(9)仲基の独立と、妻帯
仲基は病弱な身体をいたわりながらも、近隣の同学の士とも交わった。部屋住みのまま芳春や穀斎に寄生する生活はさすがに気が引けるため、学友たちが開いている家塾の臨時講師として勤めたりして、自分が食べる分の収入だけは確保していた。
儒学と仏教について研究を重ねる一方、神道や礼楽についても造詣を深め、二十四歳のときに「翁の文」、二十五歳のときに「律略」という論文を書いた。
「翁の文」は、仲基がこれまでに蓄積してきた儒教、仏教における「加上」について述べるとともに、神道においても「加上」がみられるという主旨の小品である。ただし、この時点ではまだ手控えとして書き記したのみであり、刊行するつもりはなかった。
「律略」は、儒学において重視された礼楽についての研究書である。仲基はこの書で、荻生徂徠が礼楽について著した「楽律考」の内容について批判した。徂徠は、日本の雅楽は中国で廃れてしまった先王の古楽であると主張したが、仲基は、それは誤りであり、日本の雅楽は唐代の大衆音楽に由来すると述べた。「説蔽」のときと同様に、「律略」でも徂徠批判を展開する形になった。
「律略」については出版を希望したものの、版元が見つからず、結局日の目を見ずにお蔵入りとなった。仲基はここでも大きな失望と落胆を味わった。
ほかにも度量衡の変遷について述べた「三器」という論文も著したが、これも出版には至らなかった。
自著の出版が実現せず、長い苦渋の日々を送っていた仲基だが、仲基の学識の深さは上方の学者の間ではかなり知られるようになっていた。南船場で学塾を開く儒者の井狩雪渓は、荻生徂徠の学説を批判した「論語徴駁」という書物を著したが、雪渓は仲基に、この書物への注釈書き入れを依頼している。雪渓は二十歳近くも年下の仲基に敬服していた。
元文四年(一七三九)、仲基二十五歳のとき、父芳春が急逝した。享年五十七歳。
ふだんは病気知らずの芳春が、体調が優れないと言って床に臥した。その三日後の朝、芳春は布団の中で冷たくなっていた。
穀斎が喪主を務め、葬儀は盛大に営まれた。
仲基は芳春を失ってみて初めて、自分を守り育ててくれた父の存在の大きさに気づき、そのことにこれまで気づかなかった自分の迂闊さを悔やんだ。
実際、仲基は、穀斎が当主となった道明寺屋に今後も住み続けることの是非、という問題に直面することとなった。穀斎との不和はすでに修復不可能な状態であり、もう何年もまともな会話を交わしていない。これまでは芳春という傘が存在していたため、辛うじて穀斎と同じ屋根の下で暮らすことができていたのだが、芳春がいなくなった今、穀斎と仲基とはじかに向き合わざるを得なくなり、摩擦は不可避となった。
仲基は、道明寺屋を出ることを決断した。母の佐幾と末弟の東華、それに妹の花を引き連れて、道明寺屋から十町ほど離れた備後町の町屋へ移った。穀斎は、まるで継母と腹違いの弟妹を追い出すようで世間体が悪いと言って渋ったが、仲基は、別家を立てて家塾を開き、独立するためだと説得し、穀斎はようやく了承した。
仲基は東華と共に家塾を開き、主に近隣の子供たちや有閑の年寄りなどを相手に四書五経を講じた。東華は仲基よりも四つ下で、懐徳堂で学び、儒学の学習は一通り終えていた。病弱な仲基よりも東華が教壇に立つことが多かったが、分かりやすくてためになると評判を呼び、活計の目処はすぐに立った。
二十七歳になった仲基は嫁を迎えることになった。佐幾の遠縁の娘で大和在住、二十歳のみよである。
仲基は病弱ゆえに生涯独身で通すつもりでいたのだが、曲がりなりにも一家の主となったのに妻帯しないという法はない、と佐幾が話を進め、仲基は黙って流れに身を委ねた。
みよは人当たりが良く、すぐに家の者たちとも打ち解けた。それに家塾の運営にも加わって、塾生の子供たちの世話をしたり、爺さんの話し相手になったりしていた。みよは塾生たちから「兄先生の御新造さん」と呼ばれ、すこぶる人気が高かった。
最初は妻帯することに乗り気でなかった仲基だったが、周囲へ明るい笑顔を振りまき、快活に働くみよに対しすぐに好意を抱いた。みよには人と良い関係を築けるという、仲基にはない美質があった。仲基の中でみよは徐々に大きな存在となっていき、気づいたときには、みよの居ない生活など想像できないぐらいに彼女を愛おしむようになっていた。
「実を言うと、私は嫁をもらうつもりはなかった。いや、正確に言えば、生まれつきの病弱ゆえ、それは叶わぬことと幼少の頃から諦めていた。だが、そなたに来てもらって本当によかったと思っている。こう言っては大袈裟だが、また新たに生きる意欲が湧いてきたような気がする」
仲基は、みよにそう言った。言い終えてから急に恥ずかしくなり、みよを正視できずに下を向いた。
「私の方こそ、だんな様のもとに置いていただけてとても幸せです。私はだんな様がいつまでも元気で、学問に専念できますように、生涯、お世話をさせていただきます。それに……」
みよは肩を縮めてうつむき、その先を言い淀んだ。
「それに? 何か望みでもあるのか? あるのなら遠慮せずに言いなさい」
仲基に促されても、みよはなかなか言い出さなかったが、やがて口を開いた。
「だんな様のお子を産みとうございます」
そう言うと、みよは両手で顔を覆った。
仲基は赤面した。あからさまに婦人がそのようなこと言うのはどうかとも思ったが、そう吐露するにはよほど勇気が要ったのだろうとみよの心情を推し量った。
「私もそう望んでいる」
仲基は静かにみよの肩を抱き寄せた。




