第九十六話「歩き続ける者」
いつも読んでいただきありがとうございます。
別れは終わりではありません。
残された者達は、
それぞれの想いを抱えながら歩き続けます。
第九十六話「歩き続ける者」
よろしくお願いいたします。
誰も動けなかった。
迅は消えた。
霧のように、跡形もなく。
残されたのは、藤色の布だけ…。
「馬鹿野郎ぉぉぉ!!」
嵐の叫びが空洞へ響く。
拳が地面を叩く。
「何でだよ……!」
「何で一人で抱え込むんだよ……!」
声が震える、涙が止まらない。
豪山は何も言えない。
綾乃も俯いている。
蒼真は黙ったまま立ち尽くしていた。
誰も迅を責められない。
あの男ならそうするだろうと、誰もが分かっていたからだ。
仲間を守るためなら、自分一人で背負い込む。
笑って別れも告げずに消えてしまう。
それが迅だった。
だからこそ苦しい、
止められなかったことが。
何も返せなかったことが。
胸の奥を抉るように痛い。
誰も嵐を止められない。
親友との別れだった。
いや。
別れと呼ぶにはあまりにも突然で、
あまりにも残酷。
だから、
誰も声を掛けられない。
その時、
誰にも気付かれないまま。
無月が歩き出す。
足元へ落ちていた藤色の布を拾い上げる。
指先に残る感触。
まだそこに迅の温もりが残っている気がした。
胸の奥が僅かに軋む。
だが無月は何も言わない。
しばらく見つめた後。
首へ巻いた。
それは形見ではない。
置いていかれた想いを受け取るための物。
風が吹く。
藤色の布が僅かに揺れた。
無月は振り返らず、
その場を去った。
夜…。
空には月が出ていた。
誰もいない岩場。
無月は一人で座っている。
首には藤色の布。
手には握り飯。
月を見る。
風が吹く。
静寂だけが広がっていた。
迅は、もういない。
その事実だけが、やけに重く胸へ沈んでいる。
いつも隣にいた男。
鬱陶しいほど世話を焼き。
勝手に飯を押し付け。
余計なことばかり言っていた男。
もう二度と、その声は聞こえない。
そう思った瞬間。
胸の奥に空いた穴が、冷たく広がった。
ふと…
声が聞こえた気がした。
『一人になっても』
『ちゃんと飯食えよ』
無月は目を閉じる。
脳裏に浮かぶのは、不器用に笑う迅の顔だった。
そして。
握り飯を一口食べた。
噛み締めるように。
まるで迅が残した時間を味わうように。
ゆっくりと飲み込む。
その時。
一筋だけ。
涙が頬を伝った。
無月は拭わない。
失ったことを認めるように。
その痛みを胸へ刻むように。
月を見上げたまま。
小さく呟く。
「……食ってる」
掠れた声だった。
返事はない。
それでも。
確かに届いてほしいと思った。
風が吹く。
藤色の布が揺れる。
無月は立ち上がった。
悲しみは消えない。
喪失も埋まらない。
それでも立ち止まるわけにはいかなかった。
どこへ行くのか。
誰も知らない。
振り返らない。
足を止めない。
前へ。
静かな夜の中へ歩き出す。
無月は歩き続けた。
月明かりが岩肌を白く照らす。
その背中だけが、闇の向こうへ溶けていく。
失われたものを抱え。
胸に消えない痛みを残したまま。
託されたものを首に巻き。
それでも。
歩く。
迅がいなくなった世界を、
自分の足で進むために…。
夜空には雲ひとつない。
まるで誰かが見守るように、月だけが静かに輝いていた。
そしてその先には。
まだ誰も知らない運命が待っている。
第九十六話 終
第九十六話を読んでいただき、ありがとうございました。
迅が消えた後、
残された者達の悲しみは簡単には消えません。
嵐には嵐の。
蒼真には蒼真の。
そして無月には無月の別れがあります。
感情を表に出さない無月ですが、
彼なりに迅との時間を受け取り、
前へ進もうとしています。
藤色の布も。
握り飯も。
失われたものを忘れないための形なのかもしれません。
歩みは止まりません。
物語もまた、
少しずつ終わりへ向かって進んでいきます。
次回もよろしくお願いいたします。




