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国家消滅  作者: Dar_3026
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第3話 昨日までの国民

 通知書の配達が始まった翌朝、市役所の正面玄関は開庁前から人で埋まった。


 残り二十八日。

午前八時の時点で、待機番号は四百を超えていた。


 俺たち委託職員も窓口へ回された。

机の上に置かれたのは、回答要領と、薄い灰色の腕章だった。

腕章には《国家機能移行案内》とある。


「個別の将来予測はするな。

通知書の内容を読め。

分からないことを勝手に説明するな」


 荒谷はそれだけ言って、入口の開錠を指示した。


 扉が開くと、人の列は走らずに入ってきた。

怒号もなかった。

全員が通知書を持ち、自分だけは訂正してもらえると信じて順番を待っていた。


 最初に俺の前へ座ったのは、八十歳を過ぎた男だった。


「これ、何かの手続きが足りなかったんだろ」


 男は通知書の《非継承》という箇所を指で叩いた。

爪の間に黒い土が残っている。


「判定根拠を確認します。住民番号をお願いします」

「番号ならそこに書いてある。

昨日まで年金も出てたし、保険料も払ってきた」


 端末へ番号を入れる。

表示された要因は、年齢、独居、継続収入なし、区域外資産だった。


「十年間の保障継続可能性が基準に達していないと判定されています」

「それは何が足りないってことだ」

「判定項目の総合結果です」

「だから、何を足せばいい」


 俺は回答要領を開いた。


「最終名簿の資格判定は確定しています。

登録情報に事実との相違がある場合は、異議申立てができます」

「相違がなければ?」

「地域自律運営への移行手続きをご案内します」


 男は通知書を机へ置いた。


「来月、救急車は来るのか」


 回答要領の検索欄へ《救急車》と入れた。


《自助区域における救急搬送は、地域運営主体または民間事業者の判断により継続できます。

国および日本継承共同体は、その提供を保証しません》


「禁止されるわけではありません。

地域で運営が続けば利用できます」

「続かなかったら?」


 画面に答えはなかった。


「提供は保証されません」


 男はゆっくり通知書を取り上げた。


「昨日までは来たんだよな」

「はい」

「昨日まで国民だったからか」


 俺は、はいとも、違いますとも言えなかった。


「次の方をお呼びします」


 男は立ち上がった。

出口ではなく、異議申立て端末の列へ向かった。


 次は子供を連れた女だった。

次は介護施設の職員。

その次は商店主。

質問は違っても、回答は同じだった。


 水道は止まるのか。


「地域運営主体が継続できます」


 警察は来るのか。


「提供は保証されません」


 学校はどうなる。


「地域自律教育への移行が可能です」


 薬は届くのか。


「民間事業者との個別契約をご検討ください」


 禁止ではない。

廃止でもない。

国がやらなくなるだけだ。

金と人と設備があれば、今までどおり続けていい。


 それを「自由」と呼ぶ文章まで、回答要領には用意されていた。


 午後、介護施設の管理者が厚い名簿を抱えて座った。


「入所者が三十六人います。

全員、非継承でした」

「申立ては本人ごとになります」

「意思確認できない人が十九人です。

家族も遠方か、もういない。

施設でまとめて申請できませんか」


 回答要領を検索した。


《施設単位での資格申請は受け付けません。

法定代理人または認定保証事業者による個別申請が必要です》


「認定保証事業者というのは」

「基幹生活保障区域と契約した介護事業者です」

「この県内にありますか」


 一覧を開いた。

三件あった。

どれも新規の受け入れを停止していた。


「現在受け入れ可能な事業者はありません」

「では、三十日後も今の施設で世話を続けていいんですね」

「地域自律運営として継続できます」

「電気代は。食事は。薬は」


 俺が黙ると、管理者は質問をやめた。

名簿を抱え直し、頭を下げた。


「すみません。あなたに聞いても仕方ないですね」


 責められるより、その一言の方が痛かった。


 窓口の後ろには、まだ百人以上が並んでいた。

壁の表示板には、平均対応時間を短縮するよう警告が出ている。

俺は次の番号を呼んだ。


 正午を過ぎるころ、窓口の奥で言い争う声がした。

若い職員が、住民へ区域別の救急撤退予定を説明していた。


 荒谷がすぐに間へ入った。


「予定ではありません。

提供保証範囲を説明してください」

「でも、この人の地区は救急拠点が閉鎖されます」

「閉鎖ではない。地域移管だ」

「引き受ける団体がないんですよ」

「それをこの窓口で判断するな」


 職員は黙った。

住民は二人の顔を交互に見た。


 荒谷は俺たち全員へ聞こえる声で言った。


「説明するな。通知内容を読め。

ここで余計なことを言えば、その人が準備に使える時間を奪う」


 冷たい言い方だった。

けれど、荒谷の手は机の下で固く握られていた。


 窓口が一段落した午後四時、地域別の移行地図が更新された。


 市全体が灰色に塗られていた。

非継承地域を示す色だ。

駅前の一角、物流倉庫、変電設備、幹線道路沿いの給油所だけが青く光っている。


 青く残った街区にも、そこに住んでいる全員が入れるわけではない。

区域として維持される土地と、保障される人間は別に審査される。

青い場所の隣に住みながら、壁の外へ出される者もいる。


 青い区域同士は細い道路でつながり、隣の旧県庁所在地にある基幹生活保障区域へ続いていた。


 町の中に町が残るのではない。


 必要な設備だけを拾い、残りを海に沈めたような地図だった。


 俺のアパートは灰色。

母の家も灰色。

市役所も、移行日以降は灰色になる。


 処理をしていた職員たちが、自分の住所を探し始めた。

誰も声を出さない。

青い場所を見つけた者だけが、そっと画面を閉じた。


 地図の横に、新しい文書が届いた。


《地域公共施設・契約移行予定一覧》


 市内の学校、消防分署、診療所、給水所が並んでいる。

継承、民間移管、地域移管、終了。

それぞれに処理日が付いていた。


 俺は医療の欄を開いた。


 母の働く住民共同診療所があった。


《公的医薬品供給契約終了 移行日二日前》


 診療所そのものは閉鎖されない。


 医師も母も、そこにいていい。


 ただ、薬も酸素も救急搬送も届かなくなる。


 画面上では、それを閉鎖とは呼ばなかった。

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