新たな生活の始まり
奴隷商人との取引を終えた女性は、リヒトに視線を向けた。
「立ちなさい。行くわよ」
「……分かりました」
リヒトは返事をして立ち上がる。
女性の後を追いながら、彼は周囲を観察していた。
奴隷市場の建物を出ると、そこには石畳の道が広がっていた。行き交う人々の中には、人間だけでなく、長い耳を持つエルフの姿もある。
ここがエルフの国であることは、すでに周囲の会話から理解していた。
しかし、今のリヒトにとって重要なのは国の名前ではない。
目の前を歩く女性が、自分にとってどのような存在になるのか。それを把握することだった。
「名前は?」
不意に女性が尋ねてきた。
「リヒトです」
「そう。私はエレナ。エレナ・クロムウェルよ」
「よろしくお願いします」
「別に仲良くする必要はないわ。あなたには荷物持ちとして働いてもらう。それだけよ」
淡々とした口調だった。
リヒトは彼女の言葉に特別な感情を抱かなかった。
むしろ、曖昧な優しさを見せられるよりも分かりやすい。
「分かりました」
「話が早くて助かるわ」
エレナはそれ以上何も言わず、再び歩き始めた。
しばらく歩くと、街の一角にある宿へ到着した。
エレナは受付で手続きを済ませ、二階の部屋へ向かう。
「今日からここで寝泊まりしてもらうわ」
部屋にはベッドが二つと、小さな机が置かれていた。
「食事は私と一緒に取ること。仕事があるときは指示に従いなさい。勝手な行動はしないこと。何か聞きたいことがあれば、その都度聞けばいいわ」
「分かりました」
「それと、明日から冒険に同行してもらう。荷物を運ぶことが主な仕事になるわ」
「冒険、ですか?」
「そうよ。私は冒険者だから」
エレナは腰にある剣へ軽く手を添えた。
「一応、Bランクよ。足手まといにならないように気をつけなさい」
Bランク。
その言葉の意味を、リヒトはまだ詳しく知らない。
だが、彼女の実力を判断するには十分な情報だった。
「分かりました。できる限り努力します」
「期待しているわ」
それだけ言うと、エレナは荷物を机の横に置いた。
リヒトは部屋を見回す。
自分専用のベッドがある。食事も与えられる。奴隷市場で想像していた生活よりは、ずっとまともだった。
しかし、忘れてはいけない。
自分はまだ奴隷なのだ。
自由に外を歩くことも、好きな場所へ行くこともできない。
今は何もできないが、状況を知ることはできる。
まずはエレナという人物を理解すること。そして、この世界について学ぶこと。
リヒトは心の中で、そう決めた。
「明日は早いわ。もう休みなさい」
「はい」
こうして、リヒトとエレナの生活が始まった。
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