第二十二話 俺の名前
決勝戦の後は、呆気なかった。
歓声が上がり、
勝敗が告げられ、
あれよという間に、
気づけば玉座の間へと案内されていた。
玉座の間は、想像していたよりも広かった。
静かすぎて、
自分の呼吸音がやけに大きく感じられる。
広い。
高い天井。
赤い絨毯。
それだけだった。
今は、すべてが二の次だった。
玉座から離れた位置で、ひざまずいて待つ。
背中に、無数の視線を感じる。
貴族か、兵か、あるいはただの観衆か。
こんなに時間が遅く感じたのは、いつぶりだろう。
期待と不安が、同時に高まっていく。
生殺しだ。
どれほど待ったのか。
十分か、二十分か。
時間の感覚など、とうに失われていた。
意味のない思考が、頭の中を巡り続ける。
「王のご入場です」
侍従の声が、場に響く。
来た。
王に続いて、姫が入ってくる。
「面を上げよ」
重々しい声。
顔を上げた先に、
どこかで見た光景があった。
王と、
その隣に立つ姫。
その姿に、自分が重なる。
かつては、俺もあんな目でルナを見ていた。
――ルナ。
間近で見たその姿に、疑いはなかった。
髪の色。
立ち方。
視線の動かし方。
すべてが、
俺の知っている彼女そのものだった。
思わず、声が出そうになる。
だが、
歯を食いしばって堪える。
ここで取り乱して追い出されれば、
すべてが終わる。
王が、満足そうに頷いた。
「見事な戦いぶりであった。
闘技大会を制したこと、
王として誇りに思うぞ」
称賛の言葉。
報奨の前振り。
だが、耳には入ってこない。
視線は、
ずっと姫に向いていた。
王が続ける。
「望みを言うがいい。
褒美を取らせよう」
「その前に、姫にこれを献上させて下さい」
俺は、追憶のブローチを差し出した。
特殊な効果などない、ただの記念品。
それでも、覚えていてほしかった。
姫は、それを受け取り、
じっと眺めていた。
長すぎるほどの沈黙。
一瞬だけ、
何かを探すような仕草をした。
指先が、わずかに止まる。
心臓が、その動きに合わせて跳ねた。
だが、
すぐに、その手は止まった。
珍しいものを見る目。
それだけだった。
そこに感情はなかった。
視線も、言葉も、ない。
「姫も気に入ったようだ。
重ねて大儀である。
さ、本題に入ろう。
願いを言うがいい。」
これでもダメだったか。
そうか。
終わりか。
もうどうでもいい。
帰ろう。
帰る?
どこへ?
一人で?
そんなことできるわけがない。
このまま何も言わずに下がれば、
彼女はまた、城の奥へ戻っていく。
手の届かない場所へ。
その瞬間、
考える前に、口が動いた。
「……お姫様をください」
言ってしまった。
頭が、真っ白になる。
だが、すぐに気を取り直す。
呆けている暇はない。
王は、一瞬言葉を失った。
王の顔から、余裕が消えかけていた。
「……はは。
すまんな、聞き間違いではないかな。
姫をくれと、そう聞こえたが?」
こめかみが、ぴくりと引きつる。
止まれなかった。
「聞き間違いじゃありません。
お姫様をください!」
言った。
言ってしまった。
後悔は、ない。
後悔は、もう十分に味わった。
「姫を寄こせだと?
ふざけるな!
身の程知らずの野蛮人が!」
王が、立ち上がる。
顔には青筋が浮かんでいた。
虎の尾を踏んだらしい。
周囲の空気が、凍り付く。
「その不埒もの――
“にいみ”を捕らえろ!」
ガチャガチャと音を立て、兵士たちが動く。
ああ。
ここまで、か。
ここまで来て、
やっぱり、届かなかった。
名前を呼ばなかった。
呼べなかった。
それで、いい。
その瞬間だった。
止まっていた時計の針が動き出すように、
姫が、動いた。
ほんの少し、肩が揺れる。
小さく、息を吸う音がした。
「……にいに……」
その声は、
思い出すためのものではなく、
確かめるためのものだった。
聞き間違いだと思った。
今は、そんなはずがない。
その声。
その瞳に、かつての面影が戻っていた。
「……にいに?」
胸の奥が、嫌な音を立てた。
否定したいのに、
否定できなかった。
「にいに!」
消えずに、
記憶の底に残っていた、
温かい呼び方。
ブローチの時には、
なかった反応。
「ルナ!」
迷いは、なかった。
一気に距離を詰め、
ルナを抱き上げる。
「なっ――!」
兵士の声を置き去りに、
壁を蹴り、走る。
「逃がすな!」
「追え!」
「上に逃げたぞ!」
中庭で、誰かが叫んでいる。
悪いな。
急いでるんだ。
城壁を駆け上がり、
塔の上へ。
風が、吹き抜ける。
ここで、
ずっと使わずにいたものを呼び出す。
システムメニュー。
「飛行船、呼び出し」
指し示すのは、城のはるか上空。
雲の向こう側。
来る。
雲が、割れ、船影がのぞく。
影が、落ちてくる。
「ニイミさま!
迎えに来ましたよ」
甲板で手を振る姿。
――柴くんだ。
「これを!」
投げ落とされた縄梯子をつかむ。
「えいほー」
船員たちが引き上げてくれる。
「ルナ、帰るぞ!」
腕の中で、彼女が頷く。
「うん、にいに」
飛行船が、城を離れる。
「面舵いっぱい、全速前進、ヨーソローです!」
柴くんの声が響く。
ルナが笑っている。
俺も笑う。
王都が、
小さくなっていく。
追ってくる声も、
怒号も、
もう届かない。
空の上で、
俺はようやく息をついた。
取り戻したものは、
確かに、
ここにあった。
二人を乗せた飛行船は、
そのまま、
空の向こうへと飛び去っていった。
あの木造の小屋へ。
帰る場所は、
もう一度、
ちゃんと取り戻せた。




