第1話 王宮からの追放案件
『追放代行団リザードテイル』
第二章のスタートです。本章のテーマはズバリ『聖女』です。
冒険者ギルド本部の最上階。
厚い絨毯が敷かれた廊下は、足音をすべて飲み込む。壁には精緻な装飾が施され、金の縁取りの額に収められた絵画や、古い冒険譚を刻んだレリーフが等間隔に並んでいた。
ここは、選ばれた者しか足を踏み入れられない場所。
その廊下を、ヴァンは気にした様子もなく歩き、副ギルドマスターの執務室の扉を、ノックもせずに開けた。
「来てやったぞ、グレン」
「座れ」
書類の山に埋もれた男、グレン・ハルフォードは、顔も上げずに答えた。
机の上には、未処理の嘆願書や依頼書が積み上がっている。赤い紐で束ねられたそれは、どれも“面倒な案件”の証だ。
部屋の隅には空になったインク瓶が転がり、窓際には冷めきった紅茶が放置されている。
いかにも、仕事に忙殺されている人間の部屋だった。
ヴァンは構わずソファに腰を下ろし、足を組む。
「相変わらず汚え部屋だな」
「お前にだけは言われたくない」
「副ギルドマスター様だろ。美人秘書でも雇って片づけさせろよ」
「仕事が出来て、口の堅い、信用できる人間がいればな」
そこで、ようやく、グレンが顔を上げた。
端正な顔立ちの男だった。長い髪を後ろで一つに束ね、整った輪郭をそのまま晒している。
年はまだ三十歳だが、額にはうっすらと皺が刻まれていた。
当然、年齢のせいじゃない。仕事のせいだと、ヴァンは知っている。
だが、目だけは異様に鋭い。疲れの色はあっても、鈍ったことは一度もない。
グレンが、机の上の紙片を数枚つまみ上げ、テーブルに叩きつけた。
「ヴァン、こいつはなんだ?」
ヴァンは一瞬だけ考えたふりをしてから、満面の笑みを浮かべた。
「ん? クイズか? さぁ、なんだろうな? ヤギのエサか?」
「請求書だ」
グレンの皺がさらに深くなる。
「酒場『赤鹿亭』、食堂『骨休め』、それと、裏路地のバー……。全部、ギルドに請求が来てる」
「どれもいい店だ。お前にしては趣味がいいじゃないか」
「お前の請求書だ! 全て“ギルド特別顧問様”宛てだ。いいからちゃんと払え!」
「えぇ~~~。グレンさん、こ~わ~~い」
飲み屋の女のような声音でふざけるヴァンに、グレンのこめかみが、ぴくりと動いた。
「そもそも、お前、ギルド特別顧問の肩書をなんだと思ってる?」
「タダで飲むためのチケットだろ?」
「ぶどうジュースを、か。せめて酒であれよ。下戸が」
「ただのぶどうジュースじゃないぞ! 炭酸ぶどうジュースだ!」
グレンは目を閉じ、片手で額を押さえた。
「俺の人生で最大の失敗は、お前にその肩書をやった事だ」
グレンは、ヴァンに“ギルド特別顧問”の肩書を与えた張本人だ。ギルド管轄内であれば、ほぼ何でもまかり通るその権限は、追放代行団の長として動きやすくするためのもの——断じて、ツケで炭酸ぶどうジュースを飲み歩かせるためではない。
「ああ。そいつは大いに反省した方がいいな」
ヴァンに悪びれる様子は一切ない。
「まあまあ。結果は出してるだろ。そこそこに。ギルドの平穏にちょっとは貢献してるはずだ」
「それは認める」
グレンは短く頷いた。その点に関しては、ヴァンに対する評価は揺るがない。
「付与術師のユアン・リーフの件では、世話になった。礼を言う」
「だろ? 飲み屋のツケをちゃらどころか、報奨金を貰ってもいいくらいだ」
「お前な、いい加減、役職取り消すぞ!」
「やれるものならやってみろ」
即答だった。
グレンはしばらくヴァンを睨んでいたが、やがて諦めたように息を吐いた。
「……はあ。ほんと、昔から変わらねえな、お前は」
「褒めてる?」
「褒めてねえ」
一度こめかみを押さえてから、グレンは視線を逸らす。
「……で、彼女はどうしている?」
グレンは表情をふっと和らげた。さっきまでの仕事人の顔から、親戚の子を案じるような年長者のそれに変化した。
「お前んとこの黄金槌だよ」
わざとらしく、かつての異名を口にした。
ヴァンは一瞬だけ目を細めてから、鼻で笑った。
「あぁ。はいはい。カナンね」
ヴァンは人差し指で鼻の頭を掻いた。
「あいつはいつも通りだよ。朝から掃除して、俺の炭酸の瓶を捨てて、ついでに説教してくる。馴染みの店でお気に入りのケーキと紅茶を買って喜んでいる。たまに、野生のヨウムと口喧嘩して泣かされて帰ってくるな」
「……そうか。まるで、普通の女性のように。……ん? や、野生のヨウム?」
数年前には想像もできなかった変化だった。グレンはその事実を、驚きと安堵の入り混じった気持ちで静かに噛みしめた。
「それで、悪童は?」
「ユリウスな」
ヴァンはいつも通り軽く返したが、その訂正だけは妙にきっぱりとしていた。
「いつも通りさ。ユリウスは……まあ、指先で術式展開して、何やら研究してる。何をとは聞くな。知らん」
「知らん、で済むか。お前、あいつがこのギルドにしたことを忘れたわけじゃないだろ。悪童の危険度は黄金槌以上だ」
「大丈夫だって」
短い一言だったが、どこか覚悟を感じさせた。
グレンは小さく頷く。
「……まぁ、いい」
それだけで十分らしい。
「それにしても、個人主義のお前が、自分のチームを持つとはな」
そして、椅子に座り直し、改めてヴァンを見る。
ヴァンはしばらくの沈黙の後、グレンへ問いかけた。
「それで、何があった? お前が軽口に付き合うのは、多少余裕のあるときか、全く余裕がないときだ」
「今日、お前を呼び出したのはな。依頼をしたいからだ」
「安心したぜ。ツケの話はもういいんだな」
「それは絶対に払え」
グレンは請求書の紙片をヴァンへと投げつけた。
「真面目に聞け。コイツは、お前以外に振れる案件じゃないんだ」
ヴァンは耳の後ろをぼりぼりと掻いた。
「つまり、ロクでもねぇ話と」
「否定はしない。だが、断る権利はない」
グレンは重々しく続けた。
「お前にも、そして——俺にもな」
ヴァンの片眉がわずかに上がる。
「なんだ? お偉いさんでも関わってんのか?」
「ああ」
グレンは短く頷いた。
「相手は王宮だ」
その一言で、空気が変わった。
「見返りは悪くない。この件を収めれば、ウチのギルドは体のいい便利屋じゃなくなる。国が正式に認めることになる。実際に得られるものは、計り知れない」
「皮算用は結構だけどな。具体的には?」
「聖女案件だ」
ヴァンが口笛を吹く。
「聖女だぁ? それで、俺に依頼ってことは……」
「察しがいいな」
グレンは視線を外さない。
「この国の王子が、聖女を追放したいそうだ」
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