言する。私は聖女セレナ・アストレアとの婚約を破棄する!」
広間に、その言葉が響き渡る。
「私は、真実の愛の為に生きると決めた!」
周囲の視線が、エドガーの隣りにいるミレイへと集まる。
「彼女の名はミレイ・ベルノア。私に、愛することとはどういうことかを教えてくれた素晴らしい女性だ!」
どよめきが広がる。
「やはり……」
「そういうことか」
「あの侍女と……」
半ば確信めいた空気が、広間を満たしていく。
——あの二人は、そういう関係なのだ。誰もが、そう理解した。
「これまでの私は、間違っていた。この国もだ。変えるなら、今しかない」
その声音には、迷いがなかった。
「断言しよう。聖女が語る“女神の加護”なぞ、まやかしに過ぎない。そこにいるのは聖女などではない。ただ一人の女だ」
時が止まったかのようだった。
「よって——」
エドガー第一王子の視線が、まっすぐにセレナを射抜く。
「彼女を、セレナ・アストレアをこの国から追放する!!」
客人たちの視線が、自然とセレナへと移る。
聖女は、笑うでもなく、泣くでもなく、エドガー第一王子へと向き直ってまっすぐに立っていた。
「……承知いたしました」
澄んだ声が、静かに響く。
周囲のざわめきが、更に大きくなる。
「私はいついかなるときも殿下のお望みを受け入れます」
抵抗はない。戸惑いも怒りも、何一つ表に出さず、ただ受け入れている。
その姿はあまりにも穏やかで、むしろ覚悟を決めたような落ち着きがあった。
「ふざけないで!!」
空気を裂いたのは、カナンの声だった。
セレナを守るように、一歩前に出る。
「セレナ様を追放なんて、そんなの、許さない!」
カナンに客人たちの視線が一斉に集まる。
衛兵が動き出す。
彼らの動きに迷いはない。最初から決まっていたかのように、数人が素早く間合いを詰め、カナンを取り囲もうとする。
既に「狂乱の戦鬼」としてマークされているため、当然と言えば当然の成り行きだった。
カナンはそれでも続ける。
「“最強の冒険者パーティの特徴が何か、わかるか?”」
カナンによって、唐突に投げかけられた、その問いに、衛兵たちの動きがわずかに止まる。
それは、カナン本人がいつか誰かに言われた大切な言葉だった。
カナンはゆっくりとなぞるように語る。
「“頼りになるリーダーがいる? 強力な魔法使いがいる? 連携が取れている? どれも不十分だ。答えは一つ。いろんなヤツがいることだ”……だからこそ、わたしは、この国からセレナ様を追放なんてさせない!」
聖女だけではなく会場中を見回してカナンは言った。
気付くと、周囲はカナンの語りに聞き入っている。
……あの軽薄団長の言葉はこういうときに強い。と、カナンは苦笑した。
「“いろんなヤツがいること”、か。……ふむ、至言だな。しかし、それ故に、私は、この国から聖女を追放するのだ」
そう返したのは、エドガー王子だった。
何が、“それ故に”なのかはカナンにはわからない。
それでも、セレナの為にカナンは諦めない。
「昔のわたしは強さがすべてだって思っていた。強くなって強くなって、そしたら、わたしが皆を守れる、皆がわたしを認めてくれるって。でも、そうじゃなかった。気付くと、わたしはひとりぼっちになっていた。……だから、わたしはひとりぼっちでも、頑張っている人の味方になるんだって。そう、決めたの!」
「……そう、話はそれだけ? なら、もういいわ」
ミレイがそう言うと、カナンとセレナを囲む衛兵が今度こそ取り押さえようとしてくる。
たとえ、国中と戦うことになろうとも構わない。カナンはそう覚悟を決めた。
——そのときだった。
「下がりなさい!」
低く凛とした声が、割り込んだ。
誰かが、カナンの腕を掴んでいた。
カナンが相手の姿を見ると、そこには青いドレスに銀髪が映える女優と見紛うほどの麗人がいた。
「お嬢さん、あなたがここで暴れれば、セレナ様の立場がさらに悪くなります。追放だけでは済まないかもしれません」
麗人はそう告げる。
「……っ」
カナンの拳が強く握られる。
怒りは消えていない。納得もしていない。だが——理解はできてしまう。
自分が暴れれば、状況は悪化する。
歯を食いしばりながら、カナンは足を止めた。
麗人は、今度は、衛兵へ向かって視線を動かす。
「この場は公式な夜会です。武力行使は適切ではありません」
その毅然とした態度に、衛兵たちの動きが鈍る。
「加えて、聖女の地位剥奪はまだ正式な手続きが完了していないはずです」
続けて、静かに指摘する。
「ここでの強制排除は、殿下のご決断を、感情的なものに見せるリスクがあります」
最後に、エドガー第一王子を一瞥した。
衛兵たちは沈黙し、互いに顔を見合わせながら動きを止めた。
麗人は何事もなかったかのように、口を開く。
「お嬢さん、私たちは退場しましょう」
「……ゴメンね、わたしまた熱くなって。ありがとね……ユリウス」
カナンは、女性の姿に扮したユリウスに、小声で礼を告げた。
ユリウスに腕を取られながら、カナンは侍女ミレイを振り返る。
ミレイは、わずかに口元を歪めていた。勝ち誇るような笑み、少なくとも、カナンにはそう見えた。
「何ということだ……」
二階回廊から一部始終を見ていたセドリック第二王子は、絶望に呑まれ、その場に膝から崩れ落ちた。
無事にパーティーから抜け出した後、カナンは、一つ、疑問を口にした。
「あれ? ここにいるのはユリウスだけなのよね? ヴァンはどこにいるの?」
リザードテイルの情報解析を担当するユリウスはすぐさまカナンの疑問に応じた。
「……さぁ?」
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