第2話 依頼人は王子様!
「——というわけで、この国の王子様が聖女様を追放したいんだってさ」
昼下がりのリザードテイルの事務所は、今日もきっちり散らかっていた。
床は一度カナンによって掃除された形跡があるが、その上に脱ぎ捨てられた上着やブーツ、食べかけの干し肉の包み紙が転がっている。
ヴァンはクラッカーをかじりながら、グレンから聞いた依頼の概要を二人の仲間に伝えた。
「どういうこと!? 聖女セレナ様を追放って!? そんなことが許されるわけ……」
カナン・ハンマー。淡い金髪を後ろでまとめた細身の女性で、普段の彼女はギルドの受付嬢のような柔らかな笑顔と気配りを見せる一方、S級上位の戦闘力を持つ、リザードテイルの実働担当だ。
彼女は密かに聖女のファンだ。慈悲深く、そして、美しい——この国の象徴である聖女は女性人気も高い。
「いえ、王族の権力なら追放は十分可能です。政務上は、聖女セレナ・アストレアは、第一王子エドガー・ランドルフの婚約者でしかありませんから」
ユリウス・メトリカ。銀髪に細縁眼鏡をかけた中性的な美青年で、静かに全体を見渡し、ギルド中の戦績データやメンバーの交際関係まで、その術式で淡々と拾い上げる、リザードテイルの情報解析担当だ。
「そういう問題じゃない!」
カナンがユリウスに怒鳴る。
「ええ。王子と聖女の仲は良好であったと聞いています。それが、追放ということは……」
「さすがユリウス。わかってるね。おそらくは、そういう話だ」
ヴァンが手についたクラッカーの粉を払う。
「……で、だ」
ヴァンが、パンッとひとつ手を叩く。
「今日、依頼人の王宮のお偉いさんが来るぞ」
カナンの手が止まる。
「約束の時間は……今から五分後だな」
「はあ!?」
次の瞬間、カナンが跳ねるように立ち上がった。
「ふざけんなヴァン!!」
壁に立てかけていた箒を掴み、床に転がったブーツを蹴飛ばしながら一気に動き出す。
「なんで今言うの!? もっと前に言えたでしょ!」
カナンは机の上の書類を抱え、積み直しながら怒鳴る。
「ユリウスも立って! 手伝って!」
ユリウスは、自身の椅子に腰掛けたまま指先に小さな魔法陣を浮かべていた。
「カナン、もうあきらめましょう。依頼人にありのままをお見せするのも、信頼関係構築要素の一つかと」
「そんな信頼いらない!」
カナンが即座に切り捨てる。
ヴァンはその様子を眺めながら、うんうん、と頷いた。
「普段から綺麗にしとけば、こういう時に焦らないんだぞ」
「あんたのせいよ! ポンコツ団長!」
その時だった。
——コンコン。
扉が叩かれる。
三人の動きが、一瞬だけ止まった。
カナンがゆっくりと振り返る。
「……来ちゃった?」
「来たな」
ヴァンは立ち上がることもなく答える。
再び、扉が叩かれる。
カナンが深く息を吸い、髪を整える。
「……どうぞ」
扉を開ける。
フードを深く被った人物が、一人、ゆっくりと室内に足を踏み入れる。
背は高く、無駄のない所作。そのまま数歩進んで、立ち止まる。
「こちらが——追放代行団リザードテイルで間違いありませんか?」
澄んだ声だった。
だが、その声音には場慣れした気配がある。
「ああ、そうだ」
ヴァンが答える。
男はゆっくりと、フードを外した。
現れたのは、整いすぎた顔立ちだった。
深みのあるダークブラウンの髪、無駄のない輪郭、よく通る鼻筋、静かな光を宿した瞳。
年は二十歳をまたいでいるかどうか。その佇まいは明らかに“普通”ではない。
カナンが息を呑む。ユリウスの目が細くなる。ヴァンだけが、変わらない。
「エルディナ王国、第二王子セドリック・ランドルフです。よろしくお願いいたします」
抑えた声音だったが、はっきりと名乗った。
「セ……セドリック王子!?」
カナンが目を見開き、背筋をぴんと伸ばした。その声は裏返っている。
「その、汚くて申し訳ないですが、どうぞお掛けください!」
カナンがクラッカーの粉が散ったソファを、手で払いながら勧める。
「ありがとうございます。お気遣いなさらずに」
セドリックは嫌な顔一つせずに、そのソファに座った。
そして、庶民であるヴァンたちに深々と頭を下げた。
「皆様に、このようなことで頼ることになってしまい本当に申し訳ありません」
ヴァンはカナンに小声で耳打ちした。
「どうしよう? いい人だよ、この人! 王族なのに、いい人だよ! やりづらいんだけど!」
「大丈夫! いい人で困ることはないわ! ヴァン、落ち着いて!」
ヴァンはセドリックに向かった。
