第五十二話「現実へ戻す火」
第五十二話は、
“現実へ戻す火”の話です。
人を救うとは、
時に引き戻すことでもあります。
風が、止まっていた。
夜の町外れ。
霧が低く流れている。
男は、ゆっくり歩き続けていた。
焦点の合わない目。
涙だけが流れている。
「待ってくれ……」
「今……
行くから……」
黒い糸が、闇の奥へ伸びていた。
蒼真は、剣へ手をかける。
嫌な流れだった。
冷たい。
沈むような感覚。
弦が、静かに周囲を見る。
「……来る」
その瞬間。
霧が揺れた。
人影。
闇の奥。
白く、ぼやけた輪郭。
女だった。
いや。
“女のように見えるもの”。
顔が曖昧だった。
笑っているようで。
泣いているようで。
男が、一歩前へ出る。
「……っ」
「待ってたんだ……!」
綾乃が、舌打ちした。
「行くな!!」
男の足が止まる。
黒い糸が、ゆっくり脈打つ。
“女”が、手を伸ばした。
空気が冷える。
周囲の霧が、ざわりと揺れた。
嵐が前へ出る。
「ふざけんな!!」
拳。
一撃。
霧が散れる。
しかし、消えない。
“女”の輪郭が、再び揺れる。
蒼真の目に、流れが見えた。
感情。
未練。
喪失。
全部が、男へ絡みついている。
「……利用されてるのか」
小さく呟く。
綾乃が、腰の袋へ手を入れる。
「嵐!!」
「右行かせんな!!」
火焔玉。
綾乃が、霧へ投げつける。
ぱぁっ――
青白い火。
薬草の香り。
甘く、落ち着く匂いが広がる。
霧が揺れた。
“女”の輪郭が、わずかに崩れる。
嵐が、一瞬だけ目を丸くする。
「……なんか、いい匂いするんだけど」
綾乃が、次の火焔玉を構える。
「薬だ」
「飲むとめちゃくちゃまずいがな」
嵐が、うげっと顔をした。
「やっぱあれかよ……」
その横で、蒼真は男を見ていた。
男は、泣いていた。
「……一人なんだ……」
その声。
あまりにも、弱かった。
綾乃が、静かに男へ近づく。
「一人じゃねぇ」
低い声。
「だから戻れ」
男の呼吸が揺れる。
涙が落ちる。
“女”が、さらに手を伸ばした。
黒い糸が、男を引く。
蒼真が、剣を抜いた。
迷いがあった。
男にとって、大切な存在だったから。
綾乃が、静かに言う。
「戻すんだろ」
その声。
強かった。
蒼真の目が、揺れる。
そして。
剣が走る。
一閃。
黒い糸が、断ち切られた。
風が吹く。
霧が崩れる。
“女”の輪郭が、静かに消えていく。
男が、その場へ崩れ落ちた。
「……会いたかった……」
泣き声だけが、夜へ溶ける。
綾乃が、静かにその肩を支えた。
弦の目は、さらに奥を見ていた。
闇の向こう。
まだ。
“呼ぶ声”が続いている。
第五十二話 終
優しい想いほど、
人を離してくれないことがあります。




