第九十五話「会いたかっただけなんだ」
ここまで読んでくださりありがとうございます。
守るため。
取り戻すため。
救うため。
様々な理由が交差してきました。
けれど、その奥にあった本当の想いとは――。
第九十五話「会いたかっただけなんだ」
よろしくお願いいたします。
嵐の拳に力がこもっていた。
前へ出る。
足が止まる。
「……嫌だ」
掠れた声だった。
「嫌だよ……」
迅は何も言わない。
ただ待っている。
親友の答えを。
嵐は俯いた。
強く拳を握り締める。
視界が滲む。
「何でだよ……」
「何でお前なんだよ……」
返事はない。
結晶はさらに広がる。
肩を覆い。
首を覆い。
頬へ届こうとしていた。
もう時間は残されていない。
「……馬鹿野郎」
嵐が呟く。
「本当に馬鹿野郎だ」
込み上げる感情を抑えきれない。
「何で一人で背負うんだよ……」
「何で何も言わねぇんだよ……!」
迅は黙ったまま聞いていた。
「俺たち親友だろ……!」
「助けろって言えよ……!」
「苦しいって言えよ……!」
「置いていくなよ……!」
押し殺していた想いが一気に溢れ出す。
迅が少し笑った。
今にも泣き出しそうな顔で。
それでも優しく。
その笑顔を見た瞬間、嵐は理解してしまう。
もう覆らないのだと。
だからこそ、胸が引き裂かれるほど辛かった。
嵐は目を閉じる。
短く息を吐く。
そして拳を構えた。
親友を見る。
迅も見ている。
穏やかな眼差しで。
昔と同じように。
「……行くぞ」
嵐の声が揺れる。
迅は小さく頷く。
「おう」
最後の返事だった。
嵐が踏み込む。
拳が走る。
結晶へ。
一撃。
白い結晶が砕け散った。
光が溢れる。
世界が白く染まった。
⸻
それは、迅の記憶…。
どこまでも高く澄み渡る青空。
眩しい陽射しが降り注ぎ、頬を撫でる風は心地よく温かい。
遠くで鳥が鳴き、草を踏みしめる音と笑い声が重なる。
奏多…。
藤色の布。
「また二人とも喧嘩してる」
陽光を受けて髪を揺らしながら、奏多が笑う。
「迅が先だ!」
怒る嵐。
「違う」
即答する迅。
三人で笑う。
青空へ溶けていくような笑い声。
走る。
土の感触を蹴り上げながら。
転ぶ。
熱を帯びた地面に手をついて。
怒られる。
また笑う。
当たり前だった日々。
夕暮れまで遊び続けても終わらないと思っていた日々。
失うなんて思わなかった日々。
景色が流れていく。
眩しい光。
賑やかな声。
誰かが隣にいる温もり。
それらが次第に遠ざかっていく。
…そして最後。
藤色の布を握る迅。
独り。
冷たく静まり返った世界の中で。
長い時間、独りきり…。
さっきまで満ちていた笑い声はなく、耳に残るのは沈黙だけ。
迅の声が響く。
「奏多……」
懐かしそうに。
優しく。
愛おしそうに。
「俺は……」
「取り戻したかったんじゃない…」
嵐の胸が締め付けられる。
あの温かな記憶と、今目の前にある別れの現実。
その落差が痛いほど胸を抉った。
「…ただ…」
「おまえに…会いたかっただけなんだ…。」
⸻
光が消える。
迅の姿が薄れていく。
霧のように。
淡く。
嵐はその場に立ち尽くした。
伸ばした手は届かない。
何も掴めない。
「……馬鹿野郎」
掠れた声が漏れる。
こぼれた雫が頬を伝う。
迅は最後まで笑っていた。
別れを惜しむような顔ではなく。
どこか満たされたような顔で。
そして視線を向ける。
無月へ。
「無月?」
無月が顔を上げる。
迅は少し困ったように笑った。
「一人になっても」
「ちゃんと飯食えよ」
無月の目が大きく見開かれる。
無月は息を呑む。
けれど声が出ない。
何かを返そうとした瞬間には。
迅の輪郭は光に溶けていった。
誰にも引き留められないまま。
その存在は空へほどけていく。
姿が完全に消えた後も。
しばらく誰も動けなかった。
風だけが吹いていた。
先ほどの記憶の中の温かな風とは違う。
肌を撫でる空気はどこか冷たく、静寂だけが広がっている。
広がる空虚が胸を満たす。
嵐は俯いたまま拳を握る。
無月も立ち尽くしていた。
もう返事はない。
もう笑い声も聞こえない。
それでも世界は続いていく。
足元には。
藤色の布だけが残されていた。
第九十五話 終
第九十五話を読んでいただき、ありがとうございました。
迅が本当に求めていたもの。
それは世界を変えることでも、
誰かを蘇らせることでもありませんでした。
ただ、もう一度会いたかった。
それだけだったのだと思います。
長い時間を一人で抱え続け、
誰にも言えなかった想い。
嵐との別れ。
そして無月へ残した最後の言葉。
少しでも届いていたら嬉しいです。
次回、第九十六話。
残された者達は、それぞれの想いを抱えながら前へ進みます。
引き続きよろしくお願いいたします。




