【1章 2話】 ツチノコ調査開始?
休み時間を知らせるチャイムが鳴ると、虚ろな目をした数学教師が「終わります」と一言だけを残して教室から出て行った。
俺はどうもこの数学教師が苦手である。何をするにしても常に違うことを考えているような遠い目をするからだ。
何かここにはないものをずっと見ているようで、虚しさがこみあげて来るからだ。
そんな数学教師の後ろ姿を一瞥すると、後ろの席のフューレの方を向いた。
「昨日の話なんだけど」
「昨日…、委員長がゴールデンウィークにアイドルとあった話かな?
そう言えば、昨日家に帰ってテレビを付けたら、そのアイドルが映っていたよ。7時の番組だったかな。委員長が言うように可愛らしい印象を受けた。天坂さんだっけ?」
フューレは首を傾げて目をパチクリさせる。もしフューレが昨日の話を忘れているのなら、少しだけ俺は肩を落とすことになる。
「相変わらず可愛かったな。ライブに誘われたから行ってみたんだけど、ライブで見ると更に輝きが増して感じた…、ってそんな話じゃないんだ。違う内容だ」
フューレは綺麗なピンク色の唇を曲げると、目線を天井に移し思案している。しばらくして、「あ!」と小声を出し小さく手を叩くと、笑顔で俺を見た。
「昨日の話だね。大丈夫だよ。僕が忘れるわけないじゃないか。あれだよね」
フューレはそう言うと鞄の中を弄る。
少しの間、俺はフューレを見ていたがその行為が終わることは無く、何度も何度も鞄のチャックを開けては中を確認し、違うチャックを開けては中を確認する。
それが4週ほど続いた後、鞄を机の上に置くと中の物を1つずつ外に出していく。
「あれ? 確かに持って来たはずなんだけどね。どこに行っちゃったんだろ」
鞄の中の物を一通り取り出すと、当然ながらその中には何も無くなった。フューレはその虚しくすっぽりと空いた穴を睨んでいる。
フューレは再び鞄の中に手を入れる。すると、フューレの顔を一瞬で華やかなものになった。
「こんなところに隠れていたよ。この小説でしょ」
フューレは鞄の中から1冊の本を取り出した。
この小説こそが俺の求めていた問いの答えである。昨日の帰り道、俺はフューレにそっちの世界の小説を貸してくれと頼んだ。
表紙には『3万キロを駆け抜けろ』という題名と、七色の粒子を纏った流線型の宇宙船が描かれている。
ジャンルはSF小説。
フューレがその小説を俺に差し出すので、両手で丁寧に受け取って中を開いてみた。そこに書かれている言語は日本語である。
昨日、フューレが住む世界のSF小説で、日本語に訳されたものがあれば貸してほしいと頼んだ。
「ありがとう。違う世界のSF小説に興味があって。世界が違えばSFの考え方も違うのかなって。ところでその本はそんなに分かりにくい場所に入っていたのか?」
「ここだよ」とフューレは何も入っていない鞄の中を俺に見せる。その中に手を入れると、1枚の黒い板を取り出した。
これは鞄を補強する底板である。
「この板の裏に入っていたんだよ。だから気が付かなかったんだね」
フューレは満足気に底板をひらひらと扇いで見せるが、俺はどこに本が隠されていたのかという事実よりも、もっと驚くべき事実を目の当たりにしていた。
「フューレは案外、雑な性格なんだな」
フューレは恥ずかしくなったのか、「いや、それはだね。えっと…」と呟きながら顔を赤らめると視線を逸らした。
「い、言い訳を聞いてくれないか!」
フューレは突然体を前のめりにして俺を仰ぎ見る。突然目と目の距離を急接近させたフューレに驚いて、体を反らしてしまった。
「どうぞ」
「僕は普段、鞄のような何かを収納する為の道具を持ち歩かないから、それに関して頓着することに慣れていないのさ」
「鞄を持たないって、出かける時はどうするんだ?」
「僕たちにはこういう技術があるのさ」
フューレはそう言うと、空中に手を差し出した。
すると、何もなかった空間が歪曲し始め、そこに見えていた筈の風景が脱色されて混じり合っていく。先程まで風景を表していた線は薄くなっていき、最後は白い光の球体へと変わった。
「第3太陽系の技術さ。この球体の先には量子空間と呼ばれる倉庫のような場所と繋がっていて、自由に物の出し入れが可能なんだ。
ほら、テェンツァルス王国の王女様であるリアナさんが、何も無い空間から剣を出していのを憶えているかい? あれも同じ技術さ」
「えっと……、ワープみたいなものか」
「少し違うかな。量子空間とこの世界は別の理で構成されているから、この世界の生物が量子空間に足を踏み入れると、理論崩壊を起こして粒子が死んでしまう」
「それは変じゃないか。手を入れていただろ」
「そこはこの技術の凄いところで、この球体は量子空間との中継局の役割を果たしていて、直接繋がっている訳じゃないんだよ」
フューレの言っている内容がぶっ飛びすぎていて、ほとんど理解できてはいない。唯一分かったことは、とにかく凄く未来的だということだ。
「これが可能な世界で、サイエンスフィクションは成り立つのか」
「成り立たないよ。SF小説の最新作はとがり過ぎていて、委員長が読み切るのは難しいと思う。この本はね、今では冒険小説の棚に並べられているんだ」
