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(10)時機到来


 寛保二年(一七四二)、仲基二十八歳のとき、呉江社を主宰する田中桐江が死去した。享年七十五。

 桐江の病床には夫人の柏村氏と一緒に、仲基の実弟で、桐江の弟子である(らん)(こう)が侍し、看病にあたった。桐江に心酔している蘭皐は、涙ながらに師の最期を看取った。

 蘭皐からの早飛脚を受けた仲基は、急ぎ池田へ向かい、桐江の葬儀に参列した。

葬儀には故人の大勢の友人、門弟が弔問に訪れていたが、その中に日初の姿を認めた。

「これは御坊ではありませんか。ここでお目にかかるとは奇遇な」

「おお、これは仲基殿。お達者そうで何より」

 日初は数年前に桐江と面識を得て、それ以来、ときどき茶を喫しながら談笑し合う仲になっていた。

「偉大な人格者を失いました」

「温厚でありながら、気骨のあるお方でした。拙僧も桐江先生からは薫陶(くんとう)を受けました」

 二人は在りし日の桐江を(しの)び、しばしの間、瞑目(めいもく)した。

 葬儀の後、二人は蓮秀庵で対座していた。

「拙僧、先頃、本山の()(こう)老師から法統を受け継ぐことと相成りました。お寺から離れた茅屋に住み、四十の坂を越えたこのように貧相な乞食坊主でも、案外なご褒美にあずかることもあるというわけです。人生とはまったく分からぬものですな」

 日初はそう言うと、さも愉快そうに哄笑した。

「それはおめでとうございます。きっと御坊の日頃の清貧な行いが老師のお眼鏡に適ったのでしょう。私は至極当然の成り行きだと思います」

 仲基は我が事のように喜んだ。いくら独立不羈(どくりつふき)標榜(ひょうぼう)していたとしても、他人から認められることの愉悦の大きさはこの上ない。

「ところで……仲基殿も、そろそろいいのではないでしょうか?」

「そろそろ、とは?」

 日初は居住まいを正してから、言った。

「仏教における加上説について、著述する時機が来たのではないでしょうか?」

 うかつにも仲基は、「今生においてなすべき畢生(ひっせい)の仕事」のことをしばらく忘れていた。

「仲基殿は実家を離れて家塾を主宰し、今や学者として近隣に名が通っています。以前のような部屋住みの書生ではありません。それに、仲基殿が懐徳堂を破門されたこともすでに知れ渡っておりますし……おっと、これは事実と違っていました。仲基殿がみずから懐徳堂を離籍したのでしたね」

 日初は声を上げて笑い、続けた。

「もはや懐徳堂に迷惑がかかることもないでしょう。貴殿の意見を堂々と述べてしかるべきです」

 日初はさらに続けた。

「ただし、きちんとした典拠を示しながら論を展開し、説得力のある内容に仕上げなければなりません。それにはそれ相応の時間と精力を費やすこととなるでしょう。身体のこともありますので、性急に事を進めようとせず、どうか休み休みお取り組みなされ」

「御坊、痛み入ります。ご忠告にしたがって、根を詰め過ぎないように仕事を進めます」

 仲基は、日初に背中を押してもらえたことがうれしかった。

 仲基は大坂へ戻ると、さっそく執筆にとりかかった。文章は漢文で記述することにし、章立てを考え、出典となる経典や文献にあたって作業を進めた。仲基は一切経を閲覧するために、自宅から三十町ほど離れた場所にある黄檗宗(おうばくしゅう)瑞龍寺(ずいりゅうじ)、別名鉄眼寺(てつげんじ)を利用させてもらった。瑞龍寺の住職と日初とは知り合いであり、仲基は日初の紹介を受けて一切経の閲覧を許可された。

 家塾では主に東華が講義を受け持っていたが、仲基もときどき教壇に立った。著述だけにどっぷり専念するのではなく、身体を気遣いつつ、きちんと時間を決めて、ほかの仕事にも取り組む。家族にも自分の構想を伝え、協力を仰いだ。

 みよは変わらずに明るい笑顔で仲基を支えている。みよは生田流の師匠から(こと)(琴)を習っていて、仲基が疲れたときなどに凛とした音色を奏でて仲基を癒している。仲基は目をつむってそれを聴き入り、そのまま眠ってしまうこともあった。

「すまぬのう。私が薄弱ゆえに、みよの望みをなかなか叶えられなくて」

 閨のことはときどきあったが、みよに懐妊の兆候は表れない。その原因を仲基は自分の身体が弱いためだと思っていた。

「どうかそのようなことをおっしゃらないで下さい。お子は天からの授かりものですので、私たち夫婦の一存でどうなるものではありません。ましてやだんな様のせいでなどあろうはずもありません。私は今がとても幸せです。このまま夫婦仲良く暮らせたら、それだけで十分でございます」

 みよはそう言って笑ったが、仲基の自責の念は晴れなかった。

 仲基は手掛けている著作によって、大乗仏教は釈迦の直接の教えではなく、後世の人が「加上」によって構築したものであるとする「大乗非仏説」を展開した。そもそも仏教経典が初めて成立したのは釈迦入滅後、少なくとも二百年から三百年後のことであり、それまでは文字化された経典は存在せず、弟子たちが記憶をもとに口伝(くちづて)で釈迦のことばを後世に伝えていた。ただ、それには当然、記憶違いや忘却、解釈の相違や付け足しが介在したはずであり、長い時間的隔たりを経て成立した経典がすべて釈迦の金口(こんく)であるなどということがあろうはずはない。そんなことは論証するまでもない自明の理なのに、なぜそのことに目を閉ざしてすべて釈迦の口から出たことばであると無理に論陣を張り、世の中もそれについて異議を申し立てないのだろうか。仲基にはそれが不思議でならなかった。

 仲基は時間をかけて経典や関連書籍にあたり、丁寧に自論を展開していった。


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