第19話 事実です
自分の名前を付けた資料は、匿名の資料より速く広がった。
残り七日。
《市役所職員が内部資料を告発》
《国家終了契約の全容》
《五千六百六十万人を記録から削除》
俺は正規職員ではなく委託だが、見出しの上では同じだった。
顔写真と勤務先も特定され、市役所へ報道の問い合わせが殺到した。
中央監査からは、出勤停止も逮捕命令も来なかった。
荒谷は俺へ通常業務を続けろと言った。
「放っておくんですか」
「中央の指示だ」
「理由は」
「お前を拘束すれば、資料が本物だと認めたように見える」
俺は窓口で、昨日までと同じように非継承通知を処理した。
住民は俺の顔を知っていた。
礼を言う者も、遅すぎると怒鳴る者もいた。
五十代の男は通知を出し、「よくやった」と言ったあと、自分の判定を確認させた。
結果が変わっていないと知ると、今度は「お前のせいで門が閉まる」と怒鳴った。
どちらも同じ男の本音だった。
大学生くらいの女は、俺の机へ小さな記録端末を置いた。
「資料、全部入れました。消されても残します」
「俺じゃなくて、あなたの記録を残した方がいい」
「私の名前なんて、国はもう要らないんでしょう」
女は端末を持ち帰らなかった。
俺は遺失物として保管箱へ入れた。
午後六時、杉岡首相の緊急放送が始まった。
俺は政府が否定すると予想していた。
資料の一部を加工だと言い、俺を機密窃取犯として扱う。
それに反論する準備もした。
杉岡首相は、最初の一言で全部を無駄にした。
『本日公開された資料は、真正なものです』
住民移行室が静まった。
『非継承人口五千六百六十万人。
基幹生活保障区域への継承資格者千百四十万人。
日本国の法的機能終了と、日本継承共同体への資産、債務、外交、防衛機能の移管。
記載された数字と契約内容は、すべて事実です』
隠さなかった。
『政府がこれまで説明してきた内容と異なるものではありません。
ただし、膨大な公開資料の中で、国民一人一人へ十分に届いていなかった。
その責任は政府にあります』
首相は一度だけ頭を下げた。
謝罪は、隠したことではなく、伝わらなかったことに向けられていた。
『では、事実を知った今、計画を止めるべきでしょうか』
画面へ、二つの未来予測が出た。
『全域保障を再開した場合、医薬品供給は九か月以内に崩壊。
基幹送電網は二年以内に維持不能。
治安、物流、上下水道を含む生活基盤は、連鎖的に停止します』
次の図には、保障区域の十年後が示された。
『計画を継続すれば、千百四十万人の生活を十年以上維持できます』
画面の隅には小さく前提条件が並んだ。
出生率、医療需要、輸入価格、発電設備の故障率。
どれか一つが外れれば十年は短くなる。
それでも、全域保障案よりはるかに長い。
俺が以前で見た数字と同じだった。
都合のよい部分だけを作った映像ではない。
首相は、俺が公開した計算をそのまま国民へ突きつけていた。
首相は数字から目を上げた。
『五千六百六十万人を救わないのか。
その問いから、私は逃げません』
静かな声だった。
『救う方法があるのなら、示してください。
財源、電力、医療従事者、燃料、食料、輸送、設備更新。
そのすべてを伴う方法を。
政府は八年間、あらゆる案を検討しました。
国民救済会議にも、代案を示す機会がありました』
救国会議が三十六時間で物流を止めた映像が流れた。
『全員を救うという言葉だけでは、酸素は届きません』
母の診療所へ届いたボンベが頭に浮かんだ。
『私は、救えない命があることを正義とは申しません。
しかし、救えない命を前にして、救える命まで失うことを平等とも呼びません』
首相は最後に言った。
『一千万人だけは死なせない。
それが、日本国に残された最後の責任です』
放送が終わった。
保障区域では拍手が起きた。
その映像が、すぐに共有された。
世論は反転しなかった。
むしろ、門を予定より早く閉じろという要求が増えた。
救国会議の再蜂起や、非継承人口の流入で計画が失敗する前に、千百四十万人を守れ。
区域内の投票画面では、早期閉鎖への賛成が七割を超えた。
区域外では計画撤回が多数だった。
政府は両方を同じ《国民意識調査》として公表し、人数を合算した。
六千八百万人で割れば、撤回が多い。
日本継承共同体の市民になる千百四十万人だけで割れば、継続が圧倒的だった。
どちらを国民と呼ぶかで、民意まで変わった。
晴登から短い連絡が来た。
《親父は首相が正しいと言ってる》
続けて、もう一通。
《俺は、お前が間違ってるとも言えない》
俺は返信できなかった。
自分の名前を出せば、政府は逃げられないと思っていた。
政府は逃げなかった。
数字も、責任も、切り捨てる人数も認めた。
そして、その正直さによって支持を増やした。
深夜、国会の緊急審議予定が公表された。
《国家存続条項に基づく国家機能移行日の変更》
俺の告発を理由に、門を早く閉じる審議だった。




