第21話 一人だけ
追加保証枠は、他人へ譲ることができなかった。
残り七十一時間。
晴登の申請画面には、俺の名前が入力されている。
変更できるのは、保証対象者本人の承認だけだった。
「診療所の患者に使えないか」
会社の契約担当者は首を横に振った。
『保証者との生活関係が確認できません』
「子供なら。門で断られてた子がいる」
『年齢条件を満たしません』
「俺の母は看護師です」
『医療技能保証の募集は終了しています』
一人分の席がある。
だが、その席には最初から俺の形が付いていた。
保証条件を開くと、理由が並んでいた。
二十七歳。
扶養家族なし。
行政データ移行経験。
区域内で不足する住民管理補助員として、十年間の就労が可能。
俺の人格ではない。
母が付けた名前でもない。
働ける年数と、すぐ使える技能と、抱えている人数の少なさ。
それを足した輪郭が、席の形だった。
「入ったら、市役所の仕事をするのか」
「共同体の住民登録補助だってさ」
晴登が苦い顔をした。
「外の記録を閉じたあと、内側の記録を作る仕事だ」
「皮肉だな」
「生きてるって、大体そういうもんだろ」
「お前が入らないなら、枠は消える」
晴登が言った。
「分かってる」
「誰かを助ける枠じゃない。
会社が俺を働かせるための枠だ。
お前なら条件に合う。それだけだ」
「分かってる」
「じゃあ承認しろ」
晴登の父親は車椅子で待っていた。
顔色は手術前より良い。
母親は移住用の荷物を足元へ積んでいる。
「直路くんも来るんでしょう」
晴登の母親が笑った。
晴登の父親が、車椅子から頭を下げた。
「私の手術で、晴登はここへ来た。
君まで巻き込んで悪かった」
「謝ることじゃありません」
「そう言ってもらえると、助かる」
その言葉に嘘はなかった。
目の前に、制度が救った一人がいる。
この人に死ねと言えなかったから、晴登は門へ行く。
晴登の母親が俺の分の小さな鞄を出した。
下着と歯ブラシ、保存食。
昔、晴登の家へ泊まりに行ったときと同じような荷物だった。
「何も用意してないと思って」
受け取れば、そのまま車へ乗れた。
俺は返事をせず、朋江へ画面を見せた。
「ここを押せば入れる」
「押しなさい」
「母さんは」
「診療所へ戻る」
「三日後、薬も電気も保証されない」
「知ってる」
「死ぬかもしれない」
「あんたも外にいれば同じ」
母は俺の指を画面の承認欄へ持っていこうとした。
「親が子供を助けたいのは、政府の選別とは違う」
「俺が決める」
「なら決めなさい」
母は手を離した。
保障区域で暮らす自分を想像した。
水が出る部屋。
時間どおりに来るバス。
母のいない食卓。
門の外で何が起きているかを、晴登と同じニュースで見る生活。
生き残れば、何かできるかもしれない。
それは本当だった。
共同体の中から制度を変える。
外の人々の記録を訴える。
母をあとで呼べる道を探す。
助かる理由はいくらでも作れた。
どれも、生きたいという一言より聞こえがよかった。
同時に、今ここで母を置いていくのも本当だった。
日没の通知が鳴った。
承認画面が十秒の確認を求めた。
《辞退した保証枠は再発行されません》
九、八、七。
俺は母を見た。
母はうなずかなかった。
止めもしなかった。
三、二。
俺は《辞退》を押した。
晴登は目を閉じた。怒鳴らなかった。
「馬鹿だな」
「そうだな」
「残れとも言わないんだな」
「言えるわけないだろ」
晴登は俺の肩を一度叩いた。
「俺も行く。親父たちを連れて」
「分かってる」
「お前を裏切ったわけじゃない」
「分かってる」
晴登の母親は、用意した鞄を俺へ渡そうとした。
俺は受け取った。
中身を母の診療所で使える。
そう説明すると、彼女は泣きそうな顔で笑った。
別れをきれいなものにしないために、晴登は最後まで車のドアを閉めなかった。
「今なら、まだ会社に掛け合えるかもしれない」
「枠は消えた」
「別の申請を出す」
「もういい」
「よくない」
「晴登。
お前の親父さんの時間を使うな」
医療機器の残量表示を見て、晴登はようやくドアを閉めた。
同じ言葉しか出なかった。
晴登たちの出発を見送る前に、市役所から緊急招集が来た。
《非継承住民記録・一括閉鎖》
添付された作業開始時刻は、四十八時間後だった。




