【1.5章 2話】 始動! 都市伝説
マージエリイ夫人に案内されたのは、8階建てアパートの2階にある角部屋だ。ゴールデンウィークの時にコンビニ店員が住むアパートに行ったが、ここの方が建物の佇まいも清潔感など、全ての格が数段階である。
マージエリイ夫人がチャイムを押すと、すぐに灰色のドアが開かれた。家の中から眼鏡を掛けた髪がぼさぼさの若い女性が飛び出して、マージエリイ夫人に抱き着いた。
「待っていましたよ。助けてくださいぃ。もう無理ですぅ。限界ですぅ」
「はいはい。落ち着いてね。助っ人を呼んできたから。中に入っていいかしら」
「電話の……」
女性はそう言うと潤んだ目で俺と、後ろに隠れているサマンサを見ると、「もうだめだぁ」と再びマージエリイ夫人の体に抱きついた。
どうやら俺は戦力として見られなかったらしい。帰っても良いかな。
「あのね。明美ちゃん。まだそうなるって決まっていないでしょ。それにここいる相山君はこう見えて、怪奇に関しては私よりも詳しくて頼りになるのよ。私の言葉を信じられない?」
明美と呼ばれた女性は、マージエリイ夫人から顔を上げて俺の胴に抱き着いてきた。
「助けてぇ」
彼女の体が俺に密着する。悪くない。
「相山君ごめんなさいね。その子は【青井 明美】、私の知り合いの知り合いね。明美ちゃん、入らせてもらうわね」
明美さんは俺の体から顔を離して、「お茶出します」とマージエリイ夫人の後を追った。
廊下を渡り洗面所やトイレを通り過ぎ一番奥の部屋に入ると、そこには机が1台と椅子が4脚置かれている。どうやらこの部屋はダイニングキッチンのようだ。その奥にはベランダがある。
そのダイニングキッチンに置かれた机の上を見て、俺は息を呑んだ。
その置物は40センチほどの大きさの、後ろ足で立ち満面の笑みを浮かべた赤い犬だ。
都市伝説を事前に聞いていたからか、その置物からは余計に不気味さと陰気さを感じる。
近寄りたくない。
部屋の中は物が極端に少ない。そう言えば赤い犬の話に物が無くなるというものがあった。
「ごめんなさい。お茶が無くなりましたぁ」
明美さんはキッチンにある引き出しに手を掛けながら頭を下げる。
「構わないわよ。こっちに来なさい」
2人がやり取りをしている間に、サマンサが躊躇せずに赤い犬を両手で持ち上げた。
「何かわかるか?」
「まだ何とも言えない。ただの置物の、可能性もある」
サマンサはそう言うと置物を机の上に置いた。すると置物の正面が俺に向く形となったので、少しだけ横に移動させた。
置物とはいえ見られていたら気持ちが悪い。
「明美ちゃん話を聞かせてもらってもいいかしら?」
「は、はい。えっとこれです」
明美さんは財布の中から1枚のレシートを取り出して、机の上に置いた。そのレシートは一見すると何の変哲もない、スーパーマーケットのものである。だが上から順番に見ていくと4品目にアリバリア、その値段が文字化けしている。
都市伝説通りである。
これで人形とレシートの2つが揃った。となると……。
「明美さん。もしかしてこの部屋の物、徐々に無くなっているんですか」
「そうなの。1週間前に気づいたの」
レシートが発光されたのは15日前のようだ。もし都市伝説が本当なのだとしたら、物が無くなり始めたのはレシートの日付にある15日前で、明美さんが物の消失に気が付いたのは1週間前ということになる。
「物が無くなる瞬間って見たことありますか?」
「無い。いつの間にか物が減っているの」
「この赤い犬の置物はいつ見つけたのですか?」
「それも1週間前に気が付いたの。物が無くなっているような気がして、それを部屋中探している時にクローゼットにあったの。気味悪いから捨てたんだけど、翌朝には押し入れに戻っていたの」
捨てた物がいつの間にか帰って来る。怪談でよく聞く話だ。実際に体験したらさぞ恐ろしいだろう。
