第五十六話「送り出す町」
第五十六話は、
“送り出す町”の話です。
支えてきた人にも、
帰る場所があります。
朝だった。
町には、久しぶりの静けさが戻っていた。
眠れなかった人々は、ようやく眠り。
泣いていた子供も、落ち着いている。
診療所の窓から、綾乃は外を見ていた。
手には酒。
目の下には、少し濃い疲れ。
「……くそ疲れた」
椅子へ深く座る。
その向かい。
嵐が、苦い顔で薬を飲んでいた。
「まだ飲むのかよ……」
「飲め」
「苦ぇ……」
「飴でも舐めとけ」
即答だった。
嵐が、ものすごく嫌そうな顔をする。
「その飴も苦ぇんだよ」
「薬だからな」
蒼真が、少しだけ笑いそうになる。
弦は、静かに茶を飲んでいた。
診療所に、穏やかな空気が戻る。
蒼真は、綾乃を見た。
疲れている。
町を守り続けてきた人間の顔だった。
「……綾乃」
綾乃が、酒を飲みながら目だけ向ける。
「なんだ」
蒼真は、少しだけ言葉を選んだ。
「力を貸してほしい」
静かだった。
「戻せる人が必要だ」
綾乃の手が、一瞬止まる。
弦が、静かに続けた。
「お前がいなければ、あの男は戻れなかった」
綾乃は、何も言わない。
ただ。
小さく息を吐いた。
「……馬鹿言え」
低い声。
「私は医者だぞ」
「町空けてどうする」
その言葉に、迷いはなかった。
嵐が、静かに口を開く。
「だから必要なんだろ」
綾乃の目が、少しだけ揺れた。
その時だった。
診療所の扉が開く。
町の人達だった。
眠れなかった男。
子供を抱えた母親。
老人。
皆、静かに綾乃を見ている。
「先生」
綾乃が、眉を寄せた。
「なんだお前ら」
男が、頭を下げる。
「行ってください」
綾乃の顔が、わずかに止まる。
「……馬鹿言え」
「医者が町空けてどうする」
男は、静かに首を振った。
「だからです」
「先生、ずっと一人で止めてきた」
「でも、もう先生一人じゃ届かない」
綾乃は、何も言えなかった。
老人が笑う。
「少しくらい、頼られてこい」
子供が、綾乃の服を引っ張る。
「ねーちゃん、ちゃんと帰ってこいよ!」
綾乃が、思わず顔をしかめる。
「誰がねーちゃんだ」
声は少しだけ掠れていた。
診療所の中が、静かになる。
綾乃は、ゆっくり窓の外を見た。
朝の光。
穏やかな町。
戻ってきた場所。
そして。
待っている人達。
綾乃は、小さく笑った。
「……やめろ」
「そういうの、苦手なんだよ」
誰かが、少しだけ笑う。
綾乃は、机の上の薬袋を見る。
ため息。
酒を飲み干す。
「……一回だけだぞ」
嵐が、即座に言った。
「絶対一回じゃねぇな」
綾乃が、火焔玉を投げつけた。
「うるせぇ」
青白い火。
薬草の香り。
診療所に、笑い声が響いた。
第五十六話 終
人は時に、
誰かに送り出されることで前へ進めます。




