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第3話 見習いメイドはゴミと噂を拾う

 王宮の廊下は、磨き上げられた床が足音を柔らかく返し、壁に並ぶ著名な画家による装飾や絵画が、ここが特別な場所であることを否応なく示している。


「ちょっと、あなた!」


「はいっ!?」


 カナンの肩がびくりと跳ねる。

 振り返ると、そこには腕を組んだ女性が立っていた。

 メイド長だ。アイロンがぴしりとかかった制服を身に着け、背筋はすっと伸びている。年の頃は三十前後。


「あなたの、その歩き方は何ですか!」


「え、あ、いや……普通に……」


「王宮のメイドとしての自覚はありますか?」


「えっ、あっ、はい。あります」


 本当はそんなものは一切ない。カナンはヴァンとユリウスに無理やり送り込まれただけなのだから。


「なら、なぜそんなに大股で歩くのですか。姿勢、歩幅、視線。王宮のメイドであり、全てが“見られる側”であるという自覚を持ちなさい」


「すみま……、いえ、申し訳ございません」


「今後、聖女セレナ様付きの仕事を任されることもあるのです。今のままでは話になりません」


「えっ、セレナ様の!?」


 思わず顔を上げたカナンを、メイド長がじろりと見る。


「……ずいぶん嬉しそうですね」


「い、いえ、あの、その……歴代最高の聖女様だって聞いていたので……」


「憧れるのは結構です。ですが、浮ついた見習いを近づけるほど、王宮は甘くありません」


 メイド長がため息を吐く。


「セドリック第二王子殿下は、どういうおつもりなのかしら。こんな妙な娘をメイドとして雇えだなんて」


 じろり、とカナンを見下ろす。

 しゅん、とカナンはうな垂れる。


 カナンにとって、地獄の一週間だった。


 生活力皆無のヴァンとユリウスを支えるため、カナンの家事スキルは他のメイドと比較しても高い。

 だが、王宮のメイドに求められるのは、家事の腕だけではないらしい。

 良く言えば細かいことを気にしない、悪く言えば大雑把なカナンの流儀は、この場所と最悪の相性だった。


「見習いの内は、せめて静かにしていてくださると助かるのですけれど」


「品というものは、教わってすぐ身につくものではありませんものね」


 カナンに聞こえないと思っているのか、聞こえてもいいと思っているのか、先輩のメイドたちの嘲笑が聞こえてくる。

 誰とでもすぐ打ち解けられる快活さがカナンの取り柄だったが、王宮では、その取り柄がまるで通じなかった。


 このままでは、王宮に潜り込んだ意味がまるでなかった。


 そんなある日の朝のこと。

 カナンはいつものように広すぎる廊下で掃除をしていた。廊下を曲がった先が、妙に騒がしい。


「いいか? 彼女に先に声を掛けていたのは俺だ」


「君は女性の心というものを全くわかっていないようだ」


 覗いてみると、若い騎士が二人、一人のメイドを挟んで睨み合っている。

 当のメイドは、どうしていいかわからず立ち尽くしていた。


 次の瞬間、一人が相手の騎士の肩を突き飛ばす。


 よろけた騎士の背後には、巨大な甲冑飾りがあった。騎士の体がぶつかり、台座ごと倒れかける。

 甲冑がメイドの身体を押しつぶそうと迫ったそのときだった。


「はあっ!!」


 ——ゴワン!!

