(11)「出定後語」と「翁の文」
みよが女の子の赤ん坊を出産したのは延享元年(一七四四)、仲基三十歳、みよ二十三歳のときである。
待望の第一子誕生に仲基は歓喜した。もしや自分には子種がないのではないかと半ばあきらめかけていたからである。女の子は栄と名付けた。
仲基の著作は完成が近づいていた。個々の仏教経典類の成立順序について、仲基は次のように推論した。
まず小乗の阿含経典類が最初に成立し、それから大乗仏教の経典が順次成立していった。中でも「空」の思想を説いた「般若経」が大乗経典として最初に成立し、次に成仏の思想を説いた「法華経」、次いですべての事象は縁によって成り立っていると説いた「華厳経」が成立した。
それから菩薩の概念を説いた「大集経」、釈迦入滅と仏の永遠性を説く「涅槃経」、さらに禅を説いた「楞伽経」と順次成立し、最後に密教経典類が成立するに至った。
このように推定する根拠は、前代の経典を凌駕するように新たな思想が盛り込まれたものが後代の経典であるはずであり、各経典の内容を比較照合すればおのずとその変遷を把握でき、成立順序が定まるという仲基独特の合理的思考、すなわち「加上説」であった。
それに加えて、仲基は、思想が多様化し、分枝する理由として、言葉には「三物五類」という性質があることも述べた。すなわち、言葉には、学派による相違、時代による相違、使われ方による相違があり(三物)、使われ方については、誇張(張)、偏向(偏)、敷衍(泛)、深化(磯)、反意(反)があるとした(五類)。
さらに仲基は、国にはそれぞれ風俗や国民性があり、それが思想や文化へ影響を及ぼしているとも述べている。具体的には、印度人は幻術を好み、中国人は文辞を好み、日本人は素直さを好む。
こういったことを踏まえずに狭い了見だけで自説を主張し、他人の説を批判するのは無意味かつ不毛であり、前提を間違えたまま行われる議論や主張を仲基は忌避した。
「私は儒教の徒ではなく、道教の徒でもなく、仏教徒でもない」
仲基はそう記した。多くの仏教経典を精読しながらも、仲基は仏教に帰依することはなく、あくまでも学者としての科学的な目で経典を客観視し続けた。
また、みずからを「出定如来」と号し、経典成立について一般に流布されている誤りを正せるのは私しかいない、と豪語している。
最後に結論として、畢竟、大事なのは「善をなすか否か」、という一点のみであり、それを満たすのであれば仏教でも儒教でもよく、当然ながら学説の違いや国情の違いなどは問題ではない、と述べた。この大事な一点を脇に置いて不毛な議論に耽る輩こそ排除すべきだ、と怒りを込めている。
上下二分冊、全二十五章からなる著作がようやく完成し、仲基はこれを「出定後語」と名付けた。
仲基はこれと併行して、以前、手控えとして書き記した「翁の文」に加筆し、これを完成させた。この書は和文で記載し、専門的で難解な「出定後語」をより一般向きに平易にした内容となっている。この書では儒教、仏教、神道における「加上」について述べるとともに、大事なのは「誠の道」であると結論付けている。
当たり前のことを当たり前にすること。「主君には心を尽くして仕え、子供にはよく教え導き、臣下を大切にする。妻は夫に従い、夫は妻をいたわり、兄を敬い、弟を憐れむ。老人に心を配り、子供を温かく見守り、先祖を忘れず、家族の親しみをおろそかにしない」。
仲基はそう記しながら、果たして自分は「誠の道」に当てはまる生き方をしているだろうかと自問自答した。懐徳堂を離籍し、兄の穀斎とは絶縁に近い。言うは易いが、実践は難しい。
仲基はこの記述を削除しようかどうか迷ったが、結局、このまま残すことにした。今できていなくても、それに向けて自分を陶冶すること。目指すべき道は思想や国、時代が違えども不変であると思い直した。
仲基は久しぶりに池田の蓮秀庵を訪れ、「出定後語」と「翁の文」を日初に見せた。
「いやはや、よく書けていますが、なかなかに衝撃的な内容ですな。特に『出定後語』は、仏徒の間で大きな波紋を呼ぶでしょう。きっとこれを仏教批判の書であると見做す者が多くいると思います」
日初は心配そうに仲基の表情をうかがった。
「決してそういうつもりはないのですが、やはりそう解釈する人はいるでしょうね。もとよりそれは覚悟しています」
仲基は、日初をまっすぐに見た。
「……まあ、仲基殿なら大丈夫そうですね」
仲基は、批判を恐れなかった。自分が科学的思考でもって仏教へ投じた一石が波紋を広げて喧々諤々の議論が巻き起こり、やがて妄信や辻褄合わせのような無駄な作業が消え去って健全なものに収束されればよいと考えていた。
「私は今後、本邦の通史を編纂したいと考えております」
仲基が唐突に言ったので、日初は驚いて顔を上げた。
「えっ、もう新たな構想をお考えなのですか?」
「古今、歴史書は多くあれども、逸脱や誤謬が多く、年代も限られていたりして、読むに堪えるものがございません。そこで私は文献を渉猟して事実関係を検証し、古代から今日までの時代の流れと進展の経緯をもれなく論述した史書を手掛けたい所存です」
仲基の目には熱がこもっていた。
「つまり、『加上』の視点から歴史を述べる、というわけですね?」
「おっしゃる通りです」
「あなたって人は……」
日初は目を細めた。恐らく、仲基が書く歴史は、今まで知られていない出来事や、曲解された事実を明らかにし、その流れを科学的な目線で説く驚天動地のものとなるであろう。日初はそう思った。
「ただ、私は……」
そう言って、仲基はうつむいた。日初は、仲基が何を言いたいのかを察していた。




