第7話 たとえ聖女がいなくても
王都外縁、旧礼拝区画の奥。
蔦に覆われた石の回廊の先、小さな泉が月光を映して揺れている。
人の気配はない。回廊は外からの視線を遮るように配置され、出入りできる経路も限られている。
「いい場所だな。密談向きだ」
ヴァンが楽しそうに言う。
「なんか……かえって落ち着かないんだけど……」
カナンが小声でつぶやく。
「侵入経路は北側に一箇所。完全ではありませんが、条件は良好です」
ユリウスは端末を指で操作しつつ、視線だけで周囲をなぞる。
その先、泉のほとりに、一つの影があった。
フードで全身を覆っている。だが、その凛とした佇まいまでは隠しきれない。
一目で、今宵会う相手であると、三人は確信した。
「……彼女、だな」
ヴァンが言い、先頭に立つ。三人はそのまま距離を詰めた。
影がゆっくりとこちらを振り返り、フードが下ろされる。
そこにいたのは——国のために尽くしたにも関わらず、今まさに追放されようとしている、聖女セレナ・アストレアその人だった。
「来てくださって、ありがとうございます」
柔らかな声とともに、聖女セレナが微笑む。
視線が順に三人をなぞり、最後にカナンのもとで留まった。
「お久しぶりです、カナンさん」
「セレナ様……!」
カナンが声が感動に震える。
「この前は、本当にありがとうございました。庇ってもらわなかったら、私……」
言い切る前に頭を下げる。聖女は小さく首を振った。
「いいえ。カナンさんは私の為に怒ってくださったのでしょう?」
カナンの表情が緩む。涙ぐんでいるようにすら見えた。
「カナンが面倒かけたな。本当に助かった。あんたが掛け合ってくれなきゃ厄介なことになってた」
ヴァンの言葉に聖女は微笑んだ。
「私の方こそ、カナンさんには救われました。ああ、失礼しました。私はセレナ・アストレアと申します。聖女をしています……今はまだ」
「ご存知でしょうが、わたしはカナン・ハンマーです。格闘家……みたいな」
「僕はユリウス・メトリカ。魔法使い……でしょうか」
「俺はヴァン・サンライトだ。そうだな、まぁ、鑑定士……のようなものだ」
全員の曖昧な自己紹介が終わり、聖女が改めて口を開く。
「今日は、お話ししたいことがあって、皆様をお呼びしました」
聖女は一度、泉の水面へと視線を落とす。反射する月光が、彼女の表情を曖昧にした。
ヴァンが頷き、先を促す。
「この国について、です。エドガー様がいて、……聖女としての私がいて、この国は安定している。そう思っていました。ですが、ある方がそれはこの国の歪みであるとおっしゃいました」
「“歪み”ねぇ」
ヴァンが呟く。
「なるほど。その主張は、おそらくはこういうことでしょう」
ユリウスが、目を細める。
「この国は個人に機能を集中させすぎた結果、全体の安定性が損なわれている。実際、国民は皆、エドガー王子、そして、あなたに頼り切っていると言っても過言ではありません。それは事実であり、その分析は、データに即しています」
その声音は、感情を含まない。ただ、現象を整理するだけのものだった。
カナンは潜入中に耳にしたメイドたちの言葉を思い出した。自分を含め、この国の人々の聖女への依存度は、異常なのかもしれない。
「まぁ、そういう国は長持ちしないだろうな。二本しかない柱が一本折れたら、そのまま全部倒れる」
自国のことだというのに、ヴァンはどこか他人事のように言う。
聖女は、三人に向かってゆっくりと頷いた。
「……ええ。私は、そのことが、恐ろしいのです」
その一言には、迷いが滲んでいた。
カナンが、じっと聖女の顔を見つめる。
先ほどまでの柔らかな空気とは違う、どこか踏み込んではいけない領域に触れたような感覚があった。
聖女は、水面に視線を逃がした。自分を落ち着かせるように、息を整える。
「もし、私がいなくなったら」
その言い方は、あくまで仮定の形を取っていた。
だが、三人とも、それが現実に限りなく近い話だと分かっている。
「この国は、どうなるのかと考えていました」
決して明るくは無い場所だというのに、聖女の表情が悲壮感に満ちていることが分かる。
「セレナ様……」
名前を呼ぶ以外、カナンはなんと声を掛けていいか分からない。
「私にとって最も大きな役目は“結界”を維持することでした。大きな魔物がこの国に立ち入ることのないよう、日々、手を施していました。そして、“鎮災”です。長雨や日照り、嵐といった災いが起こらぬよう、祈祷をしていました。また、傷付いた方や病に苦しむ方への“治癒”を行い、少しでも皆さまのお心が安らげばと、週に一度、人々の前で女神のお言葉をお伝えする“講話”をさせていただいていました。……それらも、もう、出来なくなってしまうのですね」
