第3話 花形騎士の甘えと「一番」の定義
第一騎士団の訓練場に、澄んだ金属音が響き渡る。
目にも留まらぬ速さで繰り出されたダリルの木剣が、大柄な先輩騎士の隙を突き、その喉元ピタリと止まった。
「そこまで!」
審判の号令がかかった瞬間、訓練場の周囲で見学していた若手騎士や、遠巻きに見ていた他部署の女官たちから黄色い歓声が上がる。
ダリルは爽やかに微笑み、ふわりと前髪をかき上げながら木剣を収めた。
「ありがとうございました、先輩」
「ハハ、参ったよダリル。相変わらずお前の剣筋は鋭いな。顔だけじゃなくて実力も本物なんだから、そりゃあ女の子たちも放っておかないわけだ」
汗を拭いながらそう言う先輩に、ダリルは嫌味のない苦笑を返した。
実際、ダリルは優秀だった。伯爵家の次男坊という逆境から努力を重ねて実力を磨き、今や第一騎士団の「花形」と呼ばれるポジションにいる。怪我をした同僚がいれば真っ先に駆けつけ、市井で困っている人がいれば損得勘定抜きで手を差し伸べる。優しくて、強くて、頼りになる。誰もが認める『いい男』、それが表舞台でのダリルだった。
しかし、訓練を終えてお気に入りの酒場に移動し、気心の知れた同僚たちとグラスを傾け始めると、その『いい男』のメッキの下から、致命的な甘えが顔を出す。
「それにしてもダリル、お前さ、昨日はせっかくの休みだったのに夕方から騎士団の飲みに顔を出しただろ? 確か、婚約者の誕生日じゃなかったのか?」
同僚の一人が、エールを飲みながら思い出したように訊ねた。
ダリルは、注文した高級な肉料理をつまみながら、なんでもないことのように笑った。
「ああ、メリッサの二十歳の誕生日ね。ちゃんと昼間、お祝いしたよ。王都のちょっといいレストランを予約してさ、美味いもん食わせてやったんだ」
「へえ、じゃあ、そのままプロポーズでもしたのか? お前ら、学園卒業したら結婚するって言ってただろ。もう二年近く待たせてるんじゃないか?」
「いや、結婚はあと一年待ってもらうことにした」
ダリルの悪びれない言葉に、同僚たちは一瞬、顔を見合わせた。
「おいおい、二十歳だろ? 女性にとっての二十歳の大切さを分かってんのか? 待たせすぎると愛想尽かされるぞ」
「はは、大丈夫だって。メリッサは俺にベタ惚れだからさ」
ダリルは本当に、心底からそう信じきった顔で余裕の笑みを浮かべた。
「あいつは昔から俺のやることなすこと、全部『ダリル様のためなら』って応援してくれるんだ。今だって、俺の騎士団での付き合いとか衣服代のために、わざわざ侯爵家で侍女として働いて支えてくれてる。あんなに健気で俺を好きな女が、離れていくわけないだろ?」
悪気は一切ない。むしろ、自分たちの『深い絆』を自慢するかのような口振りだった。
だが、同僚たちはその言葉の裏にある不穏な噂を知っていた。
「……お前、そうやってメリッサちゃんを放置してる間、最近よくカサンドラ伯爵令嬢と二人で出歩いてるだろ。あれ、本当のところどうな んだよ」
突っ込まれたダリルは、少しも慌てることなくグラスを揺らした。
「カサンドラ? ああ、彼女はただの『お気楽な恋愛ごっこ』の相手だよ。向こうにも婚約者がいるし、お互い割り切った大人の遊びさ。俺だって、たまには綺麗な令嬢と華やかなデートをして、日頃の激務の息抜きをしたいじゃない? 第一騎士団の看板を背負ってるんだから、それなりの社交も必要なんだよ」
ダリルにとっては、それが自分なりの正当な理屈だった。
自分がここまで立派な騎士になれたのは、自分の実力と、ほんの少しの息抜きのおかげ。そして――。
「《《遊ぶ女と、結婚相手は別》》。メリッサは俺の部屋の掃除も、作り置きの飯の用意も完璧にこなしてくれる、世界一の奥さんになる相手なんだ。他の派手な女たちとどれだけ遊んだって、俺の中でメリッサが『一番』なのは揺るがないよ。だから、最後に俺が結婚して幸せにしてやれば、全部丸く収まるんだ」
愛しているのはメリッサだけ。
あいつが一番大切だからこそ、最後の最後に結婚という最高の席を用意してある。だから、それまでは少し自由に遊ばせてほしい。
ダリルの中では、それがメリッサに対する彼なりの「最大の信頼と愛」の定義だった。
彼は気づいていない。
自分が他の女と腕を組んで歩く姿を、メリッサがどんな目で見ていたのかを。
自分が無心した給与袋を手渡すとき、メリッサの手がどれほど荒れていたのかを。
そして何より、昨夜レストランに一人残された彼女の心が、すでに「パキンッ……」と音を立てて凍りついているという事実を。
「……お前、本当に後で痛い目見るぞ」
同僚の呆れたような忠告も、今のダリルの耳には心地よい羽虫の音程度にしか響かなかった。
「見ない見ない。メリッサは俺を置いてどこにも行かないよ」
ダリルは極上の笑顔で、新しい酒を注文した。
己がどれほど恵まれ、どれほど愛され、そしてどれほど致命的な手遅れの崖っぷちに立っているのか。この時の彼は、まだ知る由もなかった。
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