「今ではってことは、古典なのか?」
「さすが委員長。感が良いね。この本は100年以上前にSF小説として出版された、古典のSF小説なんだ」
「なるほどな。古典だから日本語訳もされているのか」
「残念だけど、第3太陽系の書籍で日本語訳されている物は限りなくゼロに近いと思うよ。
僕が委員長に貸したこの小説が日本語訳されているのは、僕を作成した科学者たちの趣味の発明品、自動翻訳出版機のおかげさ。
この発明品を使えば、実物の書籍と材料となる紙さえあれば、ほんの5分程度で翻訳本が出来上がる。その装置を探すのと、起動に時間が掛った。これからはすぐに渡せるよ。
ちなみに、量子空間に物を置く技術を開発したのも、その科学者なんだよ」
フューレは光の球体を消すと、胸を張ってそう語る。
すっかり忘れていたが、フューレは人造人間である。だからといって差別する気持ちは一切ないが、自分を作成された存在だと言える心境はどういったものなのだろうかと、少しだけ考えてしまう。
だから俺はこう言う。
「俺がこの小説を読めるのは、フューレの親のおかげだ。感謝しないとな」
俺の言葉にフューレは僅かに微笑んだ。
「親か…。委員長が喜んでくれるのなら、きっと僕の親も満足しているよ。読みたいジャンルを言ってくれれば、すぐに委員長にプレゼントさせてもらうよ」
「助かるよ。フューレに会って楽しみが増えた」
「僕が目を通したのはほんの一握だし、読書趣味は無いからね。だけど蔵書は50万冊以上ある。きっと委員長が気に入る本もその中にはある。娯楽小説から随筆まで、全てのジャンルが揃っているからね」
「50万冊か。途方が無さ過ぎて笑えて来るな」
休み時間の終了を知らせるチャイムが鳴った。
俺はフューレから借りた本を鞄の内ポケットに入れると、次の授業の教科書を取り出して前を見た。
教卓には既に英語の女性教師がにこやかに立っていた。その教師は常に笑顔を忘れないふくよかな体躯を持った人物であり、俺は好感を持っている。
「はい、それでは英語の授業を始めます。教科書は25ページからです」
俺は意識を空想のような色鮮やかな場所から、授業という現実的で12色の色鉛筆で書かれたような静かな場所へと移した。
学校から帰宅した俺は、早速フューレに借りた『3万キロを駆け抜けろ』という宇宙の冒険小説を読むべく、鞄の中を開いた。
まず顔を出したのは、数枚の宿題のプリントである。
俺はそれを見なかったことにして机の上に置くと、その奥から小説を取り出した。
小説を開きながら、予想外の弱点を持つ人造人間のフューレを思い出して、笑みがこぼれてしまう。
それと同時に、整理整頓は大切であると言う当たり前のことが頭に浮かで離れなくなった。
仕方が無いから小説を一旦宿題のプリントの上に置くと、鞄の中を覗き込んだ。
学校でフューレがしていたように、俺も1つずつ中の物を出していく。
そこに入っていたものは、教科書やノートだけではない。空になったポケットティッシュの袋や、数本だけ残されているシャープペンシルの替え芯の箱といった物もまた、行き場を無くして隅に追いやられていた。
「俺もフューレのことを言えないな」
そう呟いて最後に残された底板に手を伸ばした。この下に小説が眠っていた。俺の鞄には何が眠っているのだろうと底板を取り出すと、そこには1枚のレシートがあった。
「いつのレシートだ」
そのレシートを手に取って見る。
発行された場所はスーパーマーケットのミリストロセンターだ。そして昨日の日付が印字されている。日付の横には時間も記載されている。
「学校の帰りに寄ったのか?」
昨日のこの時間にミリストロセンターに行った記憶は無い。フューレと話しながらどこにも寄らずに帰宅した筈である。
「俺は昨日…」
鼓動が早打ち全身から気持ちの悪い汗が噴き出すのを感じる。記憶の細部を思い出そうとすると、動悸は更に早くなる。
息が浅くなり、視界がぼやける。そのレシートに焦点が定まらない。
目を閉じて呼吸を整える。少しずつではあるが気分の悪さが消えていく。
このままレシートから目を逸らして、昨日を考えないようにすれば、きっとこの苦しみから逃れられるだろう。何故かそれを感覚として理解している。
だけど昨日を思い出すという、大した事柄でもない内容から逃げ出すわけにはいかない。
俺は意を決して目を開けると、レシートに書かれている購入リストを見る。
ペットボトルのジュース、幾つかのお菓子、そして網、虫かご、軍手がその下に並ぶ。
「虫でも採りに行っていたのか? 虫? どうして虫を採りに行ったんだ。どうして俺の鞄の中にこのレシートが入っている。どうして……」
『フューレ! ツチノコの話は聞いているか?』
そのフレーズが不意に思考に割り込んだ。
「ツチノコ? ツチノコを探していた?」
言葉を発したその瞬間、今までの苦痛の一切が吹き飛び、思考が驚くほどに明瞭になった。
その記憶から、背筋を凍らせるには十分な結論に辿り着いた。
「俺は忘れさせられていたのか」
確信を持った。俺の世界ではない、別の世界に触れてしまったのだと。