「それで? 依頼の詳細を聞かせてくれ」
ヴァンは王族相手に、いつも通り問いかけた。
「既に聞き及んでおられると思いますが、このままでは兄上、王位継承権第一位の第一王子、エドガー・ランドルフが、聖女セレナ・アストレアを追放してしまうのです」
“聖女の追放”。実際に王族の口から聞くと、重みがある台詞だった。
カナンが息を呑み、ヴァンは顎に手を当てたまま問う。
「で? そうなると、どうなる?」
「皆様も、聖女の力を知らないわけではないでしょう? この国は致命的な損害を受けます」
セドリックは続ける。
「聖女は、ただの象徴ではありません。女神の加護という力を受け継ぎ、結界の維持、疫病の鎮静、天候の制御——その全てに関与しています。言い換えれば、“見えない災厄”を日常から排除している存在です」
ユリウスの、術式で会話を記録する指先が止まる。
「いわば、インフラの一部、ですか」
「ええ。そう言っても過言じゃありません」
カナンが思わず口を開く。
「そんなの……絶対ダメじゃん」
セドリックは短く頷いた。
「その上、今代の聖女、セレナ嬢の力は別格です。兄上との関係も良好で、この国の未来は安泰と言われていた」
途端、セドリックは苦い表情に変わった。
「エドガー王子は元々、極めて優秀で聡明な人物でした」
その声音に、迷いが混じる。
「判断は冷静で的確。国民を第一に考える。父である王アレックスが病に伏している今、実質的に王政を担っているのはエドガー王子であり、まさに理想の王となる方でした。……私は安心しきっていた」
「だが、と」
ヴァンが先を促す。
「ある日、私は兄上から相談を受けました」
セドリックの視線が、険しくなる。
「“自分は、国と愛する女性と、どちらを守るべきか”と」
カナンが目を輝かせて、ぐいっと身を乗り出す。
セドリックは苦く笑った。
「私は、兄上と聖女の仲を知っているつもりだった。故に、『兄上は王族である前に、一人の男です。であるならば、当然、後者を選ぶべきだ』と、そう答えました」
ヴァンが小さく肩を揺らす。
「国民としては、文句のある答えだが、同じ男として、そいつは控えさせてもらうよ」
「だが、翌日」
セドリックは言葉を切った。
「兄上と、聖女付きの侍女が——二人きり街で共にいるところが目撃された」
「無事、弟の後押しを受けて、本命の女性に走った、と」
ヴァンが口笛を吹く。
「どうやら兄上は本気らしい。このままでは、婚約破棄の上で、その侍女と婚約してしまう」
「はあ? いや、意味分かんないんだけど」
カナンが臆せず声を上げた。王族相手、ということを忘れているようだ。
「同感です」
セドリックもカナンの態度に意に介した様子もなく、即答する。
「こうなった経緯を調査した上で、兄上の考えを変える必要があるのです」
真っ直ぐに、三人を見る。
「ですが、王宮が公に動き、それが民に知られてしまえば——最大級のスキャンダルになってしまいます」
ヴァンが頷く。
「まあ、そうだな。王子が聖女を捨てて侍女に走った、なんて表に出たら終わりだ。侍女とデートをしてる今だってギリギリのところだろう」
「その通りです」
セドリックはヴァンを改めてまっすぐに見据え、居住まいを正した。その所作には、品と育ちの良さがにじむ。
「王宮サイドは無闇には動けない。だから、協力してほしいのです。潜入などが必要な場合、手配は全て、こちらで済ませます。何でも言ってください」
リザードテイルの三人は、揃って沈黙する。
そして、ヴァンとユリウスの視線が、ゆっくりとカナンへ向いた。
「……え?」
カナンの顔が引きつる。
ヴァンが、顎に手を当てたまま呟く。
「潜入捜査……ねぇ。王宮のメイド、ってところか」
「カナンには品というものが欠けていますが、なんとか誤魔化せるでしょう」
ヴァンとユリウスの二人の中では、既に配置が決定していた。
それに気付いたカナンが声を上げた。
「ちょっと待って!? え、わたし!?」
ユリウスが真剣な面持ちでカナンを見た。
「……以前、貴方が僕の変装を見て大笑いしていたのを覚えていますか?」
ユリウスは以前の事件で、ターゲット近付くために女装をした。
その姿をカナンは気に入り、以降、カナンはユリウスに何度も強要していた。
「ということで、次は貴方の番です」
「無理!!」
カナンが叫んだ。
「本当に無理! わたし絶対やらないからね!!」
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