「壊せないんですか?」
明美さんに眉をひそめられた。サマンサが赤い犬の置物を手に取って、色々な方向から眺めながら言う。
「正体不明な物。だから、壊さない方が良い。壊したら、後戻りが出来ない」
「それもそうだな」
それにしても今一つ都市伝説に巻き込まれているという実感を持てない。鞍馬とか阿字ヶ峰が存在しているから、都市伝説の否定は出来ないけど、目に見える被害が乏しいから緊迫感が無い。
物が無くなると言っても、泥棒の線は捨てきれない。物が無くなる瞬間を確認できれば違うんだけど……。
「そうだ! 小銭を持っていないか」
「何をするの?」とマージエリイ夫人が財布を出しながら言った。
「物の上に小銭を置く。その物が無くなれば小銭が落ちて音が鳴ります。何かのヒントになるかもしれません」
「それはいいアイデアね。私が持っている小銭は、100円玉が4枚、10円玉が5枚、1円玉が7枚といったところね」
マージエリイ夫人が机の上に小銭を置いた。続いて「私も」とサマンサも数十枚の小銭を置く。次に明美さんが置いた。
全員の小銭を合わせれば70枚ほどが集まった。
「手分けして小銭を置きに行こう」
「ええ! 1人にしないでぇ。一緒にいてぇ」
明美さんが泣きそうな目で俺の腕にしがみついて来た。鬱陶しくなってきたな。
「わかりました。明美さんは俺と行きましょう。サマンサとマージエリイ夫人もお願いします。出来るだけ広範囲で」
こうして3グループに別れて小銭を置きに散る。サマンサは洗面台に、マージエリイ夫人は玄関すぐ横にある部屋に行ったようだから、俺はダイニングキッチンと襖で区切られた部屋に入る。
どうやらここは明美さんの寝室のようだ。ベッドが置かれている。後はタンスとか脱いだままの靴下が床に落ちている。
俺が部屋を眺めていると、腕を強く引っ張られる。
「ちょ、ちょっと待ってよぉ。片付いてないの。見ないで」
「見なければ小銭を置けませんよ」
「そ、そうだよね。手だけ、手だけ掴んでおいて。私が置くから」
めんどくさいな。
そう思って手を握る明美さんの手は汗ばんでいて、そして震えていた。明美さんは本気で恐怖していると、その時になって初めて実感として知れた。
悪いことをしたな。本気で動かないと。
俺は目を瞑る。
「ごめんね」と明美さんは小声で言うと俺の腕を引っ張った。
少しすると明美さんは「もういいよ」と言うから目を開ける。すっかり片付けられた寝室の、タンスやベッドの上に小銭が置かれている。
「終わったようですね」
「うん。戻ろうか」
俺と明美さんがダイニングキッチンに戻ると、すでにサマンサとマージエリイ夫人は椅子に座っていた。
「後は待つだけなんだけどその前に」
携帯電話を取り出して赤い犬の置物の写真を撮る。次にその写真をメールに張り付け、件名に『何かご存知ですか?』。本文に『赤い犬の都市伝説について知っていましたら教えてください』と入力した。
送り先は【公安警察】の【榊】さんだ。
メールを送信して椅子に座るとすぐに電話が掛かって来る。
『また厄介に巻き込まれたようだね』
開口一番でこれである。もっともであるけど。
「その通りです。巻き込まれている最中でして、何がご存知でしょうか?」
『実を言うと、僕たちもその都市伝説について調査を始めていた。端的に言うと、こちらには2体の赤い犬の置物があり、2人の失踪者についての情報を集めている最中だ。
情報交換をしないかい? 相山君がいる場所を教えて貰っても良いかな』
「もしかしてここに来るつもりですか?」
『勿論だとも。捜査の基本は実体験だよ。僕達はまだ結果しか知らないからね』
「わかりました。それでは送ります」
『ありがとう』
俺は通話を切ると、榊さんに住所を送った。
その瞬間、玄関の方から金属が落ちる音が聞こえた。