 鈍い音が響く。


 カナンは若いメイドの腰を引き寄せ、そのまま騎士の体を反対側の手で押し返した。

 傾いた甲冑飾りが背中にのしかかっている。カナンは歯を食いしばり、そのままぐっと踏ん張っていた。


 廊下が静まり返る。


 カナンはメイドの腰を離してから、甲冑を正位置に戻す。乱れた息をひとつ吐き、背中の埃を払った。


「申し訳ございません。すぐ持ち場へ参ります」


 そう告げると、カナンは振り返り、メイドとしての仕事へと戻っていった。


 その日のうちに、朝の騒ぎは王宮中に、あっという間に広まっていた。


 夜になり、カナンはようやく仕事を終える。いつも通り、どのメイドよりも遅く一人きりで食事を摂ろうと向かった食堂には、大勢のメイドが待っていた。


「あなたすごいわ……!」


 今朝のメイドが駆け寄ってくる。こうして見ると、たしかに二人の騎士が言い合いになるのもわからなくはない、人目を引く容姿の子だった。


「新人の……カナンさん、よね? ありがとう! 今朝はお礼を言えなくて」


「いえ、あれくらい大したことでは」


 カナンは少し照れくさそうに笑った。


「……あの、お願いがあるのだけれど、カナンお姉さま、って呼んでもよろしいかしら?」


「お、お姉さま!?」


 頬を赤らめて、そう訴える彼女に驚き、カナンは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。


「ちょうどよかったわ。あなたも一緒にお話ししてくださらない?」


 別のメイドが声をかけてくる。


 視線の先には、小さな丸テーブルがあり、焼き菓子や紅茶が並べられている。


「国王陛下たちのティータイムが終わってね。残りで私たちも一息つこうってところなの」


「ありがとうございます!」


 カナンは素直に席に加わった。

 紅茶を受け取り、一口飲む。

 美味しすぎる。

 カナンのリザードテイルで支給される賃金では到底手が出る代物ではない。


 そばかすと三つ編みが愛らしいメイドが口を開いた。


「それでさ、聞いた?」

「聞いた聞いた。エドガー第一王子の話でしょ?」


 思わずカナンの手が止まる。


「ほら、最近よく一緒に見かけるって言うじゃない」

「聖女様じゃなくて、あの侍女と」

「ええ、聖女様の侍女のミレイ・ベルノア」

「えっ、そんなことが?」


 カナンは驚いたフリをしながら、先を促す。


「そうなのよ。でも、びっくりよね。あの王子が」


「ほんと。あんなに優しくて、賢くて、立派な方だったのに」


「最近、ちょっと変わったっていうか……」


「恋に夢中で、周りが見えなくなってる感じ?」


「それそれ」


 メイドたちも第一王子エドガーの変化を敏感に感じ取っているようだ。


「エドガー様があんな人だとは思わなかったわ。あれなら、後継ぎはセドリック様の方がずっといいわ」


「わかる。セドリック様はどこか頼りないけど、間違いなく誠実そうだもん」


 カナンの受けた印象と相違ない。どうやら、話は王位継承についてまで飛び火しているようだった。


「でも、変よね。元々は聖女様と仲が良かったはずなのにね」


「侍女のあの子が、聖女様からエドガー様を奪っちゃったってことでしょ」


「怖ーい。略奪愛だ」


 カナンは黙って聞き続ける。


「でも、仕事はできるのよねぇ、あの子」


「うん、すごく。聖女のセレナ様も頼りにしてた」


「だけど、元々、嫌な感じだったよね?」


「あー……ね」


「そうそう。私たちの仕事ぶりにも厳しかったよね。紅茶の銘柄を間違えただけですぐに怒ったり」


「自分がしごでき過ぎるから、人の心が分かんないのよ」


「それそれ」


 カナンの眉が動く。


「でも、聖女様とは仲良かったんでしょ?」


 別のメイドが言う。


「そうそう。親友みたいだったわよ」


「いつも一緒にいたしね」


「でも、今は、ね……」


「聖女様、本当におかわいそう。親友と婚約者に同時に裏切られるなんて……」


 最初はスキャンダルを面白がっていたメイドたちも、聖女の話になると、まるで自分たちのことのように沈んでしまう。どうやら、聖女は彼女たちにかなり慕われていたらしい。


 聖女のファンであるカナンにも、その気持ちはよくわかった。



 翌日からは、今までとは別の意味で辛い日々が始まった。


「カナンお姉さま、今日の髪のまとめ方も素敵ですわ。私も真似してもよろしいかしら?」


「お姉さま、これ、お昼にどうぞ。焼き菓子、取っておいたんです」


「カナンお姉さまは騎士よりも頼もしい。憧れの方ですわ」


 カナンと目が合う度に、頬を赤らめたメイドたちが声をかけてくる。

 聖女や王子の話を聞くどころではなかった。


 そんなある日。メイド長が、腕を組んで立っていた。


「カナンさん、人気があるのは結構ですが、仕事が残っていることを忘れているわけではありませんよね?」


「い、いえ……!」


 周囲のメイド達は慌ただしく整列し、つられたカナンも背筋を伸ばす。

 メイド長は一同を見回し、軽くため息を吐いた。


「あなたに一つ、仕事をお願いしようと思います。カナンさん、今すぐ、庭に向かってください」


 緊急の用件だろうか、メイド長は妙に急かしている。


「庭、ですか? 力仕事でしょうか」


「……そうです。庭師から応援の要請が来ています」


 まるで、たった今思い付いたかのような言い方は気になったが、カナンは頷いた。


「では、任せます。場所は東庭。温室区画の奥です。……くれぐれもお相手に失礼のないように」


 お相手って、庭師のこと? 応援なのに失礼って?

 何だか意味深な言い回しだとカナンは思ったが、余計なことは聞かないでおく。


「東庭……温室……奥……」


 復唱しながら、カナンは東庭へと向かった。


「広すぎない?」


 思わず口に出る。

 王宮の庭は、想像以上だった。手入れの行き届いた芝生、幾何学的に整えられた生垣、噴水、回廊。


 どこを見ても同じような景色が続き、方向感覚が狂う。


「東ってどっちだっけ……」


 やがて、東庭の区画にたどり着いた。少し雰囲気の違う場所に出た。


「……あれ?」


 足を止める。

 そこは、花畑だった。

 紫色の花が、一面に広がっている。

 どこか、現実離れした光景に、思わず息を呑む。


 そして——その中央に、一人の女性が立っていた。


 風に揺れるプラチナブロンドの長い髪。

 白を基調とした、金の刺繍が施された優美なドレス。

 胸元には、小さな花がモチーフとなったネックレスが輝いている。

 彼女はネックレスのモチーフと同じ花に囲まれながら、静かに佇んでいる。


 まるで一枚の絵画のようだった。


 ——聖女セレナ・アストレアがそこにいた。



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