【0.5章 11話】 容疑者Tの誘惑
俺は天坂とテレビを見ながら盛り上がっていた。ふと時計を見ると、すでに夜の9時を過ぎている。
「そろそろ帰った方がいいんじゃないか」
「そうだね。明日はどうするの? ケイさんに取り次いでもらってもいい?」
「ケイに関しては少しだけ待ってくれ。一応夕方ごろに待ち合わせをしている。だからその前に、全てを片付ける」
「私はどうしたらいい?」
「そうだな。付いて来てくれるとありがたいな。俺は大人と戦わなければならない。1人じゃ心細い」
天坂は笑みを浮かべながらため息をついた。
「相山君のそういうところずるいよね」
「ずるいって何がだよ」
「弱みを見せるのがうまいってことだよ。もしそれが相山君の演技なら、俳優にでもなればいいじゃない。明日の話、私も付き合うよ。ここで降りるのは気持ちが悪いしね。何時に集合?」
「朝の10時に寶川さんの病院前で頼む」
天坂は「わかった」と言って立ち上がると、髪の毛をたくし上げて帽子を被った。
「送るよ。夜に女性を1人で返す訳にはいかない」
「うん。ありがとう。それではエスコート、お願いするね」
そして俺と天坂は人が少ない夜道を歩いていると、天坂が一軒家の前で立ち止まった。その家は1階建てで高い生垣に囲まれているから中が見えない。敷地面積はそれほど広くない。玄関には錆び付いた簡易的な門扉がある。
「ここは私のおばあちゃんの家。私のファンでもここは知らないよ」
「それは重要情報を知った」
「ネットに流さないでね。それじゃあ今日はありがとう。楽しかったよ」
「ああ、また明日」
「うん。また明日」
天坂は満面の笑みで手を振ると、家の中に入っていった。もしこれが週刊誌に撮られていたら、大問題になるのではないか。今更だけど、緊張感が湧いてきた。
まあ心配しても仕方がない。俺にはまだすることがある。
天坂の背中を見送ると、その足を多田篠公園に向けた。明日に向けて、最後に確認しないといけないことがある。
ケイの猫が強盗を働いたとされるコンビニの前を通る。店内を見ると三島がつまらなさそうにレジに立っている。
コンビニには駐車場は無く、その前の道路は車2台がなんとか通れるほどしかない。歩行者と道路の境界ブロックは置かれていない。
コンビニの向かい側には一軒家が並んでいる。その中の1軒の門扉の上を見ると、監視カメラが取り付けられている。
次に向かったのは、首を折られた銅像の前だ。立ち入り禁止テープが張られていて、警察官も立っているので、その外側から銅像の付近の地面を見てから、改めて銅像を見る。
小さな足場の上でなんとか立っていた銅像は首が折れている。可哀そうな銅像だ。
感傷に浸りながら携帯電話を取り出して、警察官の榊さんに電話をした。
翌日、朝10時5分前。
神結医療センターの前に男装した天坂がやって来た。昨日よりも僅かに血色が良いように感じる。
「ごめんね、相山君。待たせちゃったかな」
「待ち合わせ時間に来てくれればいい」
「フフッ、そう言ってくれると気が楽」
昨日とは違い俺と天坂の2人で病院に入る。
ケイと会うのは夕方だ。それまでにすべてを終わらせる。
昨日と同じ手順を踏んで、寶川さんの病室に入った。
「あら、今日はケイちゃんがいないのね。それで相山君と……、天坂ちゃんが私にどういった御用かしら」
天坂は目を見開いて前のめりでベッドの縁に手をのせた。
「気づいていたんですか?」
「私は一度あった人ならば、たとえ変装していたとしても見過ごさない。あなたとはテレビ越しに何度もあっているわ。間違えるわけない」
寶川さんはそう言うと、天坂の帽子のツバを2本の指で挟んで脱がせた。すると帽子の中で窮屈に収められていた髪が、サラリと天坂の肩に乗った。
「あなたのようなアイドルに会えるなんて、もしかしたら私は運に勝ったのかもしれないわ」
天坂は帽子を取り返すと、再び髪をまとめると帽子を被った。
「あら、そのままでいいのに。あなたが天坂ちゃんだって知らない人はここにいないのよ」
寶川さんはどうやら俺もそれを知っていると、見抜いていたようだ。やはり寶川さんは油断のならない女性だ。
「誰かが入ってくるかもしれませんから」
「そうね。相山君は男の子だものね。天坂ちゃんにとってもね」
