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紡ぎの剣 〜見えない糸を断つ者〜  作者: つるぎまる
第四章『境界へ至る』

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第五十八話「理解できないもの」

第五十八話は、

“理解できないもの”の話です。


人の感情は、

時に理屈では測れません。


 夜だった。

 空は暗い。

 月はない。


 静かな場所だった。

 崩れた建物。

 割れた壁。

 止まった空気。


 じんは、一人で座っていた。

 視線は、遠い。

 手の中には、古びた布切れ。

 指先で、無意識に触れている。


 その時。


「迅」

 名前を呼ぶ声。


 気配は、最初からあった。


 じんが、面倒そうに目だけ向ける。


「……無月か」


 無月むつきは、静かに立っていた。


 感情のない目。

 揺れない声。


「聞きたいことがある」


 じんが、小さく眉を寄せる。


「珍しいな」


 無月むつきは、淡々と続けた。


「女がいた」

「子供を庇っていた」


「なぜだ?」


 じんが、少し止まる。


「……は?」


 無月むつきは、本気だった。


「自分が死ぬ可能性が高まる」

「合理的ではない」


 じんは、しばらく無言だった。


 やがて。

「……そんなの」

 小さく息を吐く。


「守りたいからだろ」

 即答だった。


 無月むつきの目は、変わらない。


「理解できない」


 じんが、顔をしかめる。


「お前、ほんと空っぽだな」


 その言葉にも、無月むつきは反応しない。


「守ることで、自分が死ぬ可能性がある」

「なぜ優先する」


 じんは、苛立ったように頭を掻く。

「理屈じゃねぇんだよ」

 低い声。


「失いたくねぇからだ」


 空気が、少しだけ止まる。


 無月むつきは、静かにじんを見る。


「お前もか」


 じんの手が、一瞬だけ止まる。

 布切れ。


 無月むつきは、そこへ視線を向けていた。


「……奏多かなか」


 じんの空気が、一瞬で変わる。


「その名前を、軽く口にすんな」


 低い。

 だが。

 怒鳴らない。


 無月むつきは、その変化を見ていた。


 呼吸。

 視線。

 指先。


 全部、少しだけ揺れている。


「お前は、まだそこへ留まっている」


 じんが、ゆっくり顔を上げた。


「……だったらなんだ」

 静かな声。


「終われるわけ、ねぇだろ」


 その言葉だけで、十分だった。


 無月むつきは、しばらく黙っていた。

 理解はできない。


 だが。

 じんが、苦しんでいることだけは分かった。


 理由は、分からないまま。


「……そうか」

 無月むつきは、静かに踵を返す。


 じんが、小さく舌打ちした。


「なんなんだよ、お前は」


 無月むつきは、止まらない。


 去り際。

「……分からない」

 小さく、そう呟いた。


 それが。

 無月むつき自身へ向けた言葉だと、じんは気づかなかった。



第五十八話 終




理解できないからこそ、

気になってしまうことがあります。

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