カナンはゾッとした。
聖女が追放されて、それらが失われることに、ではない。
目の前の華奢な女性がたった一人で、それだけのことを背負っていたという事実に、だ。
本人は口にしなかったが、彼女は紛れもなく、この国の象徴でもあるのだ。
聖女は、三人を順に見渡した。
「……皆さんはどう思われますか」
間を置いて、問いかける。
「私が追放されたら――この国は、どうなると」
空気が張り詰めた。
「荒れるに決まってるでしょ!」
カナンが、ほとんど間を置かずに言い切る。
「だって、守ってもらってたものが全部とっぱらわれちゃうんだよ!? そんなの、持つわけないじゃん!」
「社会不安の増大、統治機構の機能不全——いずれにせよ、現状維持は不可能でしょう」
ユリウスが補足する。
「まあ、普通に大混乱だろうな」
ヴァンがあっさりと言う。
聖女の美しい顔に、動揺が走る。
赦のない未来を改めて突きつけられたからだろう。
声を上げたのはカナンだった。
「……だったら!」
ぐっと拳を握る。
「だったら、わたしが追放なんてさせない! そんなの、絶対に止める!」
まっすぐな声だった。
「いや? 別に、追放されても大丈夫だろ」
ヴァンが、何でもないことのように言った。
「……は?」
カナンが目を見開く。聖女も息を呑んだ。
ヴァンは気にした様子もなく、続ける。
「こういう話、前にも何度かあったんだよ。自分が抜けた後のパーティがどうなるか、って心配するヤツ」
指をひとつ立てる。
「大体みんな、同じことを言う。自分がいないと回らない、崩れる、ってな。自分をリーダーや中心人物だと思っているようなヤツだと特にそうだ。まぁ、実際に、五人パーティから一人の治癒術師が抜けて、エラいことになった話もあった」
立てた人差し指をぐるぐると回し、そのあと弾けたかのようにぱっと手のひらを広げる。
「じゃあ、やっぱりダメじゃん!」
カナンが食ってかかる。
「ただし、それは数人のパーティの話だ」
ヴァンは視線を、まっすぐ聖女へ向ける。
「あんたの場合は違う。対象が、国民全員だ。1対4じゃない。1対何百万、いや何千万だ。さすがに何千万の方で何とかするだろう。いや、しなくちゃいけない」
まるで何でもないことのように言い切る。
「だから大丈夫だ。いざとなったら安心して追放されてくれ」
水面が揺れた。
「あんたは十分にこの国に貢献したはずだろ。聖女って役割から自由になった後の隠居生活を夢見たって、誰も責めはしないさ」
「……ヴァン、我々への依頼はエドガー王子の考えを変え、聖女の追放を止めること、だったはずですが」
「あっはっは! まぁ、やるだけやってダメだったらサクッと諦めようぜ」
聖女は、目を瞬かせ、言葉を失っていた。
やがて、ゆっくりと息を吐く。
張りつめていた肩の力が、わずかに抜けたかのようだ。
「……そういう考え方も、あるのですね」
穏やかな、しかし、はっきりとした声だった。
先ほどまでの不安が、完全ではないにせよ、確かに和らいでいる。
「ありがとうございます。……私は思い上がっていたのかもしれませんね」
そう告げると、聖女は再び三人を見据えた。
「明日の夜、エドガー王子がパーティを開きます。貴族や関係者を広く招いた、大規模なものになるそうです」
ヴァンたちは顔を見合わせる。
——これは、ついに、アレが起こるのではないか。
確信に近い予感を三人が同時に抱く。
「ええ。おそらく、そこで私は、追放されます」
それは予感ではなく、静かな断定だった。
「……なるほどね」
ヴァンが顎をさする。
「舞台は用意済み、ってわけか」
ユリウスはすでに視線を手元の端末に落とし、過去データから出席者予想を行っている。
聖女は、カナンの方へと向き直った。
「カナンさん」
「は、はい!」
「もしよろしければ、私付きのメイドとして、パーティに来ていただけませんか」
「い、行く! 行きます!」
カナンが即答する。迷いは一切なかった。
聖女は、目を細める。
「……ありがとうございます!」
「決まったな」
ヴァンがパンッとひとつ手を叩く。
聖女は、もう一度だけ三人を見渡す。
その表情には、先ほどまでの迷いはない。
代わりに、静かな覚悟が宿っていた。
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