視線を逸らす天坂を、微笑を口元に湛えながら眺める寶川さん。楽しそうだけど俺たちには次の予定がある。
「そろそろ、話をさせてもらってもいいですか」
「逃げるのも限界ね。何?」
寶川さんはため息交じりに言った。
「寶川さんの怪我は事故ではなく、事件ではないですか?」
「どうしてそう思うの?」
「頭を強く打った時に来ていた服、どこにあるかご存じですか?」
「そう言えば無いわ。そうか、そういうことね」
「寶川さんはうつぶせで倒れていました。これは寶川さんを発見した清水さんという方も、そう言っています。
その証拠に、寶川さんが当時着ていて服は前方が特に汚れていました。転んで後頭部を打ったのに、汚れは服の前。寶川さんは殴られたんです。ちなみにその服は警察の方で預かっているそうです」
寶川さんは相変わらず飄々としていて、世間話でも聞いているようだ。
「なるほどね。では誰が殴ったのかしら」
「田中良一さんです」
寶川さんの眉がピクリと動いた後、とても色っぽく息を吐いた。
「降参よ。その名前が出たのなら、これ以上の言い逃れは格好が悪いわ。まさか1日でたどり着かれるとは思わなかったわ。やるじゃない」
寶川さんは腕を伸ばして俺の手を握った。その指の使い方と、力の入れ方がとても気持ちよい。なんだこれは!
俺の思考が飛びそうになると、天坂がその手を弾き飛ばした。
「あら、もしかして嫉妬かしら?」
「時間が勿体ないからです」
「そうね。では真実を話すわ。私はあの場所で会ったのは猫じゃない。
猫は公園の入り口で会ったの。本当に会ったのは田中良一さん。
かれは小心者なのに見栄っ張り。こういう人は私達にとってはいい客なのよ。恰好を付けて男を貫こうとするから、金だけ出して体を要求しない。
彼には悪いことをしたわ。まさか私を殺そうとするぐらい追い詰めてしまっていたなんてね。私と彼はあの場所で、つまらない口論になったの。
でも彼にとっては深刻な口論だったのね。去ろうとする私の後ろから、彼は私の頭を石で殴りつけたの」
「追い詰めた贖罪として、田中さんを庇って嘘をついたのですか?」
寶川は口角を上げると鼻で笑った。
「そんな気持ちを抱く心を持っているのなら、今の仕事は辞めているわ。
例えば天坂ちゃん変装までして男と歩いている。そうマスコミに垂れ込むと私が脅したら、あなたはどうするかしら」
寶川さんに指を差された天坂は戸惑った表情で俺を見る。
「天坂ちゃんはきっと、相山君に助けを求める。だから心配しなくてもいいわ。もし私がそれをしたら、委員長さんがあなたを守るために私の情報を掴んで脅してきそうだもの。
私には身を挺して助けてくれる人はいない。だから自分で自分を守る必要があるの。
私は田中さんを脅さないわ。私は彼を庇ったのではなく、自分を庇ったの。やり過ぎて殺されそうになったなんて名誉に傷がつくし、恰好が悪いじゃない」
寶川さんの過去を俺は知らない。きっと非凡ではない道を歩き、才覚を磨いてきたのだろう。そうして寶川さんは己の信念を築き上げた。俺はそれを輝かしいと感じる。
「真実を知った相山君は私に何を要求するの?」
「ケイに真実を話して謝ってやってくれ」
「欲が無いのね。わかったわ。私の信念に誓うわ。
だけどあなたはそれでいいのかも知れないけど、私はプラスマイナスをゼロにしたいの。そうね、あなたが卒業したくなったら私を呼ぶといい。
あなたの初めてと、最上級の快楽を交換してあげる」
寶川さんはそう言って俺の腕をなまめかしく掴むと、天坂は再びその腕を振り払った。寶川さんの表情は穏やかなものではなくなり、初めて見る邪悪なものへと変わった。それは俺に鳥肌を立たせた。
「ごめんなさいね。女から男を奪い取るのが私の趣味なの。だって、そのほうがお金になるかもの。ウフフ」
めちゃくちゃ怖いんだけど! あまり寶川さんには近づかないでおこう。
それから少しだけ世間話をした後、俺と天坂は病室を出ることになる。俺が「失礼しました」と頭を下げると、寶川さんがぼそりと呟く。
「私の時もあなたみたいな委員長なら、違った未来があったのかもしれないわね」
寶川さんは寂し気に細いため息をつくと、窓の外を見て黙り込んだ。




